第229話
翌日。
合崎との微妙な気まずさが払拭されたせいか、私はいつになく穏やかな気持ちで過ごしていた。合崎はまだ病室から動けないらしいので、「白」付属のショッピングモールで何か飲物でも買ってきてやろうと白い廊下を歩き出す。
すれ違う人々は、白衣を纏った科学者や医師ばかりだ。その中で白いワンピース姿の私はやはり浮いていると思うが、もう慣れたことだ。すれ違う人々の視線を肌で受け止めながら、私は先を急いだ。
「あれ? 噂の次期軍師ちゃんじゃないか」
ふと、背後から声をかけられ、私はその場に立ち止まる。振り返るより先に、声の主が私の前に姿を現した。柊と同年代のこの男性の姿には見覚えがある。いつか廊下でぶつかったり、柊が体調を崩した際に執務室で代理を務めていた柊の同僚だ。
「……お久しぶりです」
思えば名前も知らぬ相手だった。柊の同僚ということしか分からない。目の前のd男性は、軽薄そうな笑みを崩さずに続ける。
「柊くんが呼んでたよ?」
「……柊が?」
今日は込み入った用事があるから夕方まで会えない、と言っていたのに。何か急用でもできたのだろうか。直接私に連絡をするのではなく、同僚に私を呼ぶことを頼むことに違和感を覚えながらも、特に差し迫った予定も無い私は彼についていくことを決めた。
「典型的な誘拐の手口みたいな誘い方しちゃったけど、外ではこんな怪しい奴について行っちゃだめだよ?」
「……ご心配どうも」
柊の同僚はくすくすと笑いながら、私を塔の端へと導いているようだった。次第に人影が少なくなっていくことに若干の不安を覚えるが、ここは「白」の中だ。妙な真似は出来ないだろう。
「白」の中にこんなにも薄暗い場所があるのか。しばらく歩いてきた先で、私はそんな感想を抱いた。いや、正確には照明の照度は中心部と大して変わらないのだが、漂う空気が何とも重苦しく陰鬱なのだ。次期軍師として「白」に住み始めたときに、柊に大体の場所は案内してもらったのだが、このフロアは良く知らない。妙に静まり返った廊下には、殆ど人の気配が感じられない。
「……本当に、柊が私を呼んだんですか?」
あの過保護な柊が、特別な理由もなく私をこんな不気味な場所に招くとは思えなかった。数歩先を行く同僚の男性は顔だけ私の方を振り返ると、口元を歪ませる。
「どう思う?」
「……そんな返しをするということは、呼んでいないんでしょうね」
流石次期軍師様は聡明だなあ、などと呟きながら、男性は更に廊下の奥へと歩みを進めた。ここまで来てしまったのなら、私もついていく他に無い。
「このフロアにはね、様々な遺体が安置されているんだよ」
唐突に物騒なことを言い出す目の前の男性に目を見張りながらも、表向きは動揺を表さないようにして黙々と歩き続けた。
「病院で亡くなった患者の霊安室は別にあってね、ここに運ばれてくるのは……」
男性はある扉の前で立ち止まると、慣れた手つきで本人証明を始める。様々な遺体。その言葉の響きに胸騒ぎがした。
「囚人、犯罪者、身元不詳の商品たち、それから――」
無機質な電子音とともにドアが開いていく。
「『影』の信者、とかね」
部屋の中は、ひやりとした冷気で満ちていた。教室ほどの広さのある部屋の奥で、何やら作業をしている柊の後ろ姿があり、中心には、金属製の台に乗せられた誰かの遺体がある。
遺体の綺麗な黒髪には、血がこびり付いたままだった。
「遅い、火葬許可証取りに行くのに一体どれだけ時間をかけるつもりだ」
普段私に話しかけるのとは打って変わって冷たささえ感じさせる響きで、柊は言う。こちらには見向きもせずディスプレイを操作しているようだった。
「いやー、ごめんごめん。途中でいいもの拾ったから、ちょっと遅くなっちゃったんだ」
私をここまで導いた男性は軽く笑いながら、ディスプレイを操作し始める。すぐに「火葬許可証」と銘打った書類が表示された。そこに記された名前に、改めて動悸を覚える。
「……お前はまた訳の分からないことを――」
そんな嘆きと共に振り返った柊は、私の姿を認めるなり手元の端末を落とす勢いで動揺していた。色素の薄い目が大きく見開かれている。
「……憐? どうして……」
柊がこちらへ駆け寄ってくるよりも先に、私は台の上の遺体に吸い寄せられるようにして近付いた。かつて彼女の美しさを引き立てていた白い肌は、今はもう透き通るように青白い。
「……真琴」
ぽつりと呟いた声は、思ったよりもしっかりとしていたが、やはり彼女との思い出がよみがえって気丈ではいられない。そっとその白い頬に手を伸ばすと、信じられないくらいに冷たかった。
本当に、もう死んでしまったのだな。
