第23話 キスは突然に
森は静かだった。ニザナキの
木々の間から覗く空は、昨日から続く雲を残していた。西風が吹いても枝葉がこすれ合う音しかしないのは、この辺りの動物達が破壊魔法の余波で皆逃げ出してしまったせいだろう。
ティンクルバニア市から馬に乗って東へ半日。市民にとって、この渓谷は良い狩猟場だった。東海岸から大陸中央部に広がる大森林に比べればお零れのような緑だったが、それでも周辺の荒野よりはよっぽど実り多い。中心には滾々と湧き出す泉と小さな滝があり、青々とした草花があり、育った木々の下には様々な生き物の営みがある。
新たな特待生の歓迎を兼ねた特待生交流会のイベントには、うってつけだろう。セシュナの家業を知った上で、アレクサンドラが考案したのだ。
もちろん、ただ彼を持て成すだけの場ではない。
(というか僕の歓迎とかどうでも良くなってるよな、これ……行方不明のクラスメイトについてイザベラさんから聞き出せ、なんて。わざわざヒルデさんが来られない日にセッティングしちゃうし)
”
――繁る木々の影から抜け出すと、谷の際に広がる湖に行き当たる。鏡のように光を弾く水面は広大で、遠く空にまで届きそうだった。湧きだした水の一部が谷底に向けて流れ落ちていて、湖畔には僅かながら水音が絶えない。
「この辺りで、少しクロスボウの練習をしてみますか。水場があれば、近づいてくる動物もいるし」
湖のほとりが見渡せる位置で、茂みの影にしゃがみ込む。
背負っていた矢筒の中から、出来の良さそうな矢を何本か選んで自分の弓に番えてみる。
気付くと、イザベラがこちらをじっと見ていた。
「……セシュナ君は、もうすっかり学園の一員ですね」
「えっ? そ、そう見えます?」
少なくとも今、制服は着ていない。
なめし革の登山ジャケットとポケットの多い作業ズボンは、ほとんど一張羅に近い私服だった。
「はい。特待生の皆さんとも仲良さそうですし。私、同じ教室になれなくて、残念でした」
その言葉に――セシュナは頷き返す。
「……僕もです」
彼女が所属しているのは、トーマス教室。
”
次に放つ矢を決めて、セシュナは自分の弓を置いた。
隣のイザベラは短い鉄矢を片手に、どうやってクロスボウに番えるのか、測りかねている様子だった。
「あの。もしかして、それ、使ったこと無いんですか」
「えっ、はい、もちろん! ありませんよ?」
何故か平然と、彼女が答える。
「アレクサンドラが『あなたはこれでいいんじゃないかしら』って」
「……なるほど。じゃあ、ちょっと貸してください」
セシュナはクロスボウを受け取ると、その正体を確かめていく。
幸いにも巻き上げ機が付いたものだった。ハンドルを回せば弦が張れるので、さほど腕力は必要としない。
アレクサンドラの言ったことは間違いではなかったようだ。
鉄矢を番え、仕掛けを動かしながら。
「……あの。トーマス教室は、半年前に、その……
嘘を吐きたくはなかったが、本心を語っている気持ちにはなれなかった。
「ええ、本当に残念でした」
セシュナはハンドルを回す手を止めた。顔を上げる。
イザベラの表情に陰りが差したのを無視できなかった。
それが自分のせいだと、分かっていたのに。
「ご、ごめんなさい。何かトラブルがあったんですよね。その、欠員なんて」
胸の辺りから染み出してきた暗いものに、思わず耳を塞いで逃げ出したくなる。
「……セシュナさんは、親しい人が突然いなくなった経験ってありますか?」
「それは……亡くなった、って意味ですか?」
曖昧な様子のまま、イザベラは続ける。
「……色んな事を考えるんですよ。いなくなって、会えなくなって、それで。私は何だったんだろうって。彼にとっての私とか、私にとっての彼とか」
彼女はこちらを見ているようで、見ていなかった。
もっと違う場所を――あるいは、違う誰かを見ているのだろう。
(……恋人だったテオドア・デューンの面影、か)
セシュナは、訊かざるを得なかった。答えを知っていてもなお。
「イザベラさん、親しかったんですね。いなくなった方と」
イザベラは力無く首を振る。落ちてきた一筋の金髪が、少し遅れて彼女の頬にかかった。
「……私の方は、そう思ってたんですけど。周りの皆も、教師も、誰も彼の行った先を知らなくて。本当に……突然だったから」
次第に小さくなっていく、イザベラの声。
「そう! あのね、
イザベラが微笑む。
しかしそれはセシュナが今まで見ていたものとは、まるで違っていた。
薄っすらとして弱々しく。触れるまでもなく崩れてしまいそうな。
――慎重に。言葉を選ぶ。
「学園では、他にもそんな風に姿を消す生徒がいたって聞きました」
口にしながら、自分で何を言おうとしているのか理解していく。
「もしかして、なんですけど。いなくなった人には何か共通点があるんじゃないかって」
どこまでならば許されるだろう。そんなことを考えて。
「イザベラさんは……何か、知りませんか? テオドアさんが姿を消した理由」
彼女の顔から微笑みが消え失せる。
残ったのは、ただぼんやりと曖昧な表情だけ。
「……誰かに頼まれたんですか? 私が、テオの失踪について何を知っているか、調べろと」
イザベラの唇は微かに震えていた。
「ただ頼まれたから、って訳じゃないです。もしも原因があるなら、それを取り除けば――誰かが悲しい思いをしないで済むって思ったから」
言って、セシュナは頭を垂れる。
「……これ以上はお話できないんです。ごめんなさい」
言い訳をしようにも、何一つ思い浮かばなかった。
沈黙が風に吹き払われるまでどれほどかかっただろう。
「ねえ、セシュナ君。結果には必ず原因があるけれど……それが良い事なのか悪い事なのか、判断するのって難しいと思いませんか? 見方を変える必要があったり、あるいはとても変えられないような何かだったり」
さらさらと草木の囁きが聞こえる。
「例えば。誰かの話や命令が必ず正しいなんて、そんなのありえない。そうですよね?」
「……辛い思いをする人が減るなら。僕にとっては、それが正しいことです」
セシュナは顔を上げて、イザベラを見た。
彼女はまだあやふやな笑みのまま。
「ありがとう、セシュナ君。私……嬉しいです」
投げかけられる言葉は、むしろ柔らかくさえあった。
「……訊きに来たのがセシュナ君で良かった。あなたみたいに優しい人で」
巻き上げ機を握る彼の手に温もりが重なる。
イザベラの白い手は少し青褪めていた。
「――――」
彼女の唇は、思っていたよりもずっと柔らかく。
「……イザベラさん」
「急に、ごめんなさい。私のこと、嫌いにならないでくださいね」
その時、セシュナは何かに気付いたような気がした。
ただの勘違いであればいいと思いながら。
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