第14話

 私は、私室のベッドに横になっていた。今日は、休日なので学院に行く必要はない。通常であれば、休日の午後には合崎と共に、帝国軍から週に一度送られてくる資料を読むのだが、昨日の訓練室での出来事があるので、積極的に誘いに行く気にはなれなかった。


 合崎も誘いに来る気配はないので、無理に顔を合わせる必要もないだろう。資料くらい、一人で読んで記憶に留めておけばいいだけの話なのだから。




 昨日の訓練室での出来事から、私は合崎と顔を合わせていない。午後の訓練も放り出して逃げ込むように「白」へ帰ってきた私は、すぐさま部屋に籠ったが、案の定、柊には見つかってしまった。


 柊は、私の形を見ると、痛々しいものでも見るように表情を曇らせた。そうして、片側だけ肩のあたりで切り落とされた髪に触れ、その毛先をぎゅっと握りしめていた。言葉にこそしなかったが、過保護な柊にはひどく心配をかけてしまっただろう。


 その後、髪は肩のあたりで切り揃えてもらったが、気分は晴れないままだった。一息ついた後には柊にいろいろと尋ねられ、適当に言葉を選んで誤魔化したつもりだったが、彼は恐らく私の嘘を見破っている。近いうちに追及を受けることは目に見えていた。



 

 私は寝返りを打ち、ぼんやりとこれからのことを考えた。月曜日から、合崎にどんな顔をして会えばいいだろうか。喧嘩というには、あまりにも重苦しい出来事だった。


 いっそ、何事もなかったかのように振舞うのがいいかもしれない。そうだ、そうしようと一人心に決める。今日は引きこもることにして、月曜日からは、またいつも通りの「一条憐」であればいい。


 そんな中、不意に部屋のベルが響き渡る。体を起こしてモニターを確認すると、柊と白衣姿の背の高い女性の姿があった。モニターを見つめながら、思わず息を呑む。


 驚いた。彼女がわざわざこんな場所まで来るなんて。相変わらず、その身分に相応しくない自由な行動をする人だ。


 椅子に掛けてあった白いカーディガンを羽織り、白い靴のベルトを留めて、ドアの方へと向かう。本当は誰にも会いたくない気分だったが、彼女に出て来られてしまっては仕方がない。軽く深呼吸をして、二人の待つ白い廊下へと足を踏み出した。




「髪切ったんだな。そのくらいの長さもよく似合う」

 白衣の女性こと雪柳ゆきやなぎ塔長は、にこりと笑ってそう言ってのける。私は「ありがとうございます」と返しながらも、警戒を解けずにいた。そんな気も知らずに彼女は品の良い笑みを浮かべ続けている。


 彼女は、ここ中枢機関「白」の第一の塔の長である。「白」は第一から第五までの「塔」と呼ばれる組織に分かれており、その中心となるのが司令塔や附属病院の院長室などがある第一の塔だ。つまり、彼女はこの「白」の中でも有数の権力者、順序で言えば院長に次ぐ第2位に君臨する人なのだ。更に言えば、雪柳塔長は院長の妻でもあるため、彼女の影響力は絶大だ。

 

 本来ならば、例え「白」の中であろうとも護衛の一人や二人をつけて動いてもらいたい立場の人なのだが、自由を愛する彼女は度々こうして一人で出歩いているらしい。彼女の部下の心労を思うとやりきれない。


 彼女とは、会えば会話を交わす程度の仲だが、こうして直々に訪ねて来られるのは初めてだった。柊も立ち会っていることからしても、何かはっきりとした目的があってここに来ているのだろう。その目的に心当たりがないだけに、こうして警戒せざるを得ないのだ。


「まあ、リラックスしてくれよ。今日は、一条とお喋りに来ただけなんだ」


 執務室のソファーで、私と向かい合うように座った彼女は、優雅な仕草で紅茶を口に運ぶ。私は隣に座る柊に目配せをし、その真意を探った。


「まあ、大丈夫だよ。本当に、私的な話だから。……僕としては、憐にはしたくなかった話だけどね」


 柊がそう言うのなら、問題ないのだろう。私や合崎のことを私たち以上に守ろうとしてくれる人だ。適度な緊張感だけを残して、警戒心を解く。用意された紅茶に3つほど角砂糖を入れてくるくるとかき混ぜた。


