第25話

 「企業見学」の説明は、もうすぐ2時間に及ぼうとしていた。どのフロアも、帝国の中枢である「白」と比べても何ら遜色のない設備が揃っていた。私たちが本当に警備部に就職したいと考えて見学に来ている生徒だったのなら、音森財閥はさぞ魅力的な企業だろう。


 この音森財閥第一研究所は、どのフロアも円形を基本とした造りになっている。どんなに小さな部屋にも、パスコードや指紋認証システムがついているらしい。流石にセキュリティはしっかりしているようだ。


 だが、帝国がハッキングして手に入れたパスコードがあるお陰で、部屋への入室に手間取ることはないだろう。そのあたりに懸念はなかった。


 それに、警備の人間が増えている様子もない。音森は本当に、父親に私たちの作戦を報告しなかったのだ。


 それが、「影」にとってどのような意味をもたらすのかは分からない。彼女はもしかすると、帝国にも「影」にも居場所がなくなってしまうのではないだろうか。


 友人でも何でもない、むしろ忌むべき相手である音森のことだというのに、彼女の行く末を思うと決して晴れやかな気持ちにはなれなかった。こんなこと口にしようものなら、きっと合崎には「甘い」と罵られてしまうのだろうけれども。



 今、私たちはセキュリティに付属する人工知能の研究室を見学していた。研究室とはいえど、ちょっとした工場くらいの規模はある。「白」の仕組みと比較して考えたりしていると、授業よりはよほど面白かった。


 だが、この研究室はどうも好きになれない。一面ガラス張りの壁から階下を見下ろすように設計されたその構造は、嫌でもあの「実験」の日々を思い起こさせた。フラッシュバックを起こすまではいかないものの、かなりの不快感がつきまとう。


 隣にいる合崎も少し青ざめた顔をしていた。仄暗い照明が作り出した影が、一層彼の不安定さを際立たせている。


 不安に駆られて、私は合崎の制服の袖を軽く引いた。僅かに触れた彼の手が冷たい。


 彼はゆっくりと私に視線を移す。その瞳の暗い光に訴えかけるように声をかけた。


「……大丈夫か?」

 

 私の声にふっと暗示が溶けたように、彼の目から虚ろな光が消える。そして軽く笑みを滲ませて、私から視線を逸らした。


「……ああ、心配するな」


 合崎の「実験」に関する報告書を見てしまった以上、心配しないほうがおかしい。私よりもきっと、合崎の方が辛い一か月だった。それを思うと、彼の制服の袖を掴む手に力がこもる。


「研究所はいかがですか? 帝立第一学院の皆さん」


 ふと、私たちの背後から聞きなれない声が語り掛けてくる。振り向けば、そこには四十台後半といったところの愛想のいい男性が立っていた。身に着けているスーツも見るからに質がよさそうだ。


「よくいらっしゃいました。私は音森と申します」


 そう言って軽く会釈をする男性は、感じの良い雰囲気で、とても「影」の信者とは思えない。


「……というのは建前で、楓がいつもお世話になっています」

 

 その笑顔は完全に父親のそれだった。その表情を見るだけで、音森楓はこの父親に溺愛されて育ってきたのだろうと分かる。恐らく、この家族の関係は悪くない。


 優しい両親、恵まれた環境、その全てを裏切ってまで、音森楓は合崎に忠誠を誓ったというのか。私には、とても考えられぬ所業だった。


「楓さんは学院でも大変優秀ですよ。将来が期待されます」


 教員に扮した柊は、にこやかな笑顔を見せる。心にもないことを、すんなりと言ってのける話術は一種の才能だ。


「柊先生、この後の講演会、楽しみにしていますよ」


「恐縮です」


 やがて音森の父親は爽やかな笑顔を振りまいて去って行く。その目もとは、音森楓とよく似ていた。私には縁遠い血の繋がりというものをまざまざと見せつけられた気がする。



「よい時間ですし、そろそろ自由時間といたしましょうか」


 ほどなくして、案内役の女性が切り出した。生徒たちの間に、緊張感が走るのを肌で感じる。


「そうですね。僕も講演会があることですし……」


 柊は腕時計を確認していた。それに倣うようにして、私も端末で時刻を確認する。ほぼ予定通りに「企業見学」は進んでいるようだ。


「では、第一学院の皆は一時間後にはロビーに集合するように」


 私たちも生徒らしく返事をして、研究所の人間にこの緊張を悟られぬように努めた。会話に花を咲かせながらも、柊の動向に細心の注意を払う。


 柊が、講演会の会場へ向かうためにエレベーターに乗り込んだ瞬間からカウントダウンは開始される。エレベーターのドアが開いたタイミングを基準にして、そこからちょうど5分後に監視カメラは無効になる。その後の10分間がこの作戦の肝だ。


 嫌でも緊張してしまう。握りしめた手の中に汗が滲んでいた。


 そんな中で合崎だけが、呑気に装飾の施された証明を眺めていた。その余裕がどうにも腹立たしい。何か言ってやりたい衝動をぐっとこらえ、再び柊の動向に集中する。


 やがて、銀色のエレベーターの扉が開く。柊は乗り込む間際、こちらを振り返り意味ありげに笑ってみせた。


 午後3時28分。カウントダウン開始だ。




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