第12話

 千翔の話を遮るようにラウンジを後にしてしまったせいで、思っていたよりも早く、教室に戻ってきてしまった。午後の訓練まで、まだ30分以上あるが、先ほどの件もあるので、目立たぬようにさっさと荷物を纏めて、姿を消した方がよさそうだ。


 だが、そんな考えも彼女の一声で打ち砕かれることになる。


「一条さん」

 笑みを含んだ声で名前を呼ばれたかと思えば、背後から攻撃を仕掛けられそうになる。気配を察して咄嗟に避けたが、いきなり暴力に訴えてくるとは恐ろしい奴だ。無言で襲わなかっただけ、まだマシなのかもしれないが。


「流石は次代の軍師様! お見事!」

 人を小馬鹿にするような調子で、音森は両手を合わせてにこにこと笑った。その様子だけを見れば、ただの可愛らしい女子生徒だというのに。


 音森の取り巻きたちは、御大層に護身用のナイフを構えている。ざっと見て10人くらいと言ったところだろうか。ナイフまで突きつけられるのは流石に予想外だっただけに、思わず笑いだしてしまいそうだった。


 そうだった。ここはそういう学院だ。話し合いではなく、暴力で相手を黙らせる術を学ぶ場所じゃないか。

 

 そういう意味では、彼女たちは私よりもずっと優等生なのだろう。彼女たちが、私をどうするつもりなのか知らないが、本気で傷つけたいと思っているのならば、それもいい。音森の憎しみがどこまでの覚悟を伴ったものなのか、確認する良い機会だ。


 一見すれば、多勢に無勢のこの状況に、傍観者たちは酷く怯えているようだった。ああ、彼らは軍人候補生と言えども、綺麗な世界で生きてきたのだなと一人思う。人を傷つけるための道具をどれだけ扱っていても、血を見る覚悟など出来ていないのだ。


 それを、悪いことだとは思わない。美しい世界で愛されて育ったのなら、それも当然のことだ。むしろ、彼らのように純粋無垢な人間がこの帝国内にも確かにいるのだと知って、場に合わぬ穏やかな気持ちになった。


「――かかりなさい」


 まるで司令官のような音森のその声で、10人の取り巻きが一斉に襲い掛かる。教室内からは悲鳴が上がった。赤が飛び散る光景を想像したのだろうか。


 合崎ほどの実力者が10名いたのならともかくとしても、生憎、一般生徒10人の攻撃を受けて死ぬような生温い育ち方はしていない。その程度の実力なら、軍師になどなれるはずもないだろう。


 取り巻きたちのナイフさばきは、訓練通りのありきたりなものだった。教官の手本通りにこなせているということは、彼女たちも優秀な生徒なのだろうが、普段の合崎の攻撃に慣れている私からすると、随分と子どもじみて見えた。


 悔しいが、合崎には戦闘の才能がある。真っ向から挑むことも、人間性を疑うような姑息な手段も、臨機応変に使い分けることが出来るのだ。それに加えて、終末を予知するあの能力を持っているのだから、まさに軍師になるために生まれてきたような人間だ。


 合崎のことを考えていると、思わずいつもの調子で、相手のナイフを持つ手を蹴り飛ばしてしまった。相手は一瞬、痛みに表情を歪め、ナイフを床に落とす。折れたりはしていないだろうが、バレたらまた柊に呼び出しを食らってしまいそうなことをしでかしてしまった。


 私は軽く息をついて、うずくまるその取り巻きの一人を見下ろした。他の9人はナイフを落とした彼女のことを気にしつつも、私との間合いを保っている。


 1人やってしまえば、10人やっても同じことだ。


 私は残りの9人を一瞥し、相手の利き手を狙って攻めた。これが一番効率がよさそうだ。


 残りの9人もあっという間にナイフを床に落とすと、かなり機嫌の悪そうな音森が遂にナイフを構えた。


「本当に、あなたって嫌な人。力を見せつけて、優越感にでも浸っているの?」


「お前は私をどうしたいんだ? 殺したいのか?」


 冗談交じりにそう笑うと、音森が斬りかかってくる。自分で言っておいてなんだが、たかだか15歳やそこらの生徒同士の諍いで、「殺す」だなんて言葉が出てくるのは、却って子どもじみていた。

 

 だから、音森をからかうような意味合いで言ったつもりだったのに、意外にも彼女の目は本気だった。彼女が振り上げるナイフをかわしつつも、彼女のその異様なまでの執着を疑問に思う。

 

 彼女は取り巻きたちよりは一枚上手のようで、軽やかに私の攻撃を交わす。お嬢様のくせに、意外と素質があるのかもしれない、と、そんなことを思いながら、彼女の足をとりバランスを崩させる。


 そのまま倒れこむかと思われた音森だったが、咄嗟に私の髪を掴んで体勢を保った。背中のあたりまで伸ばした私の髪は、確かに掴みやすそうだ。これが本当の戦場ならば、この一瞬で殺されていてもおかしくはなかった。


 そんな呑気な分析を行いながらも、一方で私は、彼女の執念に恐怖に似たものを覚えていた。恋は盲目という言葉を聞くが、まさかここまでとは思わなかった。


「私は、あなたのこと、殺したいくらい大嫌いよ」

 綺麗に巻かれていたはずの音森の栗色の髪は、すっかり乱れていた。彼女は私の髪を掴んだまま、再びナイフを構える。その往生際の悪さは、転じて言えば、それだけ真剣に合崎を想っているということなのだろう。私には、未来永劫出来そうにもない。


 髪を引かれる鈍い痛みがどうにも不快で、私は護身用のナイフを取り出し、彼女が掴んでいる部分まで亜麻色の髪を切り落とした。その際に、僅かに戸惑った音森の一瞬の隙をついて、今度こそ、彼女の足をはらう。抗いようもなく倒れた音森の手から、冷たい音を立ててナイフが床を滑った。


「同じような台詞を、合崎に言われたことがある」

 私は、護身用のナイフを鞘へ戻しながら、倒れこむ音森を見下ろした。


「あいつも、私のことは殺したいくらい憎いらしいぞ。お揃いでよかったな」


 わなわなと震える手と、涙ぐむ音森の目を見る限り、もう戦う意欲はなさそうだ。これで少しは、音森もおとなしくなってくれるだろうか。


 これ以上この教室にいるのも気まずいので、私はそのまま廊下へと出た。アンバランスな長さの髪で出歩くこの姿は、さぞ無様に見えるだろう。


 このまま午後を過ごして教官に問い詰められても面倒だ。見れる程度の形に正すべく、私は誰も立ち寄らないことで評判の自主訓練室へと向かった。

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