第14話 魔を撃ち祓うは少年少女
長い髪がタールのように垂れ下がり。艶やかな黒曜石じみた光を放つ肌。
少女の裸身を再現しようと言うのか、影はどろどろと変形を繰り返す。
セシュナはぎこちない身体を叱咤して、ようやく立ち上がった。
「こんなモンスター――見たことない」
「……あなた、恐ろしくないの?
エルダーが呟く。
「勇気? それとも無知? ――いえ、詮索は後にしましょう」
手にした真っ黒い傘を少女のような闇へ差し向けると、エルダーは、
「――行きますわよ、皆さん」
そう宣言し――構えた傘が
少女の形をした闇の肩が弾け飛んだ。
闇が声を上げた。
それは悲鳴とも歓喜ともつかない、魂を削るような音の津波。
ただ空気の震えだけで、身体が吹き飛ばされそうになった。
「こんのぉぉぉぉっ!!」
暴風に逆らい少女――フォースが踏み込んでいく。黒い板金製のガントレットとブーツを鳴らして、流れるような左から右のコンビネーション、続け様の上段回し蹴りが頭部とらしき箇所を直撃した。
鈍い打撃音と共に、ゲル状の長い髪が飛び散るが。
真っ黒い手が彼女の足に絡みつく。
「――こいつ、速……ッ」
フォースの身体は軽々と振り回され――砲弾の勢いで投げ放たれた。悲鳴が尾を引き、遠くホールの壁で鈍い音に変わる。
セシュナは反射的に、彼女を追い掛けようとして。
「……離れないで」
冷たい声に捕えられる。
少女――シックスは身の丈ほどもある錫杖を身体の前で構え、漆黒を見据えていた。
「あの人は平気。迂闊に動くと、あなたが死ぬ」
仮面の下から零れる声は朝露のようで。
「……その声――」
セシュナは思わず、彼女の
「避けろ、アホンダラ!」
ニザナキの警告で、我に返る暇さえ無く。
直感に従い、セシュナは目の前のシックスを押し倒した。
背後を銃弾めいたものが通り過ぎて行く。
少女の形をした闇が振り回す右腕は馬上槍よりも長かった。
そのまま二人床を転がるようにして、追撃をかわす。
「斬り裂け、
ニザナキは詠唱と共に生み出した無形の刃で、少女の似姿へと斬り掛かる。
受け止めたのは、闇が構えた左腕。いつの間にか平らかな楯へと変じていた。
エルダーが再び放った散弾でも砕けない。
「もう適応してるなんて――ッ」
反撃の右腕をぎりぎりまで伏せて躱しながら、エルダーが傘を振るう。黒い傘が――否、散弾銃が手元で折れると、空薬莢が宙を舞った。同時に、次弾が薬室へ装填される。
二発目、排莢、三発目。
少女の似姿は恐ろしい程に俊敏だった。
骨格が無いのか、胴をまるごと捻るような軟体ぶりで火線をかわし、いなし、弾き飛ばす。
しかし一方で、繰り出される右腕の一閃はニザナキが生み出す光の障壁に阻まれる。
「防げ――
金属が打ち合うような音がして、俄に火花が弾けた――
『轟々と』
そして、またしても、あの声がする。
セシュナは身体の下に庇っていた、シックスの顔を――その仮面を確認した。
『風鳴り。淡き暁。朽ち果て』
声ではない。少なくとも、仮面は僅かも震えていない――大気を伝わない、その言葉で。
彼女は身を起こしながら、歌うように囁き始める。
『紡げ。解け。愁然。遥か。妙光』
傍らを風が駆け抜けた。
「お、か、え、し、だあああぁぁぁぁっ!!」
気炎を吐きながら、いつの間にか駆け戻ってきたフォースが、床を蹴る。
漆黒の少女は素早く反応するが、右腕をエルダーにかわされ、左腕でニザナキの
唸るような空中後ろ回し蹴りが衝撃波と纏って、闇の頭部を撥ね飛ばす。
否。
そればかりか、両腕が肩口からぼとりと落ちて。
「――――!?」
誰もが判断を迷わせた、その隙に。
少女型の闇は黒い雫を撒き散らしながら、弧を描き、鋭角を描き、宙を舞う異様な走りで包囲網を躱し――こちらへと突進してくる。
(シックスの
エルダー達が足止めしている隙にシックスの「声」で一撃必殺を狙う戦術。
少女の形をした闇はそれに気付き、起死回生の手段に打って出た。
(あいつ、普通のモンスターより賢い)
つるりとした黒い胸元が、縦一文字に開く。
中から溢れ出したのは、短剣じみた無数の牙と赤黒い舌のような触手。
艶かしい肉塊は一瞬にして倍以上に膨れ上がり、蠕動する――
セシュナはシックスを突き飛ばし、同時に自分の身体を反対へと逃がした。
触手が吐き出す粘液。白い床が異臭と共に焼け爆ぜる。
「酸――ってレベルじゃないな、この威力!」
それを身体に浴びればどうなるかは考えたくもない。
残った露を振り飛ばしながら触手が震えた。みるみるうちに再び膨張した肉色の鎌首がシックスを示す。
「そうはさせるかっ」
セシュナは飛び出した。
作戦などない。
ただ、手刀を叩き込む。触手を打ち下ろすように。
「――――っ」
皮膚を通して肉をも灼く痛み。そして暴発した粘液を浴びて、爆ぜる床。
「何という無茶を! 素手であんなものに触れるなんて!」
「僕のことはいいからッ、早くとどめをッ!!」
エルダーの叱責を無視して、セシュナは黒い少女の膝を蹴りつけて床にひれ伏させた。
『森羅。泳ぐ鳥。古き降るべ。滅却。蕭然』
いつの間にか。
声なき歌は光へと変わっていた――輝く文字の連なりが、シックスの周囲を舞い踊るように渦巻いていく。
見たことのない、意味など分かりようもない紋様の帯。
(なんて、綺麗な)
「撃ち抜け、
撥条のように飛び起きた闇の塊を、迸る電雷が縫い止める。文字通り落雷に打たれたように影が大きく痙攣した。
それを追い打つ銃声が、二度三度と響き渡る。
「そろそろですわね――皆さん、伏せてっ」
やがて渦巻く光条は速さを増し、光の球となってシックスの錫杖を取り巻き。
――彼女はその長大な杖を床に突き立てた。
『起きて。イフリート』
宝珠と化した言葉が眩く弾け。
石突が生んだ火花は嘘のように巨大な業火へと膨れ上がった。
空間を照らし出すどころか、丸ごと飲み込みかねない程の紅蓮。
火炎の渦はやすやすと闇を飲み込む。漆黒の少女は逃れようともがきあがくが、猛る炎は意思を持つかの如く彼女を捕らえて離さない。
まるで無慈悲な炎の魔人に弄ばれたように。
少女の影が踊り、焼け爆ぜ、飲み込まれていく。
――溶け落ちていく黒い手が、それでも伸ばされる。
「……さよなら」
燃え立つ指を、シックスと呼ばれる少女は避けようともしなかった。
「さよなら。ダナ・ラーミー」
闇は虚しく蠢きながら、やがて形を失う。
彼女は黙ってその様を見届けていた。
「……ごめんなさい」
黒い水溜りが蒸発し終えるまで。
セシュナもまた、無言でそれを見つめていた。
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