第11話
朝から音森たちの稚拙な嫌がらせに耐え、私は人気のないラウンジで千翔と共に昼食を摂っていた。今日は合崎の姿は見えなかったが、その分、千翔と共に過ごす穏やかな時間を満喫する。
甘いチョコレートマフィンを口に運びながら、ふと、今朝の出来事を思い起こした。
今朝の音森は、いつもにも増して怒り狂っていた。開口一番に私に怒鳴りこんできた彼女は、クラスメイトの視線を一身に受けていることにすら気づいていない様子だった。
「よくも、合崎先輩を巻き込んでくれたわね?」
彼を怪我させる原因を作った張本人が、よくもここまで言い張れるものだ。呆れる気持ちすらも薄れてしまう。
「あなたのせいだって、合崎先輩は言っていたわよ」
やはり彼女は、昨日の昼休みに私が救護室で息を潜めて会話を聞いていたことには、気づいていないようだった。もし気づいていれば、そんな見え透いた嘘を堂々とつけるはずもない。合崎が私を庇うような発言をしたことも、彼女にとっては気に食わなかったのだろうか。
どうせ何を言っても、彼女の怒りが収まることはないのだろう。私はただ真っ直ぐに音森を見据え、彼女の出方を窺っていた。教室にはいつも以上に張り詰めた空気が漂っている。
「――私、見てたよ。音森さんが、一条さんのこと突き落とすところ」
そんな重苦しい空気を切り裂くように、一人の女子生徒が声を上げる。私を含めたクラス全員の視線が、今度は発言者である彼女に集まった。
中性的な顔立ちの彼女は、いかにも軍人候補生らしく正義感に溢れていた。この教室にも、彼女のような人間がいたことに少なからず驚く。一方的な嫌がらせも、「実験」の日々を思えば気に留めるほどのことではないのだが、彼女は許せなかったのだろう。
残念ながら、彼女に続く者は他にはいなかった。皆、音森が怖いのだろう。穏やかな学院生活を守るためには、それが一番賢い振舞い方だ。却って、私はこの正義感の強い女子生徒が音森に目を付けられないか心配になった。
「あら、言いがかりはよしてくださいな、
音森も、このくらいで引いたりはしない。敵意をむき出しにした音森とその取り巻きたちの視線を前に、黒川さんは若干怯んでいるようだった。
これでは、彼女があまりにも可哀想だ。今時、こんな熱い正義感を持った軍人候補生の勇気を踏みにじるような真似は、次期軍師として見過すべきではないのだろう。
「証拠なら、ある」
今度は、私が注目を集める番だった。人の視線は苦手だ。あの「実験」の日々の白衣たちの視線を嫌でも思い出す。
「私は、覚えている。突き落とされた時の手の感触、あの場にいた人間とその立ち位置、その全てを。面倒だが、私の記憶をデータ化して、お前の掌のデータと比較してみてもいい。……もっとも、そんなことをするまでもなく、監視カメラに映っているかもしれないけどな」
水を打ったように、教室には沈黙が走っていた。やがて、誰かが囁き声で、音森の責任について話し出す。それはやがて大きなざわめきとなって、音森とその取り巻きたちを包み込んだ。
騒ぎが大きくなる前に、と私は教室から退室するべくドアの方へ向かう。その途中、私を庇ってくれた黒川さんにぽつりと呟いた。
「……ありがとう」
たったその一言を伝えるのが、妙に恥ずかしく、彼女の返答も待たずに私は教室を後にした。本当に小さな声だったから、そもそも黒川さんには届かなかったかもしれない。
そうして教室を抜け出して、私は今、千翔と共に過ごしているのだ。私が教室でそんな修羅場を潜り抜けてきたことなど知る由もない千翔は、彩り豊かな手作り弁当を美味しそうに口に運んでいる。栄養価がよく考えられていそうなその弁当は、恐らく家の者に作ってもらったのだろう。
「そういえば、班長の足の調子はどうです?」
卵焼きを箸で小さく切りながら、彼女は尋ねてきた。昨日、「白」の医師にも診てもらったが、特に異常はないようだった。明日には、腫れも痛みも治まるだろうとのことだから、帝国の医学は素晴らしい。
「特に、問題はないそうだ。今日の午後の訓練にも、参加するだろう」
そういえば、音森から訓練用のブーツを返して貰っていなかったことに気づく。今日も革靴で訓練を訓練を受ければ、いよいよ合崎に問い詰められるような気がしてならなかった。今日はどんな言い訳をしようか。
「私たちの学年では、お二人の噂で持ちきりですよ。班長が、先輩のことを庇ったって。相方への思いやりも、戦場では重要だと先生が言っていました」
銃撃戦をしても、階段から落ちても、学院側はどうしても美談にしたいらしい。「生徒の自主性を重んじる」などと言う校風を掲げつつも、やはり帝国の組織なのだと痛感せざるを得ない。
「洗脳された生徒は憐れだな。まったくもって、そんな綺麗な話ではないというのに」
「そうですか? 少なくとも、班長が先輩を守りたいと思ったことは、本当だと思いますよ」
今更、合崎がそんな思いを抱くとは到底思えない。それに、守られたところで、それを素直に喜ぶには、私は汚れすぎてしまった。
「……そう思わせることもきっと、合崎の策略のうちの一つだろう。あいつは、きっと心の底では、私を殺したいほどに憎んでいるはずだから」
「そんなこと――」
「この話はもう終わりだ。また明日な、千翔」
彼女の言葉を遮るようにして、私はベンチから立ち上がる。千翔にこんな態度はとりたくなかったが、これ以上、合崎について話していると、再びフラッシュバックが起こりそうで怖かったのだ。
昨日のフラッシュバックから、どうも情緒が安定していない。必死に抑え込んでいるが、本当は、今もすべてを投げ出してしまいたい気持ちで一杯だった。
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