第四章――ざわめくは学園の風
第20話 鉄壁生徒会長の胸の内
窓の外を、青い葉がいくつか舞っていた。かたかたというガラスが揺れる音で、風が強くなってきたことに気付く。あれだけ澄んでいた夕空も、いつの間にか暗く煙り始めていた。慌てて飛び立った鳥の群れが頼りない軌道で遠ざかっていく。
「今日は、この辺にしておくか」
ヒルデの言葉に、セシュナは我に返る。
「あ、えと、はい。もうこんな時間ですもんね」
夜が近づく生徒会役員室には、ヒルデとセシュナの二人しか残っていなかった。
公私ともに多忙な役員達は一時間前の下校時刻を境に帰宅し、最後まで残っていたルチアも名残惜しそうな顔で帰っていった――帰りたくない理由でもあるのだろうか。
「急にすまなかったな。本来は君に――非公式の役員にさせる仕事ではないんだが……予算編成の時期になると、どうしても人手が足りないんだ」
少し疲れた様子で、ヒルデが呟く。
「すごいですね、ティンクルバニア学園の生徒会って。半年ごとにこんな膨大な書類を片付けるなんて」
セシュナは目の前に積まれた申請書の山を眺めていた。
「予算編成は、生徒会にとって重要な仕事の一つだからな」
ティンクルバニア学園はそのモットーに違わず、学生達による自治を重んじている。
生徒会はもちろん、風紀委員など各種委員会や部活組織の運営も学生が自ら行う。一部には営利を得て自立している組織もあるが、ほとんどの組織は生徒会を通じて支給される予算を基盤にしている。そうした組織は、半年ごとに編成される予算の増減によって命運を左右されることになる。
「これに加えて、毎年秋には各委員会の役員選挙も行われる。これも生徒会の管轄だから、我々は夏休み前から準備を始めなければいけない」
ということは、生徒会役員には夏休みも春休みも存在しないのか。
我知らず、苦渋の呻きを漏らしてしまう。
「まあ、学園の自由は決して楽でも安くもない、ということだな」
苦味半分の笑みを浮かべると、ヒルデは整頓の終わった会長席を立った。
セシュナも、処理が終わらなかった申請書をキャビネットにしまって後を追う。
廊下に出ると、静けさは肌で感じられるほど濃厚だった。
部活動はとうに終わっている。今学内に残っているのは、教員かケテル階梯の研究者ぐらいのものだろう。
扉の施錠を確認したヒルデが静かに歩き出す。
「聖堂は空振りだったようだな。ルチアから聞いた」
セシュナは横に並ぼうとして、少し躊躇した。
彼女を相手にしらを切り通せるだろうか。
「……はい。流石ですね。『ミリアの子供達』の活動の痕跡は残っていませんでした。なので、次は別の角度から調べようかと思ってます」
切れ長の眼差しに促されて、続ける。
「被害者の生徒について調べれば、何か手がかりがあるんじゃないか、って」
ここまで、嘘はついていない――本当のことを全て話したわけでもないが。
『ミリアの子供達』の被害者とは、つまり“
生徒会の調査でも『ミリアの子供達』の調査でも、結局は同じ対象を調べる必要がある。そして生徒会の非公式役員であるセシュナなら、堂々と情報を集めることができる。
「なるほど。昼間見ていた名簿と素行調査票は、その為か」
「数が多いから、ちょっと大変でしたけどね」
『ミリアの子供達』が保有している資料では、被害者に目立った共通点はなかった。学年に性別、所属組織や部活動、出身地や居住地。資料はどれも学園を運営する評議会のもので、形式的なものに過ぎなかったせいだろう。
より学生に近い位置にある生徒会なら、被害者の行動についても詳しい情報があるとセシュナは期待していた。
そして見つけてしまった。
「……それで、ヒルデさん。調べた内容について……少し相談に乗ってもらっても、いいですか。半年前、去年の秋頃に自主退学したキャスリン・ロムさんのこと」
ぴくりと。
ヒルデの頬が強張ったのを、セシュナは見逃せなかった。
「当時は生徒会役員で……ヒルデ会長の補佐をしていたと、調査票にはありました」
彼女は前を向いたまま、小さく頷く。
「ああ。キャスは優秀な役員だった。私にとっては、良き友人でもあったよ」
二人は北棟の端に着いた。最上階の五階から一階まで、塔の壁に沿った螺旋階段を降りて行く。手すりから下を覗くと、一階の床に描かれた巨大な天使のモザイク画が見える。
「彼女は野心的な学生だった。医学や化学に対しては特に熱心で、ケテル階梯への進級を目指していた。特待生の資格こそ無かったが、あの成績ならば充分現実的だったと思う」
ケテル階梯。
学園最高峰の研究機関であり、多くの学生が目指す学問の頂点。
セシュナ達が所属する教養課程の上には、特定の分野について深く研究を行う専門課程がある。ケテル階梯は専門課程の更に上に位置し、アカシア連邦共和国が謳歌する繁栄の原動力とも称される。
「……可能性として、確かめたいんですけど。キャスリンさんが自ら退学する理由は、本当に無かったと思いますか」
例えば、経済的な理由。あるいは人間関係。学問での行き詰まり。
螺旋階段の明かり取りは矢窓のように小さく、夕方は特に薄暗い。
そのせいか、セシュナにはヒルデの顔がよく見えなかった。
「逆に、何か理由があればいいと思ったよ。私には話せないような悩みや問題を抱えていて……それが原因で、密かに学園を去るしかなかったんだと」
だから、ヒルデの声が微かに震えていることに気付いても、セシュナには何も言えなかった。
ヒルデは確信しているのだ。
『ミリアの子供達』の犯行を。そして――キャスリン・ロムの行方を。
「……キャスの家は決して裕福ではなかった。だから学内では色々な噂も立った。根も葉もない中傷に過ぎないが。本当の理由を知りたいのは、私の方だ。彼女の名誉の為にも」
苦々しい言葉が、静寂の尖塔に殷々と木霊する。
セシュナは、続けて訊ねるべきなのか迷った。
けれど、知らずにはいられない。
理由は自分でも分からない。彼女に協力する者としての権利だと思ったのか、既に彼女を裏切りつつある者としての責任だと思ったのか。
「……もしも。キャスリンさんが……
ヒルデは一瞬だけ、こちらに目を向ける。
暗がりの中で緑に輝く瞳は、微かに揺らいでいるようにも思えた。
「そうだな。原因にもよるだろうが――
絞り出すようなその声が、セシュナの耳朶に焼き付く。
「――そう、必ずだ」
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