第190話

「衣類を買いに行くだけならば、『白』のショッピングモールでも十分では?」


 「白」を抜け、街のメインストリートを歩きながら、隣で道行く人の視線を奪う柚原先生に訊いてみる。ほぼ全員が、柚原先生の姿を振り返るのだから、本当に大した美しさだ。


「もう、憐ちゃんったら。確かに『白』には質のいい服は揃っているけれど、女の子の服の種類としては豊富とは言えないわ。どうせなら、色々見て決めたいじゃない」


 そういうものか、と一人で納得して数日ぶりに訪れた街を眺める。休日の街は、真琴と訪れたときとはまた違った趣を見せていた。今日は家族連れや私服姿の若者が多い。


「憐ちゃんはどんな服が好きかしら?」

 

 柚原先生は親切に尋ねてくるが、一条邸を出た後は、白いワンピースか制服しか着て来なかったのだ。好みがあるはずもない。


「私は特に……着られたら何でもいいかと思ってますが」


「もう! 折角こんな綺麗なのに勿体ないわ!」


 そんな台詞を柚原先生に言われるとは思ってもみなかった。思わず苦笑してしまう。


「この帝国に、柚原先生の美しさに適う人間がいるとは思いませんが」


「上等な口説き文句ね。でも、大袈裟だわ。憐ちゃんはあまり詳しくないかもしれないけれど、可愛らしいモデルさんや女優さんは大勢いるものよ。例えば、ほら――」


 そう言って先生が指さした先には、巨大な電子広告が浮遊していた。艶やかな黒髪をなびかせ、翡翠色のワンピースから伸びた白く長い手足を見せつけるように写真に納まった美少女が主役のようだ。一見可愛らしく見える見た目なのに、その深い色の瞳には不思議な魅力があって、凛とした、という言葉が似合うような少女だった。私より少し年上だろうが、同年代でもこうして立派に仕事をこなしている人もいるのだ。


「今帝国で一番人気のモデル、翡翠ひすいちゃんよ。私の今日の服も彼女の立ち上げたブランドで買ったの。今大流行してるから、そこへ行ってみましょう?」


 その名前には聞き覚えがあった。殆ど報道番組しか見ない私でも知っているのだから、その知名度は相当なものなのだろう。


 もともと先生に連れられるようにしてやってきた以上、私に拒否権はない気がした。にぎやかな街は、もやもやとした心境を紛らわすにはちょうど良い。私は先生に導かれるまま、女性で賑わう店内へと足を運んだ。






 それからたった数十分後、私は酷く後悔していた。柚原先生に身を任せようなんて、私の考えが甘すぎた。


「無理だっ、そんな可愛らしい服、私には着られない!」


「はいはい黙って。リボンが曲がっちゃうでしょ?」


 広めに作られた試着室での攻防は、もう10分以上に及んでいた。私はすでに柚原先生の着せ替え人形状態に陥っている。


 別に柚原先生のセンスが悪いというわけではない。ただ、それが私に似合わないだけなのだ。レースやらリボンやらがたくさんついたワンピースを、どうして私に着せようと思ったのか問い詰めたいところだ。


 着替える度に、店員は手放しに褒めてくれるが、恥ずかしさで頭に入ってこなかった。終いには髪までいじられ始めて、抵抗する気もなくしてしまった。





「うんうん、よく似合ってるわ! まあ、私としては、もう少し可愛らしいのでもよかったと思うのだけれど……」

 

 散々着せ替えられた末に、私は一番装飾の少なかった水色のワンピースを購入することにした。これだって腰の部分で結ぶようなリボンがついている上に、裾の部分へ広がるような細やかな翡翠色の刺繍が施されているのだが、すっきりとしたシルエットの分、まだ抵抗は無かった。


「……でも、ハル君はこのくらいおとなしいデザインの方が好みかもね」


 さらりと心臓に悪いことを言う。私のこの姿を見たら、柊はどんな反応をするだろうか。いや、見せる機会などほとんどないだろう。折角買ったこの服を着る機会だって、私にはあまりないのだから。


「じゃあ……私は着替えますね」


 柚原先生との攻防のせいか、訓練の後よりも強い疲労感が私を襲っていた。訓練の緊張感こそないが、気力はごっそりと持っていかれた気がする。


 だが、試着室のドアに手をかけた私を柚原先生は笑顔で引き留める。


「何言ってるの? それを着たまま帰るわよ。ハル君に見せなきゃ」


 帝国一の美しい笑みで、柚原先生は明らかに圧力をかけていた。駄目だ、この人には勝てる気がしない。私は引きつったような笑みを浮かべながら、確かな敗北を確信したのだった。





 柚原先生とともに再び街へ繰り出せば、何だか先ほどよりも周囲の視線を感じる。人気の店から出てきた柚原先生を、モデルか何かだと思っているのかもしれない。


「ふふ、みんな憐ちゃんを見てるわよ。ハル君がいたら、嫉妬しちゃいそうな光景ね」


 最早柚原先生の冗談に言い返す気力もなく、私は曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。ある意味、貴重な体験だったかもしれない。どんなことであれ、見聞が広がるのは悪いことではないのだから。


