第13話

 予想通り、自主訓練室に近づくにつれ、生徒の姿は少なくなっていく。私は自主訓練室の前につくと、設置されたパネルにIDを入力し、自動的に開かれたドアの先へ足を踏み入れた。


 自主訓練室は、あまり使われていない割に無駄に設備がよい。毎日使う主要な訓練室と比べても、遜色のない造りだった。


 誰もいないことを願って来たのだが、残念ながら、メインホールから時折、銃声が聞こえてくる。真面目な生徒が自主練習をしているのだろう。午後も訓練があるというのに、物好きな生徒もいたものだ。


 だが、私が更衣室へ向かおうと動き出した途端、銃声が止んだ。思わずこちらも足を止めてしまう。


 まさか、この距離で私の気配に気づいたというのだろうか。私のいる位置はホールからは死角になっており、目視できるとは到底思えない。直線距離にしたって、100メートル以上は離れているだろう。


 ただの偶然だと思いたかった。そろそろ昼休みも終わるころだから、練習をやめただけだと考えても頷ける。


 だが、もし本当に私の気配を察知していたとしたら。そんな芸当ができる奴は、少なくとも私は一人しか知らなかった。


 嫌な予感がする。ここは、迷わず戻るべきだ。私は踵を返して、たった今入ってきたばかりのドアを目指した。


「一条?」


 ドアまであとほんの2、3メートルというところで、声をかけられてしまう。聞きなれたその声に、嫌な予感が的中したことを思い知らされた。よりにもよって、合崎の許へ転がり込んでしまうとは、私もなかなか運がない。


 多少不自然だったとしても、このまま走り去ってしまおうか。そうだ、それが最善策だ、と私は足を進めようとした。だが、それを引き留めるように背後から腕を掴まれてしまう。


「……なんだ。いきなり腕を掴むなんて、紳士的じゃないな」

 何とか軽口をたたきながらも、必死に言い訳を考えていた。合崎には、ばれたくない。合崎絡みで私が嫌がらせを受けていたことを知られるのも嫌だが、何よりも、私は見くびられ、人から嫌われる存在なのだと思われるのが悔しかった。


 同じ次期軍師のはずなのに、私たちはどうしてこうも違うのだろう。学院中の尊敬を集める合崎を前に、劣等感で息が出来なくなりそうだった。


「この髪はどうした? 誰かにやられたのか」

「……お前こそ、こんな人気のない訓練室で何をしていたんだ?」

「俺は、見ての通り自主練習だ。答えたんだから、一条も答えろ」


 話題を逸らそうと試みたものの、失敗に終わってしまった。こうなってしまっては、なるべく惨めに思われぬよう、気丈に振舞う他にない。


 私は合崎を振り返り、鎖骨のあたりで切れた髪の先をつまむ。ナイフで切ったせいで、毛先は全く揃っていなかった。


「散髪でもする気分になっただけだ。自分でやった」

 嘘はついていない。自らのナイフで切ったのだから。だが、その答えに合崎が納得するはずもなかった。


「……質問を変えようか。やられたんだ」


 合崎の深く黒い瞳が、射抜くように私を見ていた。そんな目で見られると、再びフラッシュバックが起こりそうだ。ただでさえ不安定だった情緒が、更に揺らいでいく。


「本当に、私が自分でやったんだ。一種の自傷行為だとでも思ってくれ」

「だとしたら余計に見過ごせない。……何を隠そうとしている?」


 苛立つような合崎の声に、惨めさが増していく。一刻も早く、この場から立ち去りたかった。


「別にどうだっていいだろう。お前の耳に入れるほどのことではない」


 ふと、合崎から顔を背けるようにしていた私の頬に、彼の冷たい手が触れる。微かな痛みが頬を走ったかと思えば、彼の掌には少量の血が付着していた。


「これでも、どうでもいいって言い張るのか?」


 思わず頬に手を当てると、細く短い線状の切り傷が確認できた。先ほど音森たちと争っているときに、知らぬ間にナイフに当たっていたのかもしれない。音森の取り巻きくらい、無傷で撃退できると驕っていただけに、ショックを隠し切れなかった。


「……それくらい、大したことじゃないだろう。私たちが、あの実験室で受けた傷に比べれば」


 だから、これ以上追及しないでくれ。さっきからずっと、劣等感に押し潰されそうなのだ。どうにか勢いで逃げ出そうとしたが、今度は手首を掴まれて、それも叶わなかった。「実験」のことを口にしたせいか、合崎もまた、いつになく余裕のない表情で私を見ていた。


 痛いほど強く握られた手首に、ふと、悪夢のような最悪の記憶が蘇る。




 幼い私の首に添えられる、赤く染まった「空兄様」の手。

 背に伝う、冷たく白い床の温度。

 そして、笑うように歪められた口から、「わたし」を殺すために降り注ぐ言葉。


「――――その声も、手も、温度も、鼓動も、何もかも全部……消えてしまえばよかったんだ」




「――憐?」

 はっと我に返ると、僅かに目に涙が溜まっていた。ほんの一瞬のフラッシュバックだったが、あらゆる感情が臨界点に達するには充分だった。


 私は涙ぐんだ眼のまま、鋭く彼を睨みつける。


「……わたしを殺しておいて、よくも平然とその名が呼べるものだな」


 明らかな動揺を浮かべる合崎の手を振り払い、その胸倉を掴んで、彼の顔を引き寄せる。


「お前は……結局、わたしを守ってなどくれなかったじゃないか」


 今更、心配したような素振りを見せたところで何もかも遅いのだ。彼の言葉に殺された「憐」は、もう二度と戻らない。


 合崎を睨みつけた瞳から、一筋の涙が頬を伝い、傷に染みこんだ。鈍い痛みがじわりと広がる。


「なあ、そうだろう? ……


 突き放すように彼から手を離し、私は彼に背を向けて、逃げるように訓練室を後にした。彼は終始、酷く戸惑ったように私を見ていた。情緒不安定で理不尽な私に、いい加減、愛想を尽かす気になったかもしれない。


 頬に付着した涙と血を拭いながら、無我夢中で駆け抜ける。次のフラッシュバックが起こる前に、一刻も早く眠りにつきたい。ただその一心で、私は足を突き動かしていた。


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