第10話 人呼んで、ファースト・レディ

「――社交クラブへようこそ、セシュナ・ヘヴンリーフさん。わたくし、アレクサンドラ・レインが歓迎いたしますわ」


 日差しが遮られた天幕の下は別世界のように涼しく、その上、甘く煙るような香りが漂っていた。


 中心では、まさに別世界の主ともいうべき少女が笑みを浮かべている。

 アレクサンドラ・レイン。三人目サードの特待生。“第一淑女ファースト・レディ”の二つ名が揶揄や皮肉でない事は聞いていたけれど。


「すみません。その、急にお邪魔しちゃって」

「とんでもない。むしろ、こちらから声をおかけしようと思っていたところでしたのよ」


 アレクサンドラはまさに絶世の美人と呼ぶに相応しい、華やかな容貌の持ち主だった。ブルネットに載せられた黒いベレー帽も黒一色の制服も、胸元の赤いリボンも、まるでオートクチュールのように着こなしている。薔薇色の頬にしみ一つないのは、日陰でさえ欠かさない白い日傘の恩恵だろうか。


「今日の社交クラブは、あなたの噂で持ちきりだったんですもの」


 そして微笑みかけてくるアイスブルーの眼差しには、どこか人を試すような光があった。


「一応食べ物もらってきたよ、アレクサンドラ先輩」

「アシュ先輩のはグチャグチャだからダメ~。お姉様・・・にはケーテがチョイスしたフルコースを食べてもらうの!」


 騒がしいアシュとケーテに、アレクサンドラは柔らかく微笑むと、


「ありがとう、二人とも。皆でいただきましょう?」


 やんわり収める。

 セシュナはじっと――その様子を見ていた。


 どこかに裏があるのではないか、と思いながら。


「ああ、セシュナっち。一応、この人も紹介した方がいい?」


 彼の沈黙をどう受け取ったのか。

 アシュの提案に、セシュナは素直に頷く。


「アレクサンドラ先輩は社交クラブの部長で、フィリップ教室の三年生。噂は聞いたと思うけど、お父さんが副大統領のスーパーお嬢様」

「人呼んで“第一淑女ファースト・レディ”!! ねえ、セシュナ先輩にも分かるでしょ? お姉様・・・の眩いほどの美しさと溢れる気品!」


 半ば割り込むように引き継いだのはケーテ。


「大袈裟ですわ、ケーテ。聞いているこちらが恥ずかしくなってしまいます」


 アレクサンドラが頬に手を当てる仕草は、まさに優美。ケーテの力説も確かに頷ける。

 セシュナはふと思い付いたことを口に出した。


「えっと。ケーテさんとアレクサンドラさんは、姉妹なんですか?」


 ケーテは勢い良く頷いたが、アシュが容赦なく首を振った。


「まあ、なんていうの? 横恋慕? じゃなくて、義兄弟? みたいな」

「せめて義理の姉妹って言ってください! でも、ケーテとお姉様には、血よりも濃い絆があるんです! ね! お姉様!」

「ありがとう。そんなに慕ってくれるなんて、嬉しいですわ」


 セシュナは顎に手を当てて、しばらく考え込み――恋とは? 友情とは? 家族とは? 兄弟とは? 絆とは? 人と人とのつながりとは?――よく分からなくなったので諦めた。


「とにかくお座りになって。是非お話を伺いたいもの」


 言いながら、アレクサンドラも席についた。


 天幕で作られた影の中心には、白いクロスがかけられた丸テーブルを囲んで、ちょうど四つの椅子が置かれていた。

 促されるまま一番奥に座ると、ますます場違いなところに来てしまったような気がする。


「学園はいかがです? まだお慣れにならないかしら」


 アレクサンドラはあくまで優雅で、悠然としていた。音もなく現れた従者に日傘を渡しながら、何か申し付けている。


「ええと……正直、戸惑ってます。いきなり七人目セブンスとか呼ばれたり、なんか、その、変な渾名付けられたり」


 自分で運んできた料理の山に挑み始めていたアシュが、勢い良く吹き出した。


「はははっ、まあ確かにねー。あたしも、まさか“魔女”呼ばわりされるとは思ってなかったし。近づいたら殴られるとか目が合ったら全身の骨を砕かれるとか、勘弁してほしいよね」

「アシュ先輩は自業自得でしょ。この人、入学式で風紀委員を十人も病院送りにしてるんですよ~。魔女じゃなきゃゴリラじゃないですか?」

「あたしなんか全然、セシュナっちなんか二十人だよ! 二倍だからね! ていうか、それを言うならケーテなんてこの前、初等科に間違えられてたでしょ」

「ふん、ケーテはまだ成長途中なんです~。これからに期待なんです」


 アシュのからかいには構わず、ケーテはツンとしたすまし顔で、牛肉のポワレを切り分けている。どうやらアレクサンドラに献上するつもりらしい。


「注目を受けるというのは、悪いことではないと思いますわ。評判を利用すれば、どのようにも立ち回れますもの。他の方々に埋もれてしまうより、よっぽど良いのではないかしら」


