第19話

 「白」に戻るなり、私は制服から白いワンピースに着替え、早々に私室を出る。合崎が昼間に言っていた「音森についての別件」について話を聞きにいくのだ。廊下に出るなり、すぐ隣の合崎の部屋の本人証明をパスして、部屋の中へ足を踏み入れる。


「ああ、来たか」

 

 彼は、まだ制服姿のままだった。何枚かの書類をテーブルの上に広げて見下ろしている。


「着替えてなかったんだな。出直そうか?」


「いや、このままでいい」

 

 そう言って彼はネクタイを緩めながら、テーブルの傍のソファーに座った。僅かに露わになったその首筋に、ふと、線状の古傷があることに気づいてしまう。


 これが、合崎に対する実験報告書に書かれていた、自傷行為に走った際の傷なのだろうか。針で深く裂いてできた傷だというそれは、数年経った今も痛々しかった。

 

 思えば、合崎がこうして首元を見せることは今までになかった。学院でも、きちんとネクタイを締めており、ちょうど傷跡は隠されている。「白」で過ごすときも、よく着ている白いパーカーで上手く隠していたのだろう。


「首の傷が気になるか?」


 私の視線を察したのか、合崎はふっと笑んでみせた。流石に凝視しすぎたようだ。


「……深くは聞かないでおいてやるよ」


 合崎は、私があの実験の報告書を読んだことは知らないはずだ。きっと彼にとっても、私に知られて気分の良いものではなかっただろう。それならば、敢えて触れる必要もない。


「一条にしては、分別のある答えだな」


 彼はそう言いながら、私にソファーに座るよう促した。彼の隣に僅かに距離を空けた状態で、柔らかいソファーに腰を下ろす。


 合崎は、購買の袋から二人分のレモンティーのパックを取り出すと、そのうちの一つを私の前へ置いた。こういうところだけは、妙に気の利く奴だ。


「さて、本題に入ろうか」


 彼はレモンティーをテーブルの上に置くと、赤文字で「極秘」と書かれた数枚の書類を手渡してきた。一枚ずつそっと捲っていく。


 そこには、「音森楓の経歴」と「音森財閥捜査計画」と銘打った作戦について書かれていた。


「……捜査? しかも、私たちがか?」


 その計画の主役は、私たち学院の生徒だった。第三学年以上の第一班から第六班までの生徒が対象だ。そもそも、学院の生徒が現場に駆り出されるような事態は極めて稀だ。大規模なテロなどが勃発し、軍の人員が足りなくなった際に、後方に駆り出されることは規則上あるようだが、長い学院の歴史の中でも一度しかない。


 どうやらこの計画は、毎年、数名の有志を集めて開催する「企業見学」という学院のイベントを利用して行うらしい。数年に一度くらいの割合で、卒後、大企業の警備部に配属する生徒もいるようなので、「企業見学」はそういった進路を考えている生徒のための企画だ。


 私と合崎には最も無縁なイベントであるから、今まで気にも留めていなかったが、まさかこのような使われ方をするとは思いもよらなかった。


「だが、捜査ならば帝国警察なり秘密警察なり、適してるプロはごまんといるだろう。なぜ私たちなんだ?」


「音森財閥は帝国に深く関わりすぎている。こういった類の捜査部隊は顔が割れているらしい。だから、俺らが『企業見学』の名目で音森財閥の研究所に侵入するんだ」


「相変わらず人使いの荒い国だな、ここは。それで? 私たちに何を捜査しろと? 横領か? 脱税か?」


 ぱらぱらとページを捲りながら、呑気にそんなことを口にする。大体、大企業に捜査の手が入るときは、金絡みというのが世の常だ。


 だが、流し読みする中で不意に飛び込んできた捜査内容に、思わず言葉を失った。思わず書類を握りしめ、食い入るようにその文字列を見つめる。


「……嘘、だろ?」


「残念ながら本当だ」


 合崎は冷ややかな目で書類を見つめていた。その真面目な横顔に、彼が冗談を言っているわけではないのだと、現実を突きつけられたようだった。


「俺たちが捜査するのは……音森家が『影』の信者である証拠。つまり、『影』の紋章、教典、そして無許可に増設された抜け道の発見だ」


 俄かには、信じがたい話だった。学院に娘を通わせている家が、「影」の信者だなんて。


 帝国最大の敵対組織である「影」は、高い戦力と技術を保持した機関であるが、その実は宗教的な色が濃いことでも知られている。実際に帝国軍と交戦することになるのは、「影」に属する精鋭部隊や研究者たちであり、大部分を占める他の者たちは「信者」と呼ばれていた。


 「影」の信者であることを示す紋章。「影」の思想を誰にでも分かりやすく説いた「教典」。そして帝国の中枢と連絡を取りやすいように秘密裏に造られた「抜け道」。この三つが揃えば、「影」の信者として認定され、その時点で帝国から人権を剥奪される。


