第9話 秘密結社の影を探して

(『ミリアの子供達』の正体を探る。そうすれば、生徒会が風紀委員の連中から守ってくれる)


 ヒルデは抜け目ない人物だと思う。

 初めからセシュナに選択の余地は無かったのだ。


 この学園に居続けるなら、風紀委員とのいざこざは必ず解消しなければならないのだから。


(生徒会は学生の為にあるって言ったのに)


 そう切り返すと、ヒルデは真顔で言い切った。

 学生もまた、生徒会を通して学園全体に貢献する義務がある、と。


(……まあいいか。どの道、黒ずくめの連中のことは気になってたんだ。後ろ盾があった方が助かるよね)


 そうしてセシュナは、生徒会特例役員という仰々しい肩書と、不審な退学者にまつわる噂を調査するという妙な責務を背負うことになったのだった。


「えーっと……もしかして……セシュナ、君?」


 おずおずと声をかけられて、振り向くと。


 並べられたテーブルの一つから、長い金髪を揺らしながら少女が歩いてくるところだった。手には種々の料理が盛られた白磁の皿。


「やっぱり! なんだかみんな遠巻きに見てると思ったら……あっ、私の事、憶えてます?」


 喜色満面に問いかけてくる少女――その眩しさを、忘れるはずもない。


「――君は……イザベラさん!」

「はい! えへへ、またお会いできるなんて、嬉しいです」


 白い頬に差す、薔薇色の笑み。


「すいません、僕の方から、あの時のお礼に行こうと思っていたのに」

「そんな、大袈裟ですよ。あの馬車では……その、私も失礼なこと、しちゃったし」

「いや、その……あの、あはは」


 セシュナは急に気恥ずかしくなって、思わず頬をかく。


 中天まで昇り切った春の日差しが眩しい。

 聖堂のある中庭は昨日までとはうって変わって、学生や教師、卒業生の紳士淑女など、老若男女で溢れている。円状に並ぶ植え込みを縫って置かれた数多のテーブルには瑞々しい花が飾られ、見事な料理が並べられていた。校舎に寄り添うように設置された天幕の下では、見たこともない飲み物が、純度の高いグラスに注がれてきらきら光っている。


(こんなに素敵なパーティなのに、どうも視線を感じて混ざりづらいんだよなあ……)


 時々「キレるとヤバい」とか、「風紀委員二十人が病院送り」とか、「目が合うと死ぬ」「話すと燃える」「触れると溶ける」とか、小声で聞こえてくるけれど、多分、気のせいだろう。


「……もしかしてセシュナ君、誰かと待ち合わせですか?」


 セシュナはすぐさま首を振って、それから、どう答えたものか迷う。


「いや、その……ちょっと見物してて。こんな立派なパーティ、今まで見たことなかったから」


 それは、社交クラブが主宰する春季園遊会というイベントだった。

 社交クラブとは、学園評議会に認可された課外活動組織の一つで――要するに資産家の子弟が集う、文字通り新大陸アカシア社交界の縮小版らしい。


(そんな大袈裟な……って思うけど、これ、わざわざ講義まで潰してやってるんだよね。市議会議員とかも来てるし)


 新大陸における成功の登竜門とされる学園でも、更に上流階級の集いとして評議会は元より市政にも影響力を持っているのだとか。


「素敵なイベントですよね。私、こういう賑やかなの、大好きです」

「ですね。っていうか、イザベラさんこそ、連れの人は?」


 イザベラは軽く首を振って。


「いえ、私はちょっと……お仕事というか――それより、セシュナ君もどうですか? お食事まだですよね? 美味しいですよ、もうすっごいですよ!」


 料理の載った皿を差し出してくれる。腹の虫を呼び覚ます、耐え難いほど芳しさ。


「わぁ……これ、僕が食べていいんですか?」

「はい、もちろん!」


 言いながら、彼女は銀のフォークを手に取った。

 綺麗に盛られたトマトソースのパスタを一すくいすると。


「これなんて、ホント、もうほっぺた落ちちゃいますよ?」


 目の前に差し出されて――まぶされた黒胡椒が香る――セシュナは一瞬だけ、世界が静止したような感覚を味わった。


「え――っと、その、あの」

「どうしたんです?」


 不思議そうにこちらを見つめるイザベラに、何か訴えようとするが。


(いやその。これ、『あーん』ってヤツでは!?)


 話には聞いたことがある。本でも見たことがある。

 恋人同士が愛情を確かめるためにやる、定番のアレ。


(いいの!? これいいの!? 都会の人達ってみんなそうなの!?)


 セシュナはあたふたとした挙げ句、イザベラの無邪気な表情に勝てず、観念してパスタに食らいついた。


「どうですか? どうですか?」


 セシュナは答えられない――麺の茹で具合は絶妙で、トマトの香りも甘みも申し分ないのだけれど――何故か、味が分からない。


「あの。お、おいしい、です」


 必死の思いで、それだけを口にする。


「ですよね! 社交クラブの皆さんが招いた料理人の作られる料理って、ホント凄いんですよ。私、楽しみすぎて、朝ご飯抜いてきちゃって」


 イザベラはうんうんと頷きながら、同じフォークで今度はローストビーフを口にする。


(えっ、それ、僕が使ったフォーク、そのまま……)


