幻想冒険記
猫乃手借太
第1章 第1話 幻想での目覚めと始まり
★コウ
目覚めは良くなかった。
慣れない柔らかすぎるベッド。温かい布団。快晴の空から窓をすり抜けてくる日光。そのどれもが寝るときには想定していなかったもの。だから、目覚めは良くなかった。
「ん……」
まぶしい朝日から手で目を守りながら身体を起こす。柔らかいベッドで寝ていたせいか、身体が少しだるい。昨日はベッドで寝た記憶は無いのだが、なぜかベッドの上で目を覚ました。
周囲を見渡す。カーテンが開いた窓、隙間無く本が収まっている本棚、何かが乗っているデスク。埃やゴミなどは見当たらない。清潔な部屋だということはわかるが、それ以上に重要なことがわからない。
「ここは、どこだ?」
清潔さを感じるこの部屋に見覚えはない。起きたら見知らぬ場所にいたのだ。
「いったい、何がどうなっているんだ?」
ベッドから飛び起きる。即座に警戒態勢に入り、周囲の様子をうかがう。部屋の中には誰もいない。部屋の中や自分の周囲も『くまなく探索した』が『全く何も無い』。
「なんだ? どういうことだ?」
部屋の中に人がいないのはひとまず目視でわかった。しかしいるかもしれないから探索した。しかし反応は無い。壁も、デスクも、今自分が起きたベッドさえも、だ。探索した結果はそれら全てが『存在しない』ことなる。
「探索魔法の効果が無いのか? 魔法を封じられた?」
この世の中に存在するありとあらゆる物には魔力が宿っている。それらは探索魔法で察知することが可能なのは常識だ。自分を中心に、どの方向にどれだけ離れた場所に何があるのか、瞬時に察知できる。戦いの時など、目視だけに頼っていてはいけない。探索魔法の優劣が勝敗を分けることは少なくないのだから。
即座に魔法を使用してみる。自分を中心に冷気を展開。即座に部屋の温度が一気に低下した。春の暖かい日差しを受けながらも、肌は真冬の温度を感じている。
「魔法……使えるよな?」
魔法が使えなくなったわけではない。それはわかった。なら探索魔法も通常通り使用できていると考えるのが普通だ。
「どうなってんだ?」
部屋の中を再度見渡す。何か手がかりになりそうな物はないか、そうやって部屋のあちこちに視線を向けていると、壁の上の方にある白い大きな箱に目がとまった。
「えーっと……エア・コンディショナー?」
書いてある文字は読めなかった。即座に翻訳魔法にて読めるようにすると、聞き慣れない単語がそこには書かれていた。
「空気を調整調節?」
白い箱をまじまじと見ながら読み取った単語の意味を考える。しかしピンとこない。
「他には何か無いか?」
白い箱はひとまず放置し、他のものを探し始める。するとデスクの上に黒い平べったいものが置かれている。何かのマークが目立つところに刻印されている。
「魔法の刻印か?」
手をかざして探索魔法で入念に調べてみる。しかし何も反応は無い。どうやらこの刻印に魔法は関係ないのかもしれないが、よくわからない。黒くて平たい物体から何かの線が延びて壁に刺さっているが、それも何を意味するものなのかもわからない。
「デスクに何か入っているかな?」
白い箱同様、黒い物体も後回しにして、デスクの引き出しを開ける。一番上の引き出しにはペンなどの見たことのある物も少しはあった。しかしほとんどは用途がわからないものばかりだ。二番目の引き出しを開けたとき、書類らしきものがいくつも入れられている。その書類を取り出してぱらぱらめくっていると、デスクの上に乗っている黒い物体と見た目が似ている絵があった。
「ノート型コンピューターっていうのか? それでこれはその取扱説明書か」
他にも壁に設置された白い箱、エア・コンディショナーの取扱説明書もあった。
「これ、触って大丈夫なんだろうな?」
探索魔法で調べた限りでは魔力の類いは確認できなかった。しかし油断は禁物だ。ここがどこだかわからない以上、探索魔法で魔力を察知できなくする魔法にかけられてしまった可能性も捨てきれない。
「昨夜、アレを見つけちまったからな。この状況は何か関係があるのかもしれない」
