第22話 特待生の優雅な休日

 生徒会の調査票に記されたテオドア・デューンという少年は、いまいち捉え所のない人物だった――それはつまり素行が良好で人格も善良だったか、あるいは生徒会や風紀委員に目をつけられるようなへまをしない程度には狡猾だった、ということだろう。


 黒い髪に青い目というのは、移民の家系としては標準的な容貌と言える。痩せた顎と甘さの残る眼元は、いかにも女子に人気が出そうだ、とは顔写真を見たアシュの評である。

 彼が所属していたのはトーマス教室。数学者であるトーマス・ベイツ教師はいかにもな合理主義者で、学生の私生活には踏み込まないことをモットーとしていた。


 トーマス教師があてにならない以上、手掛かりは同じ教室クラスメイトということになる――


「……そっち、行った」

「了解っ!!」


 セシュナは応じながら、引き絞っていた弦を解き放った。

 灰羽の矢が、風を切って真っ直ぐに飛び――木立の間から飛び出してきた鹿の頭部を、確かに貫いた。鹿は己の末路を知るより早く崩れ落ちる。


 弓弦の震えが収まるまでの僅かな間、彼はそれを見届けた。


「……命中、っと」


 鹿の後を追うように、ミロウが現れる。

 肩に担いでいるのは金属の輪がいくつも付いた錫杖。赤いフード付きのケープはいつも通りだったが、下に着ているのは、鞣し革のワンピースである。エルフの狩猟では一般的な装束らしい。