 桜色の唇が銀器を含むのを、セシュナは信じられない思いで見届けた。


「あ、これも食べます? 美味しいですよ、お肉!」

「あっ、はい。食べます……」


 極上の笑顔で、鼻先に肉を差し出されては抗えない。

 恐る恐る口に入れた瞬間、セシュナはとろけるような幸福感に包まれた――


「あー!! いた! セシュナっち!」


 突然呼ばれて、むせる。


「わ、ちょ、セシュナ君!? 大丈夫ですか!?」

「ちょっとー、アシュせんぱーい! お皿っ! お料理こぼれちゃう!」


 聞き覚えのない少女の悲鳴を置き去りにして。

 軽やかなステップでアシュ・パーペルンが駆け寄ってくる。


「へー! やるねセシュナっち! 早速女の子連れちゃって、色男だねー、隅に置けないなー」


 絶妙に炙られた牛肉の味を楽しむ間もなく、セシュナは必死で頭を振った。


「いや、違っ、その、イザベラさんとはたまたま会っただけで、別にそういう間柄では」

「あら。でも私は、セシュナ君と会えるといいな、って思ってましたけど」

「えっ!? ちょ、それはどういう意味で――あ、イザベラさん、もしかして僕のことからかってます!?」


 微笑むイザベラを前に、セシュナは赤面を抑えきれなかった。


「アシュ先輩、置いてかないでくださいよー!! ケーテびっくりしちゃったじゃないですか!」


 後から走って来た少女が、アシュの手を掴んで子供のように振り回す。

 結構な勢いに見えたが、アシュはびくともしなかった。


「ああ、ごめんねケーテ。ようやくセシュナっちを見つけたから」

「もー、ダメです、ケーテを放置するの禁止! 違法行為です!!」


 言って、少女――ケーテは頬を膨らませた。

 随分と小柄な少女だった。セシュナやアシュよりも、頭一つ分は背が低い。長い赤毛を二つにまとめた髪型や、豊かな睫毛に縁取られた碧眼は更に彼女を幼く見せている。


 甲高い声でひとしきりアシュへの鬱憤を晴らした後。

 ケーテはこちらへ向き直った。


「ごめんなさい、大きな声を出しちゃって。初めまして! アシュ先輩と同じレイチェル教室のケーテと言います。以後、お見知りおきを!」


 白いフリルが付け足された制服のスカートを摘み上げて、静々と頭を下げる。


旧大陸ユートリア南部の挨拶だ……新大陸アカシアでは初めて見たな)


 セシュナは同じ南部流に、左胸に掌を当てて。


「えと。僕はタチアナ教室のセシュナです。よろしく、ケーテさん」

「知ってますよ~。七人目セブンスの特待生、人呼んで“騒嵐運手ストーム・ブリンガー”先輩!」


 満面過ぎるほどの笑みで、少女――ケーテが言い放つ。

 その瞬間、セシュナは肩に重苦しい物がのしかかってきたのを感じた。


「えっと、それ……もしかして、僕の渾名?」

「色々噂も聞いてますよ~、嵐に乗って新大陸まで飛んできたとか、空飛ぶ馬車から落ちても無事だったとか、入学早々食堂ごと風紀委員を吹っ飛ばしたとか!」

「そんな無茶苦茶な……ていうか最後のは僕じゃないんだけど!」


 昨日の今日で一体誰が噂を流したのか。


「あの、普通に、セシュナって呼んでもらえると嬉しいな」

「先輩の武勇伝、もっと聞きたいな~。ね! 良かったら、ケーテ達と向こうでおしゃべりしません?」


 尻尾を振り回す子犬さながらに、ケーテが詰め寄ってくる。


「あー、そうそう。あたし達、あっちに席取ってるからさ。座って食べない? セシュナっち」


 アシュが右手に持っていたフォークで聖堂脇の天幕を示す。

 他とは一段違う、ゴージャスな装飾付き。社交クラブが占領している特等席だ。


「あ、ええと、でも、その……」


 セシュナはさり気なく、傍らのイザベラに目を向ける。


「……なんです?」


 返す声はどこか冷たい。

 訳の分からない居心地の悪さで、急激に喉が乾く。


「行ってきたらいいんじゃないですか? 折角のお誘いですし?」


 セシュナは弁解しようとするが、そもそもどうして弁解しなければならないのか分からず、魚のように口を開いては閉じた。


「よかったら一緒にどう? イザベラ委員長・・・も、さ」

「ごめんなさい。残念だけど……お仕事の途中ですから」


 アシュの提案に、イザベラは微笑んで――踵を返してしまった。

 セシュナは呼び止めようと、手を伸ばすが。


「はい、決まり~! ほら、行きましょセシュナ先輩っ」


 言うが早いか、ケーテが腕を絡ませてくる。左腕を包み込む絶妙な柔らかさが、セシュナの思考を狂わせた。


「ちょ、えっ、ケーテさんっ? あの、なんか、当たってるような」

「早く早く~、アシュ先輩も!」


 アシュの腕も掴むと、引き摺るようにケーテは駆け出した。


「んー、ちょっと今のは強引じゃなかった? ケーテ」

「えー? 何言ってんですか、こういうのは勢いですよ勢い!!」


 何やら言い交わす二人をよそに、セシュナは考える。


(……いや。これは渡りに船かもしれない)


 社交クラブに取り入るチャンス。


 ――秘密結社『ミリアの子供達』。その行動に規則性は無い。痕跡も無い。

 彼らの後に残るのは、消えた学生達の僅かな資料だけ。


 どう考えても単なる犯罪者ではない。

 秘密を漏らさない統率力、学生の身柄を隠滅する権力、全てを執り行う実行力。ただの狂気や出来心で出来ることではない。


 教師か生徒か、とにかく大きな力を持つ学園関係者が絡んでいるはずだ。


(例えば、社交クラブのメンバーとか)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る