真琴の頭部が打ち抜けれる瞬間を目の前で目撃しているだけに、その現実は思いの外すんなりと受け入れられた。今まで散々嘆き悲しみ、ようやく心の整理がついたおかげもあるのだろう。
「……憐に関わるなと言わなかったか?」
背後では怒りを露わにした柊が、同僚の男性に詰め寄っているようだ。
「嫌だなあ、良かれと思ってやったんだけど。燃やしちゃう前に会わせてあげた方がいいかなって思ってさ」
私はそっと真琴の髪を指先で整える。頭部の傷は髪の毛に隠れて見えづらいので、こうしていると眠っている真琴を眺めているようだった。
楽しかったな、真琴と過ごした毎日は。
真琴が私をただのターゲットとしか思っていなかったとしても、それでも私からしてみれば新鮮で、初めて学院生活を楽しいと思えた日々だった。それで、いいのではないかと思う。偽りの友情だったとしても、楽しかったという思い出まで否定する必要はないのだ。
「憐、辛かったら戻ろう。無理させてすまないことをしたね」
柊がいつの間にか私の隣に立ち、気遣うように私の顔色を窺っている。だが、私はゆっくりと首を横に振った。ここまで来たのなら、最後まで見送りたい。
「大丈夫、不思議なくらい穏やかな気持ちだ。……少なくとも私からしてみれば友だちだったんだ、このまま見送るよ」
「憐……」
柊はどこか苦し気に私を見つめていたが、すぐに寄り添うように私の肩を抱いてくれた。心配性の柊らしい行動だ、と小さく笑みを零す。
間もなくして、黒いスーツにも似た作業服を身に纏った人々が入室してきた。赤の他人に真琴の死を悼むような場面を見られてはならない。私はなるべく毅然として、真琴を搬出する人々を迎え入れる。
「では、搬出いたします」
「ああ、頼むよ」
柊が速やかに搬出手続きを終えると、作業員の手で台の上に横たわっていた真琴が棺に納められる。最後にもう一度だけ、彼女に触れたい衝動に駆られたが、ぐっとこらえた。私は今、次期軍師としてここにいるのだから。
黒川家の令嬢が入るには粗末な棺だったが、それでもきちんと弔ってもらえることには安心した。どうやら表向きには事故という形で片づけることになっているらしい。学院に信者が通っていたという醜聞を隠すためにも、また、黒川家の人々の動揺を最小限にとどめるためにもそれが最善なのだろう。手際よく搬出されてゆく棺を見えなくなるまで見送り、やがて閉じたドアを見てぽつりと呟いた。
「……さようなら、真琴」
しばらくそうして真琴の棺が消えていったドアを眺めていると、不意に柊に話しかけられた。
「……憐に言おうか迷っていたけど、ここまで来たなら見てほしいものがあるんだ」
そう言って柊は真琴が横たわっていた台の傍にあった小さな物置台から、白い布に包まれた電子機器を取り出した。私にはあまりなじみがないが、携帯用のミュージックプレイヤーのようだ。
「これは、黒川真琴が『影』の宗教歌を聴くために所持していたものだ。そこに、これが……」
柊が指さした先には、いつか私がお土産と称して真琴に渡した「ヒトデ」のストラップがあった。ミュージックプレイヤーの端に括りつけられているらしい。思わず私はそれを手に取ると、まじまじと見つめてしまった。
「次期軍師ちゃんにアピールするためなら、もっと見えやすいところに着ければいいのに、わざわざこんな最重要機密に近いものに着けるなんて、ねえ?」
柊の同僚が意味ありげに微笑む。確かにそうだ。「影」の信者にとって、宗教歌の入った電子機器など宝物に近いはずだ。そんな大切なものに、私があげたストラップをつけていたなんて。
「……全部が全部、嘘だったわけじゃないようだね」
柊がそっと私の頭を撫でた。「ヒトデ」のストラップを持つ手が震える。気づけば、頬に涙が伝っていた。
――嬉しい、とっても嬉しい! 開けてもいい?
お土産だと言ってこのストラップを真琴にあげた瞬間が、鮮明に蘇る。まるで、目の前に真琴がいるのではないかと錯覚してしまうくらいに。私はただただ、大切な「友人」を失った事実に涙を流した。純粋に彼女の死を悼むことが出来たのは、もしかするとこれが初めてかもしれない。
全てが、嘘だったわけじゃない。残された者の勝手な解釈と言われればそれまでだが、それでも私の心を救うには充分だった。
真琴の癖のある字を、一緒に食べたクレープの味を、鮮明に思い出しては涙が零れていく。もう二度とあの日々は戻らないけれど、一秒も欠けないこの記憶の中できっとまた出会える。
大丈夫、あなたがくれたものを私は決して忘れはしない。
私は祈るようにストラップを額に当て、涙を流しながらも自然と微笑んでいた。
さようなら、真琴。
「――さようなら」
私の、初めての友だち。
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