 微笑んだまま、アレクサンドラ。

 物腰の柔らかさとは裏腹に、強かな物言いだった。彼女が学園で一目置かれる理由も、そこにあるのかもしれない。


 傍らのグラスに、陶製の瓶から炭酸水が注がれた。弾ける泡が舌に心地良い。


「でも特待生って、言われるほど特別な存在なんでしょうか? 学費とか生活費とか、お金の面で援助してもらえるのは、確かにありがたいですけど……」


 思い切って問いかける。

 資金の問題など毛ほどもなさそうなご令嬢は、溜め息を漏らした。


「特待生が学園で一定の権力を持っているのは、事実だと思いますわ。皆優秀な生徒ですから、自ずとそれぞれの分野で成果を挙げるのでしょうね。それを特権と呼ぶかどうかは、受け取る側の問題かもしれませんわ」


 アイスブルーの目は笑顔以上の感情を宿しているようには見えない。

 アシュが肩を竦めて、飲み干したグラスを卓上に置く。


「とはいえ、副大統領の娘と揉めたらタダじゃすまない、と思うよね。普通」

「まあ、心外ですわ。わたくしは、己が為すべきと思ったことを為しているだけですのに」

「そうです! お姉様・・・のことを悪く言う連中なんて、みんな爆発すればいいんです!」


 ケーテは鼻息荒く叫びながら、小さく切った牛肉をアレクサンドラの皿に移していた。

 セシュナもおこぼれに預かってみるが――それは、彼が知る牛肉とは全く異なる食べ物だった。バターのように柔らかく、旨味が口の中に溢れていく。


「……特待生の皆さんって、普段から一緒に食事してるんですか?」


 二つ目の質問。

 アレクサンドラが小さく頷いた。肩から滑り落ちた髪が、吹き込む風に揺れる。


「皆、同じような苦労や悩みの多い立場ですもの。全員揃って、という訳には参りませんけど。セシュナさんの噂も、今朝の朝食会でお伺いしたのですわ。入学初日に、あのジャン副委員長を病院送りにするなんて。わたくし、とても爽快な方だと思いましたの」

「いや、その……なんていうか、手を下したのは僕じゃないんですけど……」

「謙遜なさらなくても結構ですわ。“騒嵐運手ストーム・ブリンガー”さん。ヒルデ会長も、あなたを絶賛していらしたもの。あの完璧主義者が、是非生徒会に誘いたい、なんて。何かお願いしたいことでもあるのかしら・・・・・・・・・・・・・・・・・?」


 予想外とまでは言わないが。

 不意打ちに近いタイミングではあった。


 アレクサンドラは毛ほども笑みを崩さずに、こちらを見つめている。まるで反応を伺うかのように。

 セシュナは出来る限りの精神力で平静を装った。薄く張った氷を思い起こさせる視線に、全てを見透かされたような心地になる。


(もしかして、アレクサンドラさんは気付いてるのか)


 セシュナが――いや、ヒルデが何を調べているのか。

 ひょっとすると、アシュが彼を見つけたのも偶然ではなく。


(だとしたら、ますますチャンスかもしれない)

「そういえば――セシュナさんは、ミロウさんと同じコール博士のお屋敷に、お部屋を借りているのですってね?」


 どこからそんな話を仕入れてくるのか。まさか本人からだろうか。


「えっ? セシュナっち、ミロウと一つ屋根の下なの?」


 セシュナが答える前に、食いついてきたのはアシュだった。


「え! い、いや別に、同じ下宿ってだけで」

「なーんだ、流石だね色男。で? どうなの? 口利いてくれた?」


 酷く初歩的な質問。

 セシュナが彼女の立場だったら、同じことを訊いたかもしれない。


「え、うん。一応、挨拶の握手ぐらいは」


 ――天幕が、俄にざわめいた。


「まあ! あのミロウさんが?」

「えっ、ミロウ先輩って、妖精族エルフ以外が握手すると火傷するんじゃないんです!?」

「ちょっと! セシュナっちはアレなの? なんかその、アレなの? 恋泥棒なの? 心の鍵開け専門なの?」


 どこから答えればいいのか、分からなくなる。


「あの、下宿屋の女将さんが紹介してくれたからで、別に仲が良いとかでは」

「いやいや、ちょっと変わってるとは思ってたけど、伊達に特待生やってないね! 付き合うの? いつ付き合うの?」


 熊殺しの格闘家や副大統領の息女に比べれば、セシュナなど普通にも程があると思うが。


 この際だ――彼女達の興味を利用させてもらうことにする。


「あの、ミロウさんって言えば、少し気になることがあって」

「何? あ、スリーサイズ? あの娘、ああ見えて結構スゴイらしいよ」

「あらあら、そうなんですの? 確かに、いつも肩こりを気にしてらっしゃいますものねえ」


 アシュの話は聞こえなかったことにして、続ける。


「……今朝、話をした時。彼女のカレッジリングに、血が付いていた・・・・・・・んです」


 セシュナは、こちらに視線を集めた三人の顔を見返しながら。


「もしかして風紀委員の人達と、何か揉めたんじゃないかと思って」

 出来るだけ真剣な顔で――言葉を紡いだ。

「それは心配ですわね。あの通り寡黙な人ですもの、何かあってもなかなか話してはくれないでしょうから」


 切り返してきたのはアレクサンドラだった。物憂げな表情で、溜め息を零す。


「……どっちかっていうと、あたしは風紀委員の連中が心配だけど。あの子、怒らすと怖いし」

「ミロウ先輩も、アシュ先輩には言われたくないと思いますけど」


 アシュとケーテが軽口で請け負う。


 セシュナは少しだけ笑って、グラスの中身をもう一度含んだ。いつの間にか乾いていた口に、炭酸は痛いぐらいの刺激だった。

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