第192話
その後、最上階のレストランで食事を済ませた私たちは、更に一通り見てまわり、「ヒトデ」のブースの傍に設置されたショップへ足を運んでいた。どうやらこの水族館で展示されていた生き物のグッズが売られているようだ。
「折角だから、見ていってもいいか?」
「もちろん。お土産でも買うのかい?」
人混みの中、柊の傍で私はキーホルダーを手に取る。先ほどつついてみた「ヒトデ」の形を模したキーホルダーだった。
「そうだな。千翔と、合崎に……」
不意に合崎のことを思い出すと、手が止まってしまう。息苦しい感覚が蘇ってくるようだった。駄目だ、今日は折角、柊と楽しく過ごしているのに。
「あと、真琴――友だちにも贈ろうと思って。ほら、この間、街に出かけた相手だよ。この髪飾りを選んでくれたんだ」
柊に良く見えるように髪飾りをつまむ。だが、見上げた柊の表情は予想外のものだった。長い睫毛に縁どられた目を見開いて、私を見下ろしている。
「……マコトって……黒川真琴のことかい?」
「そ、そうだが……?」
何をそんなに驚いているのだろう。仕事柄、真琴の親類だという薬剤局の局長に会うことでもあるのだろうか。
「そ、うか……。……いや、何でもないよ」
どこか辛そうな柊の声を不思議に思ったが、私に言わないということはそれ以上訊かない方がいいのだろう。柊の指が私の髪飾りに伸び、彼は儚げにふっと笑う。
「……可愛らしい髪飾りだ。憐の綺麗な髪によく似合ってるよ」
腑に落ちない感覚を覚えながらも、彼に合わせるように私も微笑んだ。気になるが、今日のところはこれでもいい。今日だけは非現実を楽しもうと決めたのだから。
「ハル! 向こうにアザラシのぬいぐるみがあるぞ」
「見てみるかい?」
「ああ、行こう」
柊の手を引くようにして、私はアザラシのぬいぐるみが展示されたブースを目指した。丁寧の縫製されたふわふわとしたぬいぐるみを前に、購入を即決したことは言うまでもない。
その後、千翔と真琴には「ヒトデ」のキーホルダーを、合崎には「クジラ」の透かし彫りが入った金属製の栞を購入した。柚原先生へのお土産は、私と柊で一緒に選ぶことにした。
「あいつにはこれでいいと思うんだけどなあ……」
柊は「クラゲ」の形を模した被り物をつまんで小さく息をつく。周りで小さな子供たちがそれを被って走り回っていることからしても、子供向けの商品なのだと思うが柊は大まじめだった。
「柚原先生は大人の女性だぞ。同じクラゲなら、こちらの飾りの方がいいに決まっている」
「あいつの精神年齢は、ここで走り回っている子供たちと何ら変わりないよ」
「学院では生徒たちに慕われるいい先生だぞ?」
「みんな、子どもを愛でるような気持ちで接しているだけだろう」
柊にも軽口を叩き合える相手がいてよかったとは思うが、まさか柚原先生も休日に罵られているとは思いもしないだろう。二人の仲の良さにくすりと笑みが零れる。本当に、二人が再会できてよかった。その上、こうして学生時代と変わらぬ関係を築けているのだから大したものだ。
「憐にそんな表情をされるとは……」
柊はどこか戸惑ったように視線を泳がせ苦笑すると、「クラゲ」の被り物を元に戻し、飾りの方を手に取った。
「分かった、こっちにしよう。憐が言うんだから間違いない」
「買いかぶりすぎだ、ハル」
柊は軽く私の頭を撫でると、さっさと会計の列に並んでしまった。今日は柊の自然な表情がたくさん見られて幸せな気分だ。一人ふっと微笑みながら、彼の後を追う。
水族館を満喫した後、私たちは目的もなく街へ繰り出していた。「白」へ戻ってもいいのだが、折角二人で外出してきたのに惜しい気もしてしまう。それは柊も同じだったのか、彼も帰ろうとは言わなかった。
人混みの中、気づけば私たちは時計塔の傍へ来ていた。ふと、柚原先生に言われたジンクスを思い出して頬に熱が帯びる。
――夕刻、時計塔で口付けを交わした恋人たちは、幸せになれるのよ。
ジンクスを口にしたときの柚原先生の悪戯っぽい笑みまで鮮明に蘇り、余計に恥ずかしいような気持ちになってしまった。この記憶力はこういうところでも弊害をきたすのか。意味もなく赤面していては、柊に心配をかけてしまう。
だが、この謎の緊張感と羞恥を取り払ったのは、意外なことに柊の一言だった。
「……時計塔、上ってみるかい? 憐は行ったことないだろう」
ジンクスなど知りもしないであろう柊が、私の手を引いて時計塔を見上げる。助かった。私は頬を緩め、小さく頷くと、柊に連れられるようにして時計塔へと足を踏み入れた。
時計塔の内部は、5階建ての構造になっているらしく、螺旋階段で1階ずつ上がっていく仕組みになっていた。中心の吹き抜け構造には、時計の一部らしい精密な歯車や電子機器が頂上までぎっしり埋め込まれており、それだけでも圧巻だった。
最先端の技術とどこかアンティーク調の歯車で出来たこの時計は、帝国の創造物にしては珍しい。帝国の作るものは、徹底的に合理化されており、見目はあまり考えないものが多く、「白」がそのいい例だった。ここは街の観光名所になることを見込んで、時計の内部にも技巧を凝らしたのかもしれない。
螺旋階段の手すりにも細やかな装飾が施されており、訪問客の目を楽しませる造りになっている。もっとも、周りの客は殆どが若い恋人同士で、この美しい装飾に目をくれることもなく、二人の世界に入り込んでいたのだが。ジンクスは未だに健在なのだと、微笑ましい気持ちになった。
「一番上まで目指してみようか」
「ああ、折角来たんだしな」
柊に手を引かれるまま、私は螺旋階段を上り続けた。5階分の階段は結構な段数があり、柊の体に障りはしないかと心配したが、今日の彼は調子がよさそうだ。
柊と二人、手を繋いだまま螺旋階段を駆け上るこの時間は、まるで御伽噺のように非現実的だった。
このまま、もっと時間がゆっくりと過ぎればいいのに。そう、ありきたりな願いを抱いてしまうほど、私は確かに満たされていた。
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