「まずは、今の空の状態について伝えようか」


 柊のその言葉に、紅茶をかき混ぜる手が止まる。数秒かけて、その言葉の意味するところを考えた。


 今、合崎は、わざわざ私に伝えなければいけないような状況にあるとでもいうのか。柊の色素の薄い目を見据えると、彼は逡巡するように口を開いた。


「空は、今、高熱を出して休んでいる。……情緒が不安定になると、時折こうして体調を崩すんだ。最近は、かなり減っていたから安心していたけれど、やはり、根本から治っているわけではなかったようだね」


 まるで叱られているかのように、どくりと心臓が跳ねた。


「……空と、何かあったのかい?」


 決して責めるようなニュアンスなどない柊の優しい声に、却って心苦しくなる。まさか、合崎が私の言葉ごときで不安定になるはずがない。

 

「別に……これといったことは……」

「本当に?」


 間髪を入れない問いに、言葉を失う。それと同時に、昨日去り際に見た、合崎の酷く戸惑ったような表情を思い出した。彼があんな顔をするということは、動揺したことは確かなのだろう。


「軽く、言い争いのようなものをしただけだ。でも、それはいつものことだろう。第一、あいつが私の言葉で不安定になるほど心が動かされるだなんておかしな話だと思わないか」


 嫌っている奴から何を言われたところで、気にならないはずだろう。それなのに、柊はいつになく真剣な目で私を見つめて告げた。


「――憐、僕は、今も空の世界の中心にいるのは君だと思うよ」


 あまりにも予想外なその言葉に、驚き過ぎて言葉も出ない。柊にしては、見当違いもいいところだ。あいつは、「憐」を殺そうとしたのだ。私はもう、あいつの心の片隅にもいやしないはずなのだ。


「とても信じられないとでも言いたげな顔だな」


 雪柳塔長は、ティーカップをテーブルの上に置くと、教科書くらいの厚みのある真っ白な封筒を取り出した。封筒の隅には、「白」の紋章が描かれている。


「これを読めば、一条も考え方が変わるかもな」

「塔長! そのまま渡すんですか?」


 柊が珍しく焦ったように抗議する。雪柳塔長は小さく笑んだまま、封筒を更に私の方へと寄越した。


「読むか読まないかは一条次第だ。強制はしない。ただ、一度手に取ったなら最後まで読め。それが条件だ」


「……何について書かれているか窺っても?」


「気になるなら手に取ってみたらどうだ?」


 成程、読もうとしない者には知る権利もないと言いたいらしい。塔長に直々に渡される非公式文書なんて、恐ろしい代物でしかないが、興味を惹かれるのもまた事実であった。

 

「憐、無理しなくてもいいんだ」


 柊が私に読ませたくない内容というのもまた、気になってしまうのだ。彼は私や合崎が傷つくことを極端に厭うことから察するに、読めば恐らくショックを受けるような内容なのだろう。


 それでも、と私は白い封筒を手に取った。自分の予想以上に緊張しているらしく、封筒を持つ手が僅かに震える。


 どれだけ恐ろしいものだとしても、「考え方が変わるかもしれない」と言った塔長の言葉には逆らえなかった。私の知らない何かがあるのなら、読んでみるのも悪くない。それに、あの「実験」の日々を耐えぬいた今の私が受けるショックなど、高が知れている気がした。


「ゆっくり読むといい。私たちはしばし、お茶でも嗜んでいるとしよう」


 そう言って塔長はゆったりとした仕草でティーカップを持つと、その香りを楽しむように一口口に含んだ。柊は今にもこの封筒を取り上げるのではないかというほどに、私のことを心配そうに見つめていたが、塔長の手前、そういう訳にもいかないらしかった。

 

 恐ろしさと好奇心がごちゃ混ぜになったようなこの感情は、子どものころに味わったものとよく似ている。


 意を決して、私は白い封筒から、紐で綴じられた分厚い書類を取り出した。


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