第24話
翌日。
午後1時を過ぎたころ、私たちは音森財閥第一研究所を訪れていた。白と高貴な銀色で統一された入口からして、音森財閥の財力の高さが窺える。「影」の信者の巣窟かもしれぬとはいえ、一流企業らしい品格は拭えない。
作戦のことを思ってなのか、学生用の鞄の中に銃を忍ばせた生徒たちの表情はどことなく強張っていた。
そんな緊張感の中、合崎だけが呑気にロビーに設置されたオブジェを眺めている。人を模した白い大理石のオブジェの下には、音森財閥の歴史が延々と綴られていた。
私も、彼の隣に立ってそのオブジェを見上げた。大理石はとても貴重なものだ。それを、これほどふんだんに用いたオブジェは初めて見る。
「……どうした?」
合崎は小さく笑いながら、私の方を向いた。いつも通りの彼だ。
「合崎に美的感覚があるとは思わなかったな」
「口を開けば嫌味しか言わないな……」
彼は溜息をつきながら、不意に私の額を指ではじいた。構えていなかっただけに、意外と痛い。
「――何をするんだ! 乱暴者」
「緊張しすぎなんだ。隠しきれてないぞ、一条」
私ははじかれた額を摩り彼を睨み上げる。確かに多少は緊張していたのかもしれないが、合崎のせいで緊張は苛立ちに置換されてしまった。
「緊張なんか、してない」
思ったよりもふてぶてしい私の声に、合崎はくすくすと馬鹿にするような笑みを浮かべていた。
「それは出過ぎた真似をしたな」
合崎のくせに、私の緊張を解そうとでもしたのだろうか。彼が一枚上を言っているような気がして、素直に感謝する気は起こらない。
「次期軍師のお二人は、随分と仲がよろしいのですね」
不意に、オブジェの影から聞き覚えのある声が話しかけてくる。てっきり「企業見学」の生徒が近くにいたものだと思っていたが、どうやら違ったようだ。僅かに覗いた栗色の髪がゆらりと揺れた。
「……音森!」
「騒ぎ立てないでくださる? 本当にがさつな方ね、一条さんは」
音森とは、合崎が私の教室に来たあの一件以来、関わっていなかった。彼女は第一班から第六班には属していないので、今回の作戦のことは知らないはずだが、精鋭と呼ばれる私たちが「企業見学」をすることに違和感くらいは覚えているかもしれない。
「……何の用だ? よくものうのうと一条の前に姿を現わせたな」
以前、救護室で談笑していた時とは似ても似つかぬ冷え切った声で、合崎が対応する。
「今日は一条さんというより、合崎先輩にお会いしに来ましたの」
合崎の冷え切った声に動揺することもなく、音森は淡々と受け答えた。
「……私、何となくですけれど、察していますのよ。今日で、私の人生が180度変わってしまうかもしれないと」
「成程な。それで? 大好きな御父上にでもご報告差し上げたのか?」
合崎は笑うが、もしそうならば音森家は警備を増員していても不思議はない。作戦の実行がはるかに困難になる。
「――私、最後に合崎先輩にお伝えしたいことがありますの」
合崎の質問には答えず、音森は切り出した。そうしてオブジェの影から一歩踏み出して、まっすぐに合崎を見上げた。
「一条さんへの嫌がらせの件で、家のいざこざが無関係だったと言えば嘘になりますが……私の、合崎先輩への想いは本物でしたわ。他の誰よりも、あなたに忠誠を誓っております」
「……『次期軍師』に忠誠を誓っていると、そう言い切るんだな」
「ええ。――私は、『音森楓』である前に、神聖なる帝立第一学院の生徒ですから」
「影」の信者である前に、学院の生徒なのだと言っているようなものだ。音森の目には僅かに涙が滲んでいたが、凛と合崎を見上げる視線はぶれなかった。
彼女は、ほぼ確信しているのだろう。精鋭と呼ばれる私たちが、今日、彼女の家を取り潰すかもしれないと。それを知った上で、例え私的な感情を踏まえていたとしても、合崎に忠誠を尽くすというならば彼女は立派な軍人候補生だ。
「……信じるかどうかは、これからの行動を見て、だ」
「信じていただけるよう、誠心誠意、偉大なる帝国のために、そして親愛なる次期軍師様のために尽くします」
音森は、軽く跪くようにしてそう述べた。次期軍師とは言え、今は一学生の身分にすぎない合崎に向けた礼にしては少々仰々しいが、それだけ真剣なのだろう。
背後で、集合の声がかかる。「企業見学」開始の時間だ。
「その言葉が、口だけで終わらないこと願っているよ。……もう戻れ」
はい、と小さく呟いて彼女はオブジェの影へ姿を消した。それを確認してから、私たちも学院の生徒たちのグループへと戻る。
音森の合崎への想いは、家を見殺しにしてまで貫きたいものだったのだろうか。
白と銀で統一された制服を纏った案内役の女性の話を聞きながら、ぼんやりとそんなことを考える。
あるいは、彼女自身、「影」に心酔しているというわけではなかったのかもしれない。たまたま親が信者だったという、それだけの理由で「影」と関わっていたということも考えられる。
だが、仮に音森が合崎に認められるような働きをしたところで、帝国は彼女の生を許すだろうか。信者に対しては、女性であろうが子どもであろうが容赦のない処罰を下すのが帝国なのだ。音森だけ許されるというのは、とても考えにくい。
「……どうした?」
案内役の女性による説明が続く中、合崎は小声で耳打ちしてきた。その表情はどことなく心配そうだ。私が音森と会ってしまったことで、沈んでいるとでも思ったのだろうか。
「……何でもない。今日はよろしく頼む」
「……ああ」
合崎は腑に落ちないと言った表情だったが、小声で話しているのを柊に睨まれたため、それ以上の会話は憚られた。
今は、音森のことで物思いに耽るべき時ではない。まずは、作戦を成功させることに集中せねばなるまい。
軽く深呼吸をして、気分を切り替えた。昨日、合崎と練った計画を改めて思い起こす。大丈夫、この計画通りに行けば何の問題もなく「白」に帰ることが出来るはずだ。
やがて案内人の女性が明るい笑顔を振りまきながら、研究所の内部へと私たちを誘った。
いよいよ始まるのだ。私にとっては初めての戦場、音森財閥にとっては最後の一日が。
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