第20話

 明くる日の昼休み、私は千翔と共に昼食を摂っていた。普段は眩しいくらいの笑顔を見せる千翔が、いつになく暗い顔をしている。


「……聞きました。音森財閥の捜査の件」


 千翔はまだ第二学年なので、今回の計画には参加できない。彼女は参加できないことに失望していたが、私としては彼女には残っていてもらった方が安心だった。昨日の合崎の言葉から察するに、決して楽な作戦ではないはずなのだから。


「音森財閥と『影』の噂は、父からも聞いたことがあります。でも、まさか捜査が入るほどに深刻な状態だとは思っていませんでした」


「……私も驚いたよ。まあ、でもまだ確定というわけでもない」


 チョコレートマフィンを齧りながら、気休めを言う。本当は分かっていた。仮に音森家が信者ではなかったにせよ、罪を犯している可能性は非常に高いのだ。


「それに、音森財閥は目的のためならばどんな手段も厭わないと聞きました。それがたとえ、非人道的なことだとしても」


 千翔の横顔には不安が滲み出ていた。私たちの身を案じてくれているのだろうか。どこまでも優しい子だ。


「目的のためなら何でもするのは、私たちも同じだ。それに、私たちの役目は戦うことで帝国を守ることだ。そういう風にしか生きることを許されていない」


 ふと、千翔が私にしがみつくように肩を寄せてきた。彼女の手は、小刻みに震えている。


「……憐姉様も空兄様も……いなくなっちゃ嫌……」


 まるで孤児院にいたころに戻ったかのような懐かしさだ。そっと千翔の頭に手を乗せて撫でてやる。


「じゃあ、約束しようか。私たちは、千翔の許へ戻ってくるよ。必ず、戻ってくる」


「絶対……絶対ですよ! 約束です」


「第一、私と合崎がこの程度の作戦で命を落とすような人間に見えるか? 心配しすぎなんだよ、千翔は」


 ぐしゃぐしゃと髪を撫でて、彼女を安心させるように笑ってみせた。心なしか千翔の目には涙が溜まっているように見えたが、私の笑みに応えるように彼女もゆっくりとはにかんだ。


「……はい、杞憂もいいところですね。千翔は、学院でお二人のお帰りをお待ちしています」


 心から安堵したようなそんな表情を見せられては、約束を破るわけにはいかない。それに、千翔のおかげで帰る意味が出来た。現場に向かう軍人候補生にとって、それは好ましいことなのかもしれなかった。




 放課後、午後の訓練終了後に「企業見学」の参加者は招集をかけられた。今回の計画は、第一班から第六班以外の生徒には知らされていないらしく、学院にはいつも通りの空気感が流れていた。


「あれ、憐ちゃん」


 ふわりと、甘い香りが漂った気がした。振り返れば、長い黒髪を耳にかけて慎ましく微笑む少女がいた。


「咲さん、お久しぶりです」


 昨日、合崎との会話の話題として持ち出したときに思い描いた姿と一寸違わぬ可憐さで、今日も咲さんは佇んでいる。


「『企業見学』のミーティングだよね。一緒に行こっか」


 そういえば、咲さんの所属する班は第三班だった。第一班から第六班は成績と実技のスコアの上位者で占められているが、彼女はどちらが得意なのだろう。彼女は合崎の前のペアの相手なのに、あまりよく知らなかった。学年が違えばほとんど交流もないので、当然と言えばそうなのかもしれないが。


「突然こんなお話を聞かされて、明日にはもう実行だなんてびっくりしちゃうよね」


 確かに、計画を聞かされてから三日以内に実行されるとは私も思ってもみなかった。今回の内容が「影」絡みなだけに、帝国も焦っているのだろう。こうしている間にも、信者は一人、また一人と増えているのかもしれないのだから。


「でも、憐ちゃんは合崎くんと一緒だろうから安心だね。怖いものなんてないよ」


「合崎が一番怖かったりするんですけどね」


 そんなこともあるのね、と咲さんはくすくすと笑った。所作の一つ一つが優雅な人だ。思わず目を奪われる。こんな清楚で可憐な人が銃を握る姿など想像もつかなかった。


 それにしても、咲さんは合崎に絶対の信頼を寄せているようだ。合崎もなかなか侮れない奴だ。心が腐りきった合崎のような奴には、咲さんのような清らかな人が傍にいてくれた方がいくらか生きやすいだろう。


 ミーティングルームには、既にほとんどの生徒が揃っていた。第一班から第六班に属する第二学年以下の生徒は千翔ともう一人しかいないので、殆ど見慣れた顔ぶれが揃っていると言ってもよい。この総勢16人で、捜査に乗り込むのだ。


 どうやら班ごとに着席している様子だったので、咲さんと別れ、空いている合崎の隣の席に座る。


「咲と一緒だったのか」


「ああ、たまたまそこで会ってな」


 教官らしき大人の姿はまだない。今回の計画をあまり重くとらえていないものが多いのか、ミーティングルームの中には笑い声や華やいだ声が響き渡っていた。


「咲さんは、何が得意なんだ? やはり成績優秀なのか?」


「成績も優秀だが、狙撃もなかなかの腕前だぞ。体力はある方じゃないが、センスがある」


「よく見ているんだな」


「……まあ、元相方だからな」


 きっと合崎と咲さんの間には私の知らない絆があるのだろう。孤独な彼にも、友人と呼べるような人がいてよかったと思う。


「咲を、心配したのか?」


「まさか。自分のことで精一杯なのに、優秀な先輩の心配などしていられるか」


「……不安なのか?」


 合崎のその問いを受けて、私はそっと自分の掌に視線を落とす。


 私たちはまだ、当然のことながら大規模な戦いに参加したことがない。人を殺める訓練はしていても、実際にこの手にかけたことはない。軍人としては何も経験していないのだ。


「……まったく不安がないと言えば、嘘になるのかもな」


 合崎の前で情けないとは思いながらも、素直な言葉が零れ落ちた。


「……そうか」


「合崎は? 何とも思わないのか?」


 彼の横顔に視線を送り、問い返してみる。彼の暗い瞳の奥に揺らぐ光は、今日も終末を見据えているのだろうか。


「どうだろう」


 それは、恐らく強がりでもなんでもないのだろう。諦めにも自嘲にもとれる不安定さが垣間見え、私はそれ以上問う勇気を失った。


 何となく、彼には怖いものなどないのではないかという気がしてしまう。人を殺すことも死ぬことも、彼にとってはきっと大したことではないのだろう。現世を生きるにしては、生々しさに欠ける奴だ。



「皆、静粛に」


 不意に開けられたドアから入室してきたのは、軍服姿の教官長だった。いつもより、引き締まった雰囲気だ。


 教官長が来ることは想定内だ。だが、教官長の後ろに続いて入室してきた青年に、私も合崎も動揺を隠し切れない。なぜ、彼がここにいるのだ。


「……柊?」

 

 ぽつりとつぶやいたその声が届いたのかどうか定かではないが、彼は端整な笑みを浮かべた。


 この作戦は、ますますやりづらくなりそうだと、私も合崎も深い溜息をつく。明日の作戦開始がどうにも思いやられそうだ。





 

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