目覚める前、まだ自分の周りのものに魔力が感じられた昨夜。幼馴染みのあいつと一緒に少し遠出をしていた。最近住み着いた盗賊や、ちょこちょこ目にするモンスター。奴らによって最近少し治安が悪くなっていた。
盗賊には懸賞金がかけられていたので、あいつは退治して稼ごうと俺を誘った。止めても聞こうとはしないし、放っておいたら一人で行ってしまうため、しかたなく同行した。その遠出中にアレを見つけてしまった。朝一番で警備隊に報告しようとしていた矢先、目が覚めたらこんなわけのわからない状態になっている。
アレが関係していると考えられるなら、一瞬の油断も許されない。
「取扱説明書とあるが、罠の可能性もある。ここは触らない方が良いだろう」
さて残るは本棚とベッドくらいだ。しかしどこにも魔力を感じられないというのは気持ち悪いくらいの違和感だ。まるで創作物の中の世界に来てしまったかのようだ。
「……いや、そんなことはない。魔力も魔法も存在しない世界なんてただの幻想だ」
一世紀ほど前、とある作家が出版した本が全世界でベストセラーとなった。それを皮切りに世界中で作られるようになったジャンルが魔力の無い世界を描いた物語だ。
魔力は持って生まれた資質によってその後の人生は大きく定められてしまう。多大な魔力を保有して生まれれば社会的地位は簡単に得られ、小さな魔力しか持たずに生まれてきたものはほぼ間違いなく低層民のまま人生を終える。そんな世界の常識に一石を投じるように現れた魔力の無い世界を題材にした作品。生まれた者達はみんな能力は近く、その後どう生きるかでいくらでも良い生き方をすることができる。そんな幻想的な世界に多くの人が憧れたのだ。
幻想はどこまでいっても幻想。創作物は何年経っても創作物。多少の人々の生き方や考え方に一席は投じたものの、結局はそんな世界など存在しない。ベストセラーとなった作品は幻想を描いた創作物の金字塔の域は出ない。
しかし、今自分が立っている部屋はどこにも魔力が感じられない。まるで創作物の中のようだが、そんなことはあるはずがない。創作物の中に行く、目が覚めたら魔力の無い世界にいた、そんなありきたりな幻想を信じるほど俺は幼稚ではない。
創作物の中にいるような感覚になる何かしらの魔法があり、それの影響を受けていると考えるのが妥当だ。なら魔法の効果範囲から出る方が良いのか、それとも原因となる魔法の中心を探すのが良いか……そう考えていたとき、部屋の外から足音が聞こえてきた。
俺は即座に足音のした方へ身体を向けて身構える。いかなる交戦状態にも対応できるように、魔法もすぐに発動できるように準備する。そして足音の主が部屋の扉の前までやってきて、勢いよく扉を開いた。
「あっ、コウ。起きてたんだ。おはよー」
そこには幼馴染みのあいつ、カノンがいた。昨夜同様の魔法深いらしい格好で、真っ赤に熟れたリンゴを美味しそうに囓っている。
「なんだカノンか。驚かせるなよ」
この状況を飲み込めていない俺はどうやらかなり不安になっていたようだ。見知った幼馴染みのあいつの顔を見たことで安心したのか、急に身体の力が抜けた。
「あれ? どうしたの?」
「どうしたもこうしたも……起きたら見覚えのない場所にいるんだ。警戒しない方がどうかしてるだろ」
「あー、そうだね」
警戒心の欠片もないカノンはまたリンゴにかぶりつく。満面の笑みで食べている様子はとても美味しそうだ。
「んー、甘い。良いできだよ、このリンゴ」
「リンゴなんてどこにあったんだよ」
「え? 階段降りたところのテーブルの上に置いてあったよ」
「それ、大丈夫なのか?」
「カノンちゃん食べて良いよって書いてあったもん」
「書いてあった?」
「うん。ご指名だから食べたよ」
リンゴを食べるのを止めないカノンには危機感の欠片もない。魔力を感じられない見覚えのない部屋の中で目覚め、自分を名指しして置いてある食べ物。どう考えても危険きわまりない。それを平気で食べるなど正気の沙汰ではない。
「怪しすぎるだろ。毒が入っていたらどうするんだよ」
「え? うーん……その時は解毒魔法で乗り切ろう」
手の中にあったリンゴはドンドン食べられて行き、リンゴの芯だけが残った。
「はー、美味しかった」