 つまり、信者は人ではないから殺してもいい、という理屈なのだ。ただし、それだけ極端な措置を取るだけあって、「影」の信者であるかどうかの裏付けは慎重に行われる。その証拠となる最低条件が、「紋章」、「教典」、「抜け道」の三つなのだ。


「……三つとも、私たちに見つけ出せっていうのか? そもそも研究所にあるのかも確かじゃないんだろう」


「帝国の調査によると、研究所に無許可の連絡通路が作られていることは、ほぼ間違いないそうだ。最悪、それを見つけるだけでも音森家を捕らえられる」


 確かに、帝国からの許可のない連絡通路の増設は、それだけで重大犯罪だ。それをきっかけに音森家を捕らえてから、信者かどうか確かめるという手法も悪くはない。


「それに、研究所は紋章や教典を隠すにはうってつけの場所だ。企業秘密だと言って公開されていない部屋はいくつもある」


「……確かに、そうだな」


 ぎゅっと握りしめた書類には、皺が残ってしまった。私はそれを軽く伸ばしながら、次のページを捲る。そこには、愛らしい笑顔で映る音森楓の顔写真があった。


「……それじゃあ、結局のところ、音森楓は、音森家が帝国に忠誠を誓っているように見せかけるためのカモフラージュなのか?」


「その意味合いは大きいだろう。そしてあわよくば、帝国軍に入軍した暁には、軍部の情報も手に入れられればいいとでも考えていたかもしれないな」


 それを聞いてふと、ある仮説が思い浮かんだ。馬鹿馬鹿しいが、ありえなくはない話だ。


「……音森が合崎に執着していたのも、ただの色恋だけが理由ってわけではないのかもな」


「……ちょっと待て、俺はあの子に好かれていたのか」


「何だ、知らなかったのか? 鈍感な奴め。私が嫌がらせを受けていたのだって、私がお前の傍にいるのが気に食わないからだって専らの噂だったぞ」


「それはまた……随分と幼稚な理由だな」


 彼は複雑な表情をしていた。私に対する嫌がらせの種明かしまではしなくてもよかったのかもしれないと、軽い後悔が押し寄せる。


「まあ、私もそう思っていたんだが……。もしかすると、音森がお前に近づくことで、親密な仲になることを音森家は期待していたのかもな。更に上手くいって、音森がいずれ軍師夫人にでもなれば、帝国軍の内部機密を流出し放題だ」


 もし本当にそんな意図があったのなら、私の存在はさぞかし邪魔だっただろう。だから嫌がらせをするという発想は陳腐だが、それを機に私が合崎から離れたりしようものなら彼女にとっては万々歳だったわけだ。


「……妙に納得がいくから、嫌な仮説だな」


 合崎は深い溜息をついて、書類の上の音森を見つめていた。その愛らしい笑顔さえあれば、大抵の男子生徒はたちまち魅了されそうなものなのだが。


「まあ、もし音森家が本当にそんなことを考えていたとして、最大の誤算はこの堅物を落とせると目論んだところだな。お前が誰かに心を動かされるところなんて想像もできない」


「相変わらず失礼な奴だな」


「参考までに聞いておこうか? お前はどんな女性が好みなんだ?」


「そうだな。少なくとも一条のようにデリカシーのない、粗雑な女性はお断りだな」


「なるほどな。思いやりがあって、品のある優しい女性が好みか」


 要は、裏を返せばそういうことだろう。からかうようににやにやと笑ってから、ふと、一人の女子生徒の名前が思い浮かぶ。


さきさんなんか、まさにその理想にぴったりだな」


 黒川くろかわさき。合崎が、私とペアを組む前の二年間、彼とペアを組んでいた女子生徒だ。何度か会ったこともあり、顔を合わせれば会話をする程度には仲がいい。長く艶やかな黒髪と、上品に笑う優し気なその表情は、今もよく覚えていた。


「……咲か」


 ふっと合崎の表情が翳る。その瞳の中の漆黒が、揺らめくように沈んでいた。そうして何の前触れもなく、彼は不吉なことを口走る。


「一条、恐らくだがこの案件……相当厳しいものになるぞ」


 いつになく真剣な彼の声音に、思わず息を呑む。彼の意図するところは分からなかったが、何かしらの根拠がなければそんなことを言わない人だということは知っていた。


「お前がそう言うなら、心してかかることにしよう。……ご忠告、どうも」


 合崎の悪い予感は、大体外れない。いや、彼の場合はというより終末を見据えた上でのなのだから、信憑性が高まるのも頷ける。


 どうやら、思ったよりも厄介な計画に巻き込まれてしまったらしい。深く溜息をついて、音森の顔写真を見つめる。近頃の私はどうも、彼女に振り回される運命のようだ。





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