第4話

午後の訓練が終わり、生徒たちは皆ぞろぞろと帰路へ着き始める。私も訓練服から制服へと着替え、中枢機関「白」へ繋がる連絡通路を歩いていた。


 ふと、何人かの女子生徒たちが何かを囁くように話をしているかと思えば、私の隣を颯爽と陣取る人影があった。


「やあ、憐。奇遇だな」

嫌な予感と共に見上げてみれば、にやりと小さく笑う合崎の姿があった。私はそのまま目を逸らしながら溜息をつく。


「名前で呼ぶなよ、気色悪い」

「随分口が悪いな。いいだろ、もう放課後なんだから」


 彼に一瞥もくれることなく、私はさっさと歩き出す。だが、私よりずっと背の高い合崎にとっては、早足の私に追いつくことなど造作もないことだった。


「柊がお怒りのようだぞ」

 彼は、我らが教育係からのメッセージを電子端末から私の前へ投影させた。放課になり次第、寄り道をせず「白」の司令塔執務室へ来いとのお達しだ。要件は無論、今朝の銃撃戦のことだろう。まず、褒められるはずもないので頭が痛くなる。


「教官長、本当に柊に連絡したんだな」

 私は溜息交じりに嘆くと、目の前に投影されたメッセージを消去する。


 ひいらぎ晴人はると。彼は私たちの教育係で、私たちが次期軍師となったその日から、数年間、毎日顔を合わせている存在だ。その分、親しみは感じているが、彼の叱責はいつも痛いところをついてくるから苦手だ。



 中枢機関「白」の司令塔のゲートにつくと、大袈裟な本人証明が行われ、一気に周囲の空気感が変わる。白い壁、白い天井、白い床、そうして時折すれ違う人々も白衣を羽織っているものが多い。恐らく、「白」に属する研究者たちなのだろう。著名な研究者が帝国の重役になるのはよくあることで、私たちの教育係である柊も、かつては研究者として活躍していたはずだ。


 一度、「白」の中へ入ってしまえば常に見られていることを意識せねばならない。死角の無いように設置された監視カメラが、私たちには見えない形で設置されているらしい。表向きは、不審者の侵入時に円滑な対応を図るためだが、本命は「白」の関係者の動向の観察だ。少しでも不審な動きや、敵対組織「影」と通じるような素振りがあれば、即刻、事情聴取、酷ければ免職、最悪の場合、死刑だ。


 合崎と二人で並んで執務室の前で本人証明を行い、開かれた白い扉の先に進む。会議室ほどの広さがあるこの部屋には、いくつもの本棚が並べられ、データ化してはいけないと言われる特殊な書類や本がぎっしりと詰まっていた。デジタルに侵食された世界だが、公的なもの以外は紙を重用することもある。教育機関で、生徒に紙のノートに手書きで書かせるのも条例で定められていることで、何でも、書く力の衰退を防ぐためらしい。


 そして柊は、今日も執務室の整頓された机で、公には出すことのない機密書類を作成していた。柊のする仕事は大抵、人に言えないことばかりだ。


「来たね」

 柊は、手を止めて穏やかに微笑む。色素の薄いその瞳は、いつだってすべてを見透かしているようで、時折、恐ろしく思えたりもする。


「教官長から聞いたよ。また、やらかしてくれたようだね」

相変わらずにっこりと微笑んでいるが、その目は私たちが目を逸らすことを許してはくれなかった。


「始業前から銃撃戦とは、流石、次期軍師はやることが違うね。さぞ、生徒たちの注目を集めたことだろう」

 柊は万年筆を弄ぶように掌で転がしていた。柊の間の取り方は絶妙だ。私たちと一回りくらいの年の差しかないというのに、教官長に叱られているときよりもずっと、緊張する。一番敵には回したくない人物だ。