カノンはそう言うち、リンゴの芯を手のひらの上に乗せる。そして次の瞬間、リンゴの乗った手のひらから赤い炎が燃え上がった。時間にして秒。リンゴの芯は小さな消し炭となった。
「大丈夫なのか?」
「え? うん、たぶんね」
「本当か?」
「コウは心配性だなぁ」
「いや、心配しない方がおかしいだろ」
「大丈夫だって。リンゴもこれで三つ目だし」
「お前、ちょっとは危機感を持ちやがれ!」
すでにリンゴは三個目。致死毒であれば俺の知らないところで死んでいたわけだ。
「まぁまぁ、じゃあそろそろ探索でもしようかな」
「探索魔法ではもう調べた。この部屋には魔力反応が一切無い」
「え? ほんとに? それってあの本の中の世界みたいじゃん」
「そうだな。でもそんなことは現実的にはあり得ない。これはきっと何かしらの魔法の影響のせいだ。昨日のアレもきっと何か関係が……」
「わー、何かあるかな? おっ、取扱説明書だって。開くみたいだよ、これ。えっと、ここを押せばスタート?」
「おいっ! 勝手に触るな!」
デスクの上の黒い物体にカノンが触れた。すると何かの音が突然鳴って、数カ所で光が点滅している。
「えー、ノート型コンピューターって言うの? 何かが映ったよ」
映写魔法で映すように、ノート型コンピューターと呼ばれる物体に何かが映った。
「パスワード? コウ、知ってる?」
「知ってるわけないだろ」
「うーん、なんだか文字みたいなものが書いてあるボタンがたくさんあるね。これでパスワードを入れろってことだよね。チャレンジしてみよっかな」
「わからないから止めとけ。それに間違ったときに何が起こるかわからない」
状況がよく読めない中にいる。全ての物事に罠がつきものだと考える必要がある。
「そっか。じゃあこっちはなにかな? えっと、エア・コンディショナー?」
次は壁の上の方に取り付けられている白い箱に目がとまったようだ。
「えっと、これで動くのかな?」
白い箱から離れた場所に合ったボタンをカノンが押す。すると小さく甲高い「ピッ」という音がした。そして白い箱の正面から風が送り出されてくる。
「おーっ! 動いた! すごいよ!」
喜ぶカノン。魔力を一切使わずにものが動く様子を目の当たりにして手放しで喜んでいる。しかし俺は気が気では無かった。これが何かしらの罠なのではないか、ものが動くのに魔力が一切感じられないのはなぜか、そういうことばかりが頭の中にある。
カノンのようにここが創作物で描かれた幻想の世界だと受け入れることなどできない。全く異なる世界にいるなど常識で考えてあり得ないのだから。
「あ、風が暖かくなった」
白い箱から吹き出てくる風は暖かくなり、冷えた部屋を暖めているようだ。
「そうだ、コウ」
「なんだ?」
カノンが改まって俺の方を向いている。
「この部屋、起きたときより寒くない?」
白い箱から吹き出る暖かい風が直接当たる場所に達ながら、両手は二の腕をさすっている。
俺が目覚めたときに魔法が使えるかどうかの実験で部屋を冷やした。だからカノンがリンゴを持って部屋に入ってきた時にはもう真冬のように寒かったはずだ。それなのにこいつは今頃部屋が寒いことに気がついた。注意力や危機感のなさには相変わらず呆れてしまう。
「まぁいいか。他には何があるかな?」
「おい、いい加減にしろ。あんまり手当たり次第に触るな」
「いいじゃない。魔力の無い世界に来られるなんて夢のようでしょ?」
「だから何かしらの魔法が影響している可能性が高いって言ってるだろ。罠だったらどうするんだよ」
「でもそれだと魔力の無い世界なんてもう二度と体験できないかもしれないってわけでしょ? だったら今存分に楽しむよ」
「だから少しは危機感を持てよ! どこに罠があるかわからないんだぞ!」
「その時は治癒魔法よろしくー」
俺の制止は一切無視。まるでおもちゃを手に入れた子供のように、カノンは魔力の感じられない世界を存分に楽しもうとしていた。
一方で俺は止めても聞かないカノンが何かに触れる度、何かが起こるのではないかとビクビクしながら注意を払っているのだった。
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