第21話 その名は“聴き取る者《アクセプター》”

 ジェイン・コール夫人が営む下宿屋は、学園から程近い高級住宅街――チェルシー区にある邸宅である。

 かつての主人であり、今は亡きレオナルド・コール博士は、ケテル階梯で最も優秀な研究者の一人だったという。社会経済学者として時の政府の懐刀だった博士の栄誉に比べると、建物はやや小振りだが暮らしやすい造りだった。


 特に食堂はほぼ壁一面がガラスになっており、庭園が見渡せた。昼間であれば陽光を、夜であれば月光をたっぷりと浴びながら食事が取れる。更に言えば、ジェインの料理の腕前は素晴らしく、夕食に供されたアスパラとベーコンのキッシュはとても美味しかった。


 ガラスの一部は扉として開く造りになっていて、気軽にテラスへと出られる。

 庭もまた広くはないが――もちろんチェルシー区の平均と比べての話だ――、今夜は朧な月明かりに満ちている。見渡す芝生の青も美しく、広がる薔薇がぼんやりと燐光を放っていた。


 しかし残念ながら、今のセシュナにはその光景を堪能する余裕は無い。


「あの。ミロウさん」


 手すりに体重を預ける少女の背中は、ほっそりとして美しい。夕食も入浴も終わり、後は眠るだけなのだろう。生成りの長いワンピースがよく似合っていた。

 振り返った横顔にはやはり無表情が覗いている。


「……何?」


 胸の前に構えた細腕には綿を詰めた手甲が付けられ、灰色の鷹が留まっている。

 濃灰色に黒を散らした優美な羽根が月に映えた。


「第二感染源の件なんだけど。あの、ここ半年の“開花エネルゲイア”の周辺に、感染源になりそうな人がいなかったかどうか、調べようって。昼間、アレクサンドラさんと話した件」


 彼女から調査班に任命されたのは、彼と第六子シックス――ミロウである。

 厳密にはミロウはアドバイザーという立場だったけれど。何しろ彼女の行動は学園内では目立ちすぎる。


「……何か分かった?」

「いや、まだ。生徒会所属だったキャスリン・ロムさんの周りに、感染源らしい人は見当たらなかった。でも、他の感染者の素行とか人間関係の情報は生徒会で手に入れたから。明日、また他の感染者を調べてみようかと思うんだ」

「……うん」


 ほんの微かに――注意していなければ分からない程度の角度でミロウが頷いた。

 たったそれだけのことで、何故か少しだけ嬉しくなる。


「……キャスリン・ロムの“開花エネルゲイア”は、珍しいケースだった」


 ゆっくりとこちらへ向き直った彼女の瞳は、月を映して黒く艶やかな光を放っていた。


「同時に二体の“禁忌フォビドゥン”が現れた。“結実エンテレケイア”はしなかったけど、メンバーを分けないといけなかったから、手間がかかった」


 夜の静寂でなければ、聞き取れなかっただろう。

 しかし今までに聞いたことがないぐらい、ミロウの語りは長く滑らかだった。


「もう一人の“開花エネルゲイア”は、テオドア・デューン。トーマス教室の第三学年」


 彼女は諳んじた。

 セシュナは生徒会室から持ち出した名簿を確認する。その名前は、確かに記載されていた。


「……今までの“開花エネルゲイア”、全部憶えてるの?」


 ミロウは頷いた。


「学園の生徒の名前と顔は、大体」

「それは……すごい記憶力だね。大変じゃなかった?」

「ううん。もしかしたら、仲良くなれるかも、って思ってたから」


 不意に。

 鷹――キーラが鳴いた。独特の高い声が、波紋じみて夜に響き渡る。


 ミロウはわずかに、頬を緩めた。雲間から差し込む月光のように、ささやかな微笑み。


『ええ、行ってらっしゃい。キーラ』


 音がしない言葉で、そう囁く。


(まただ。聞こえない声)


 精霊――あの意志を持つ業火や成長を続ける木匙を生み出した時と同じ。

 まるで意思そのものを響かせるような。


「ミロウさん。今の声って、魔法マギアなの?」

「……えっ」


 キーラは、もう一度高い声を上げてから翼を広げた。ただでさえ大きなシルエットが、とうとうミロウの姿を飲み込んでしまう。

 吹き込んできた西風に乗って、キーラは夜空へと舞い上がっていった。


 空に昇りながら、鷹の影は見る見る光を零し始める。星屑が見せる錯覚かとも思うが――影はやがて青い輝きへと、溶け出していく。やがて軌道の最高点に達する頃には、鷹よりもっと神々しい何か――火の鳥のように、尾を引いて夜空に消えていった。


「……聞こえたの?」


 彼女の黒い瞳は、光る鳥を追いかけてはいなかった。

 ただ、大きく見開いて、こちらに向けられている。


「えと、声――今の、言葉? ミロウさんが魔法マギアを使う時は、いつも聞こえてた、けど」


 気圧されながら、セシュナは頷いた。


「……聴き取る者アクセプター。信じられない」


 聞きなれない言葉を、彼女は独りごちる。


「アクセ……えっと、どういう意味?」

「真実を受け取る者。人より旧く、精霊よりも近き者。命の答えに届くための資格」


 思わず首を傾げたセシュナに、ミロウは追い打ちをかけてくる。


「エルフはウユララ――”静寂の言葉ウユララ”で世界に眠る精霊と語り、目覚めさせる。普通の人間に”静寂の言葉ウユララ”は聞こえない。その必要が無いから。聞き取れるのは古妖精フェアリィの血を引く者。そして、真実に至る者――聴き取る者アクセプターだけ」


 セシュナは少し黙ったまま、話を整理する。


(ええと……僕は”静寂の言葉ウユララ”が聞き取れるってことか。ミロウさん達のようなエルフじゃないのに。ん? なんで?)