「でも、君たちは案じただろうか。流れ弾が、他の生徒に当たってしまうかもしれないと。相手の心臓を本当に撃ち抜いてしまうかも知れないと」


 隣で、合崎が軽く溜息をつく。すると次の瞬間には、万年筆のペン先が合崎目掛けて飛んできていた。


 咄嗟に避けるも、合崎は苦笑いを零していた。万年筆は、固い床に傷を残して落ちたようだ。恐らく、普通の万年筆に見せかけた護身用の道具か何かなのだろう。これだから、私たちの教育係は恐ろしい。


「考えたかい? 空」


 体勢を立て直しながら合崎は気だるそうに私を見つめた。

「憐なら、避けられるような弾しか撃っていない。それに、心臓も脳も狙わなかった」


「絶対なんて、どんな根拠で言っている? もしも、今日、憐の調子が優れず、普段通りの力を発揮できなかったら?」

「そのくらい、見ればわかる」

「大した自信だ。あまり驕っていると、いつか痛い目を見ることになるよ」


 正直、合崎には一度くらい痛い目にあってもらいたいものだと考えていると、柊の視線が私に向けられた。どうやら、今度は私の番らしい。


「憐は、考えたかい?」


「考えていない」

 私は弁明するのも面倒で即答した。


「流れ弾が当たることは一瞬心配したが、皆、避難していたようだったので問題ないと判断した。合崎の命に関して言えば、容赦なく狙っていた」


「よくないね。空を殺してしまうのは大きな損失だ。」

 わざとらしく、柊は溜息をついて私の目を見据えた。色素の薄いその瞳は、相手に畏怖の念を抱かせるのによく向いている。


が死んだら、憐はたった一人で帝国軍を担うことになるんだよ。それでもいいなら、好きにするといい」


空兄様。随分と懐かしい呼び方を引き出してきたものだ。合崎のことをそう呼んでいた日々を思い出すだけで、懐かしさと胸の奥が抉られるような痛みが一気に呼び覚まされる。それも、当時感じていたそのままの想いが鮮明に蘇るのだから、この記憶力は質が悪い。爪を立てるように手を強く握りしめて、痛みで気を紛らわせる他になかった


「まあ、喧嘩はほどほどにね、ということを言いたかっただけだよ」



 柊の叱責は短かったが、随分と感情を掻き混ぜられるものだった。昔のことを持ち出してくるなんて、質が悪いにも程がある。それは合崎も同じだったらしく、それぞれの私室に戻る間、二人の間に会話はなかった。


 自分の部屋だけが、「白」の中で唯一監視されていない場所だった。そうは言っても、完全に自由というわけではなく、入退室は常に記録されている上に、部屋に入ることが出来るのは、私と合崎、それから柊の三人だけだった。合崎の部屋も同様である。


 合崎の部屋はすぐ隣だが、セキュリティや空調設備の関係で壁は分厚くなっているようで、充分な防音効果があり、お互いのプライバシーは守られていた。もっとも、私たちの間に守るような秘密など、何も無いに等しいのだが。


 唯一、合崎に隠していることがあるとすれば、音森たちにボロボロにされたノートや筆記用具くらいだ。単に私個人への嫌がらせならば、合崎に知られても問題ないのだろうが、今回ばかりは大いに合崎絡みなので、ばれると面倒なのだ。


 制服から、真っ白な部屋着に着替えると、ベッドの上に四肢を投げ出した。この部屋には、本当に何もない。広さは教室くらいあるが、家具はベッドとクローゼット、そして小物を置く小さな棚が壁際に設置されているだけだった。


 合崎の部屋には、このほかに本棚があるが、基本的には私と変わらない部屋だ。ここは、ただ体を休めるための部屋でしかない。

 

 街で暮らす千翔の部屋には、きっと彼女の好きなものや、可憐な色があふれているのだろう。白く、塞ぎこんだこの部屋とはまるで違う。何色にも染まることが出来ず、ただ存在しているだけのこの部屋は、私とよく似ていた。


 一人で大きく息をつき、目を閉じる。これからも、どうせ、今日と変わらないような、灰色の毎日が続いていくのだろう。それを思うと胸が押しつぶされるように憂鬱で、現実から目を背けるように私は夢へと逃げ込んだ。


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