第22話
「お前が明日の作戦に参加するなんて、聞いてないぞ」
『白』に帰るなり、私は執務室に乗り込んで柊を問い詰めていた。彼もまた、今帰った来たばかりのようで、軍の司令部の黒衣を脱いで椅子に掛けているところだった。
「それに……なんだその黒衣は? 軍人じゃないだろう」
「軍からの依頼でね。作戦のサポートをするようにって。それに、僕は一応『白』にも軍にも所属しているんだよ、名目上はね」
確かに次期軍師の教育係を務めた者は、そのまま軍師の側近となることも多い。改めて考えたこともなかったが、柊は私たちの教育係になったときに、軍にも籍を置いたのだろう。
「非戦闘員のお前が赴くなんて、危ないじゃないか」
「おや? 心配してくれるのかい?」
「そりゃ、一応な……」
私や合崎が常に傍にいられれば話は違うのだろうが、そういう訳にもいくまい。
「まあ、向こうが僕を軽く見て発砲でもしてくれれば、それはそれでいいだろう。君たちに射撃許可が出るのが早まるに越したことはない」
何でもないことのように、柊はさらりと言ってのける。彼は時折、こうして自分の身の安全などまるで気にも留めていないような発言をする。自分の命に執着のない柊の笑みは、あまりに儚く、目を逸らせばふっと消えてしまいそうだ。
彼もきっと、ただ美しいだけの日々を歩んできたわけではないのだろう。面と向かって尋ねたことはなかったが、彼の抱える影が小さくないことは容易に想像できた。
「柊が怪我でもして帰ったら、『白』の女性たちが泣くぞ」
冗談めかして笑うと、それに応えるように彼も表情を緩めた。
「少なくとも、僕の周りにはそんな殊勝な女性はいないかな」
「確かに、『白』に勤めるような女性だものな」
軽口を叩き、僅かに滲む不安を拭おうとする。だが、柊の色素の薄い瞳だけは、
一度も笑っていない。
「もし、憐が怪我して帰るようなことがあったなら、君の教育係は泣くそうだよ」
「……想像ができないな」
心配されるのはどうも苦手だ。それだけ、柊が私たちを大切にしてくれているという顕れなのだろうが、彼に案じてもらうほどの価値が私にあるとも思えないのだ。
「それに、私と合崎が非戦闘員相手に怪我をするとでも?」
余裕ぶった私の言葉にも、柊の瞳は揺らぐことなく、まっすぐに私を射抜いていた。鋭い緊張感が走る。
「……人は、窮地に陥ると何をするかわからない。確かに戦闘面において君たちに適うような相手はいないのかもしれないが、それが必ず君たちの勝利に繋がるとも限らないんだよ」
それは、教育係としてもっともな指摘だ。反論する気も起こらなかった。戦場での慢心は死に直結する可能性だってあるのだ。
「信者を、甘く見ないほうがいい。彼らは人の形をした化け物なんだから。美しいものを壊すことも、人の命を奪うことも何とも思っちゃいないんだ」
柊にしては珍しく、言葉の語尾が震えていた。
彼のその瞳の奥に宿る衝動は何だろう。「影」の話をするときの柊には、得体の知れぬ強い感情が垣間見られる。柊に限って、帝国の洗脳を真に受けているというのも考えにくい。
それはつまり、冷静沈着な彼の心を昂らせるだけの何かが、「影」にはあるということだ。
「……精々化け物どもに殺されぬよう努めるさ」
追及したい気持ちを抑えるようにして、私は笑みを浮かべる。
きっと「影」に関する話題は、彼の人生に大きく関わるようなことだ。それこそ、私の知らない過去の彼が、「影」の手による悲劇に巻き込まれていたとしても何ら不思議はない。
それに、私が今、ただ尋ねたところで、恐らく彼は上手くはぐらかすのだろう。私はきっとまだ、私たちと柊の間に引かれた境界線を踏み越えることは許されていない。
時間にしてはほんの数秒の沈黙が、二人の間を駆け巡った。
色素の薄いその瞳を見ていると、なぜだか時折、正体不明の情動が胸の奥底で沸き起こる。それは温かく、穏やかなものだった。
いつか、彼は許してくれるだろうか。境界線を越えて、彼の傍に寄り添うことを。彼が私たちに手を差し伸べてくれたように、私も彼を救いたい。孤独な影を背負う彼の、些細な彩の一つになりたいのだ。
「信じているよ。君が、無事に戻ってくることを」
そう言って彼はまた、儚い笑みを見せる。現世のものとは思えぬ綺麗な笑みだ。
「……任せておけ」
それだけ言い放ち、踵を返す。心の中を渦巻く感情は実に様々であったが、一つだけ確かな決意があった。
私は、ここに帰らねばならない。
千翔との約束も勿論だが、あんなにも寂しそうに笑う柊を、これ以上、悲しませたくないのだ。
戦場で果ててしまっても構わないと思っていた命だが、彼らとの約束があれば諦めずにいられる気がした。私のような人間には、待ち人が必須なのだろう。
そうと決まれば、明日の計画は完璧にこなさなければならない。決意を胸に抱いたままに、私は作戦を練るべく、黙々と合崎の部屋を目指した。
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