 ミロウは鹿の傍にしゃがみ込み、その状態を見聞しはじめる。


「見事。頭部を一撃。まだ足が動いてる」


 素っ気ない賛辞が妙に面映ゆく、セシュナは思わず自分の髪をくしゃくしゃに掴む。


「こ、これぐらいの森なら視界もいいし、雪も積もってないし。そんなに難しくないよ」


 セシュナの故郷ハルーカでは、膝まで埋まる積雪での狩りは珍しくなかった。場所は大抵密生した針葉樹の森で、相手はドラゴンなどの凶暴な魔物。


 比べると、新大陸の荒野に点在する森での狩りはかなり楽だった。

 こと射撃に関して言えば、的撃ちに近い感覚である。


「知ってる。ハルーカ人は鏃と共に生まれて牙と共に死ぬ。……ああいうの・・・・・とは違う」


 心なしか冷たい目で、ミロウが振り返ると。

 そこには、まるで嵐が過ぎ去ったような――雷が落ちたような――山火事の跡のような――とにかくセシュナが今まで見たことのない壮絶な破壊痕があった。


 そして、すり鉢状に抉られた大地の中心に立つニザナキ。


「なんや。文句あるんか、ミロウ」


 銀縁眼鏡が無ければ、視線で射殺されそうなぐらいの目付き。巻き上げた土や枝葉で全身が薄汚れていた。深緑のハンタージャケットのせいか、野盗にしか見えない。


「言っとくけど、あたしは悪く無いからね。そこの破壊魔法バカと一緒にしないでね」


 クレーターの向こう側、やはり埃を被っているのはアシュである。深い色のレザージャケットと手に提げた散弾銃のせいで、銀行強盗にしか見えない。


「……別に。何も言ってない」


 ミロウはしれっと言ってのけるが。

 ニザナキは口の端を曲げて、嘲りの笑いをこぼしながら、


「あのな、逃したんはアシュやからな。ワイは尻拭いしたったんやで」

「はああ? 風上で呑気に鼻歌かましてた奴に言われたくないんだけどー」

「うっさい、あれはちゃうねん! 見たやろあの川! のんびりしたってしゃあないやろが――」


 売り言葉に買い言葉とは正にこの事か、見る見る唾を飛ばして二人は罵り合い始める。


「あーもー最悪! てか見なよこの有り様! 森無くなってるし馬鹿!」

「うっさいわ、悔しかったらオノレで木でも引っこ抜いてみろやクマ女!!」

「誰が破壊力の話をしたのさ歩く危険物! 自爆しろ! 自滅しろ!!」

「あー……えっと。二人とも、落ち着いて」

「じゃかしいヘタレボケ!」

「引っ込んでてセシュナ君!」


 どうしていつもこんな立ち位置なのか。セシュナはやるせなくなる。


「――ちょっとあなた達!」


 割り入る声。


「何してるんです、三人とも! まさか喧嘩ですか? 私の目の前で・・・・・・?」


 少女はニザナキの破壊痕とは逆の方向から現れた。手入れの行き届いた金のまとめ髪に、上等な防水コートと乗馬用パンツ。手には小振りなクロスボウが一丁提げられていた。

 初めて会った時よりも活動的な印象で、また新しい魅力を放っていた。


「えっ、ああ、えと、違いますよ、イザベラさん! ……少なくとも僕は」


 イザベラ・デステ。

 二人目セカンドの特待生――そして、現風紀委員長・・・・・・

 セシュナはなんとなく、手にした複合弓コンパウンド・ボウを背中に隠しながら訴える。


「ええっ、ちょっとセシュナっち、一人だけずるくない? あたしも違うからね。こんなバカと喧嘩しないし」

「嘘こけ。そしたらワイは誰と戦うねん。一人か。セルフバトルか」


 すぐさま抗議の声を上げるアシュとニザナキを見て、イザベラは困ったように笑う。


「……もしかして、からかってますか? 私のこと」


 まるで木漏れ日が差したような、柔らかい笑顔。

 言われてみれば、彼女ほど“微笑聖女スマイリー・マドンナ”という渾名が相応しい人もいないだろう。


「いや、違うんです。その、これは……友情の一種です」

「やめろ気色悪い。アホヘタレ」

「ごめんセシュナっち、それは流石にちょっと気持ち悪い」

「ええー……」


 またしても異口同音になじられ、セシュナは理不尽さに呻いた。


「もう。随分仲良くなったみたいですね、三人とも」


 苦笑しながら近づいてきたイザベラが、セシュナの足元に倒れた鹿に気付く。

 そして傍らで血抜きをしているミロウは一顧だにせず・・・・・・


「すごい、立派な角っ! これ、セシュナ君が仕留めたんですか?」


 口元に手を当てながら、イザベラは感嘆の声を上げた。


「まあ、本当に。お見事ですわ、セシュナさん」


 イザベラの後ろから歩いてきたアレクサンドラ。ツイードの質素な上着を羽織り、水平二連の散弾銃ダブルバレルショットガンを手にしていても、やはりその気品に陰りはない。


「いや、僕は矢を当てただけで。錫杖を使って上手く追い込んでくれたミロウさんのおかげというか」


 セシュナは、言いながら鹿の皮を裂いているミロウを示すが。


「たった一発なんて、流石です! やっぱりハルーカの人は違いますねっ」


 まるで気付かないかのように――あるいは、この世に存在しないかのように。

 イザベラはミロウに触れようともしない。


(……これが、新大陸アカシアでのエルフに対する普通の態度、なのか)


 知識として知っていたけれど。

 いざ目の当たりにすると、ひどく辛い光景だった。


「ああ、ええと。ありがとう……イザベラさん」


 セシュナはあやふやな言葉を口にして。

 ただ、頭巾の影に隠れたミロウの表情だけが気になっていた。

 きっと彼女の方が何倍もこんな経験をして、慣れているのだろうと分かっていたけれど。


 ぽんっ――と、打ち合わされたアレクサンドラの掌が、小気味の良い音を立てる。


「そうですわ。あなた、セシュナさんに狩りを教えていただいたらどうかしら、イザベラ?」


 アレクサンドラは、さも今思いついたと言わんばかりに・・・・・・・・・・・・・・・・

 品の良い笑顔を浮かべながら、こちらに視線を送ってくる。


「どうかしら、セシュナさん。良い機会だと思いませんこと?」


 回答など一つしかない。

 この狩猟パーティは、アレクサンドラがその為に開いたのだから。


「……僕で良ければ、喜んで」

「ええっ、そんな……いいんですか? セシュナ君が? 私、本当に、すっごいすっごい下手ですけど……」

「全然、大丈夫ですよ」


 頷くと、イザベラは手を叩いて小躍りせんばかりの表情を見せた。

 さり気なく近寄ってきていたアレクサンドラが、小声で呟く。


「押し付けるようで、心苦しいですけれど。お願いしますわね」


 セシュナは緊張が顔に出ないよう、努めて平静なまま頷いた。


「……はい」

「それと。真面目に教えない方がよくってよ。あの方の筋の悪さ、筋金入りですから」


 それに対しては、どう答えたらいいか分からなかったが。

 アレクサンドラは鹿の横に膝を付くと、ミロウに声をかけた。


「ご苦労様、ミロウさん。縛ってしまいましょう」

「……うん」


 ミロウは微かに頷いて、手にしていた山刀マチェットを腰に戻した。同じく腰に下げていた荒縄を引っ張りだすと、手際よく鹿の脚を固定していく。


「……じゃあ、僕達は谷沿いに歩いて行ってみましょうか」

「はいっ! よろしくお願いしますね、セシュナ先生・・


 イザベラが少し悪戯っぽく笑う。

 セシュナは笑顔を見せようとしたが、いまいち上手く出来ないままだった。

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