「あ! 見て見て、時計塔よ」


 柚原先生は子供のように無邪気に、広間に立った時計塔を指さした。時計塔と言っても、このあたりの建物が低いので高く見えているだけで、「白」の周辺にあれば塔と呼べないだろう。ただ、外観は透かし彫りなどの細やかな装飾に凝っていて、街の人気スポットになることは充分に納得できる。


「時計塔のジンクス、知ってる?」


 どこか悪戯っぽく笑う柚原先生は、先生というよりはまるで姉か先輩のようで、いつもより親しみが湧いた。


「ジンクスですか? 聞いたことありません」


「ふふ、特別に教えてあげるわ」


 柚原先生は不意に私との距離を詰めると、耳元で小さく笑った。


「――夕刻、時計塔で口付けを交わした恋人たちは、幸せになれるのよ」


 それはまた、随分と可愛らしいジンクスだ。思わず苦笑してしまう。下らないと言う気はないが、少女たちの夢が詰まったようなジンクスが流行るくらいには、この帝国は平和だということだろう。


「信じてないでしょ? もう、私たちが憐ちゃんくらいの歳のときは、それはもう大流行してたんだから。ハル君なんて、毎日のように女の子に誘われてたわよ?」


「柊が?」


「もっとも、そういう類の話には鈍いハル君だから、全部爽やかな笑顔で断ってたけどね。図書室へ行くから、とか、早く家に帰らなきゃ、とか言って」

 

 柊の穏やかな雰囲気と、あの端整な顔立ちを思えば、周りの女子生徒が放っておかないのもよくわかる。学生時代の柊が目に浮かぶようで、思わず頬が緩んだ。


「でも、憐ちゃんが誘ったら、ハル君は大喜びで来るわよ」


 柚原先生は意味ありげに微笑む。本当にこの人は、さらりと戸惑うようなことを言うから困る。


「……まあ、ハル君は憐ちゃんが外の世界へ行きたいって言っても、喜んで連れ出しそうだけどね」


「……柊は過保護だから、そうかもしれないですね」


「あら、そんな話じゃないって分かってるでしょう?」


 意地の悪い先生だ。その綺麗な顔を、どんな表情で見返せばいいのか分からないくなる。


「憐ちゃんはハル君が好きなのだと思っていたけれど、違ったかしら?」


 それは、もちろん好きだ。だが、恐らく柚原先生の言っている「好き」は私の思っていることと違う。それを察せないほど、私は鈍くなかった。


「あまり下手なことを口にすると軍が動きかねない事態になるので、否定も肯定もしないでおきますね」


 先生に倣って、私も意味ありげに笑んで見せる。これが精一杯の誤魔化しだった。


「賢明な次期軍師様だわ。……ふふ、存分に思い悩みなさいな。私でよければ、いつでも話くらい聞けるからね」


「それ、単純に面白がってません?」


「まあ、それも一理あるかしらね」


 そう言って笑うこの先生が、悔しいがいつになく頼りがいのある人に見えた。思えば、こんな年頃の少女らしい悩みを話せる相手など、今まで傍に居なかった。柊はそれを懸念してくれていたからこそ、今日、こうして先生と外出することを許可してくれたのだろうか。どこまでも、私は守られているのだと感じる。


 思わずふっと笑いながら、時計塔を見上げた。私には程遠いと思っていた平和な日常が、今こうして目の前に広がっている。憧れていた世界は、案外そう遠くもないのだと知った一日だった。








 柚原先生と別れ、「白」へ戻ってきた私は、自分の生活フロアまで辿り着いたというのに落ち着かない気分だった。可愛らしいこのワンピースは、無機質な「白」には不釣り合いで、すれ違う白衣の研究者たちの視線を集めてしまう。本当はこのまま私室に戻りたいのだが、帰ったら何より先に柊に顔を見せるよう言われているので、逆らうわけにもいかない。


 柊に執務室の本人証明を抜けて、私は落ち着いた雰囲気の室内に足を踏み入れた。すぐに柊と目が合ってしまう。途端に言い知れぬ恥ずかしさに襲われた。


「憐……」


 一瞬驚いたような表情を見せた後、いつも通り柊が私の傍へ歩み寄ってくる。柊の口が再び開く前に、私は言い訳めいた言葉を口走っていた。


「ゆ、柚原先生に見立ててもらったんだが、やっぱりあまり落ち着かないな」


「とても良く似合ってるよ、憐。……可愛い」


 柊の指が、私の亜麻色の髪に絡む。たったそれだけの仕草と言葉に動揺させられる私と、戦場で銃を構える私が同一人物だなんて、自分でも不思議に思う。近頃の私は、明らかに感情が豊かになっていた。それも、私の周りにいてくれる人たちのお陰だろう。


「憐、僕とデートしようか」


「えっ?」


「その服を着て、明日にでも。どうかな?」


 あまりに突然の誘いに戸惑うが、彼はいつも通りだった。私が百年経っても言い出せないようなことを、さらりと言ってのけるから柊はすごい。恥ずかしさと、どこか浮足立つような感覚が同時に込み上げてくる。


「……うん、行きたい」


 自分でも驚くほど自然に、私は微笑んでいた。柊もそれに応えるように微笑み、私の頭を撫でた。やはり「妹」扱いだが、それでも私は嬉しかった。


「じゃあ、決まり。明日の午前十時に出かけよう」

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