 それは何故なのか。何を意味するのか。

 確認をしようとセシュナは顔を上げたが。


 その時にはもう、ミロウの目は夜空へ向けられていた。光る鷹キーラが飛び去った東の方角へと。


聴き取る者アクセプターは皆、キーラのようになる。自分の中に眠る精霊に導かれ、生きながら精霊に至る。迫る死を越えて、なお形を、心を失わず。……エルフの伝承」

「僕が……精霊になれる、ってこと?」

「……実際になった人は見たことない。聴き取る者アクセプターに会ったのは、はじめて」


 ミロウは小さく頭を振った。


「……調査の話は、終わり?」

「あ……えっと」


 話したいことはたくさんあった。けれど、何から話せばいいのか、何を問うべきなのか。

 結局セシュナは一番気になっていたことを口に出す。


「ずっと、聞きたかったんだけど。あの時、ミロウさんは何て言ったの?」

「……あの時?」

「初めて会った時――僕を、風紀委員から助けてくれた時」


 問い掛けに、ミロウはやはり視線を返すだけだった。

 だが、口を少し開いたような彼女の表情。


 セシュナには見覚えがあった。

 下宿で挨拶をした時と同じ――ミロウは虚を突かれたのだ。


「――ごめんなさい、って」


 ミロウが言っていることの意味が分からず、しばらく立ち尽くす。


「……えっ。謝ったの? 僕に? な、なんで?」

「ややこしく、なるから」


 それだけで分かるとばかりに、ミロウは言い切る。


「……どういうこと?」

「ネイティヴって、分かる?」


 セシュナは――ゆっくりと頷いた。


 約五百年前、無謀なる冒険家シェリィ・オーティンによって発見された新大陸アカシア旧大陸ユートリアからの来訪者は、そこに住まう人々――古妖精フェアリィの末裔たる妖精族エルフ原住民ネイティヴと呼び、様々な手段で交流・・を図った。


 その結果が、史上初の大陸間戦争――俗に人妖戦争エルブン・ウォーと呼ばれる戦いだった。


 この戦争を経て、新大陸には二つの独立国家が樹立した。

 一つは、旧大陸からの移民による独立国家、アカシア連邦共和国。

 そしてもう一つは、原住民ネイティヴ――エルフによる独立国家、シオン妖精王国。


 新大陸に並び立つ二つの国家は、現在では良き隣人とされ交易や人材の交流も盛んに行われている。

 あくまで表面上は。


「私が関わらなければ、風紀委員の人達も、あなたをしつこく追い回したりはしなかったと思う」


 セシュナはその歴史を知っていた。


 しかし、今ここに暮らす人々が何を感じ、何を考えているのか。

 想像していなかった。理解していなかった。


(……もっと知らなきゃ。ミロウさんのこと。この学園のこと。この国のこと)


 でも、まずはその前に。


「……あの」


 セシュナは言った。


「僕は、嬉しかったよ。学園に来たばかりで、全然何も分からなくて。だから、あの時ミロウさんが助けてくれて――優しくしてくれて、すごく嬉しかったんだ。その、お礼がしたくて」


 ミロウにとって慰めや同情に聞こえなければいいと、思う――少なくとも彼は、本心を告げているつもりだった。


「……ありがとう、ミロウさん」


 ミロウは無言のまま。

 再び背を向けて夜空を見上げる。


「あなたは……お人好しだと思う。セシュナ君・・・・・


 その時。

 セシュナは――じわりと笑みがこみ上げてくるのを、抑えられなかった。


(初めて呼んでくれた。僕の名前を)


 彼女の後を追うつもりで、目線を上げる。

 月の明かりが空を群青色に照らし、雲の輪郭をくっきりと浮かび上がらせていた。白く透けた天幕の内側で幽かに星が瞬いている。時折遮るように、キーラの翼が空を瞬かせた。


 言葉が、ふと漏れる。


「お人好しなのは僕じゃなくて、ミロウさんだよ」

「……別に。たまたま、通り道にいただけ」


 言い訳するようにミロウが言う。

 セシュナはつい、小さく笑ってしまった。


「たまたま見かけたからなんとなく助けた、ってこと? それ、お人好しのやる事だと思うよ」


 今まで見たことがないほど素早い動きで、ミロウがこちらを振り向く。


 そして――もしかすると、学園でセシュナが初めての目撃者かもしれない――白い頬を赤くして、口を尖らせて。


「……違うもん」


 拗ねたようにミロウが呟く。

 セシュナはとうとう堪え切れず、夜空に笑い声を響かせてしまった。

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