第2話
神聖な学び舎の一教室で私は小さく欠伸をする。どれだけこの学院が特別視されていようとも、眠い授業は眠たい。居眠りしている生徒だっている。他の学校を知らないから断言はできないが、これは恐らく至って普通の光景なのだろう。私の認識としては、この学院は軍事訓練があるというだけの普通の学び舎だった。
だから、くだらない争いも陰湿な嫌がらせも、日常茶飯事なのだ。
2限目終了のベルが鳴り、私は形だけ開いていたノートを閉じる。「何も忘れられない」私にとっては、板書を写すも写さないも同じことだったが、聞いているだけでは余計に眠気を誘うので、ノートをとる習慣をつけていた。授業ははっきり言って憂鬱だ。教師の言った言葉は、私の意思に関わらず記憶に刻み込まれていく。それが帝国を理想郷だと讃えるような内容であれば、吐き気に似たものがこみ上げるのを常々感じていた。
眠気を吹き飛ばすように軽く伸びをする。軍服基調の制服は少し動きづらい。白地に青いラインの入ったこの制服は、なかなか評判が良いようだったが、私の亜麻色の髪にはきっと似合っていないだろう。
ふと、伸びをした拍子にノートを落としてしまい、拾おうと屈みこむ。
その瞬間、赤い靴がそのノートを蹴り飛ばした。
「あら、ごめんなさいね? 一条さん」
気取った口調でわざとらしく私に笑いかけるのは、クラスの中心的存在である
意識せずに、自然と溜息が零れた。今日も始まったのかと面倒に思いながら、彼女たちを見据える。
「わざとじゃないのよ。許してね、一条さん?」
音森の取り巻きがノートを拾い上げると、投げつけるようにこちらへ寄越した。踏まれて汚れてしまっているが、気にするほどではない。
「でも、一条さんにノートなんて必要あるのかしら?」
綺麗に巻かれた音森の栗色の髪が揺れる。彼女は私の机の前を陣取ると、にっこりと笑ってみせた。明言したつもりはなかったが、次期軍師だということに付随して、私の能力の噂も広まっていることは知っていた。私を目の敵にする音森が知らないはずもなかった。
「必要ないよね? だって、一条さん、気持ち悪いくらい物覚えいいもんね?」
そう言って彼女は制服のポケットからナイフを取り出し、私のノートを机に突き刺した。こういうものがすんなりと出てくるあたり、音森もこの学院の生徒なのだな実感させられる。
くすくすと笑う音森の取り巻き以外、声を発する者はこの教室にいなかった。皆揃って見て見ぬふりの傍観者だ。仕方のないことだと言えばそうなのだろう。私は実際、異常な記憶力で気味悪がられているし、次期軍師として敬遠されていることも確かなのだ。私に話しかけてくるのは、皮肉にも私を迫害する音森たちしかいない。
「……毎日毎日、飽きずにご苦労なことだ」
私は、再び溜息交じりにそう呟いて、机に刺さったナイフを抜き、音森の前へ叩きつけるように置く。そして、中心に穴が開いたノートをゴミ箱へ投げ捨てた。
「――これで満足か?」
音森が苛立ちを顔に映し出す、彼女の表情はとても分かりやすい。音森は何か言おうとしたのか口を開きかけたが、次の授業の教師が入室してきたため、やむなく席へと戻っていった。
音森が私にこれほどつきまとうのは、単に私が次期軍師であることが気に食わないからではないらしい。風の噂によれば、音森はあろうことか合崎に恋をしているため、いつも合崎の傍にいる私が気に食わないのだそうだ。
音森は、クラスの中心的存在というだけあって、男女問わず人気者であるようだし、顔も可愛らしい。それに、彼女の家は、帝国の有力な資産家として誰もが一度は耳にしたことのあるような良家だ。そもそも何故この学院にいるのか疑問に思うほど、帝国軍にはそぐわない人間だ。
確かに帝国軍に入軍すれば、それは世間一般には類まれなる名誉であり、それだけで一目置かれるようだが、何不自由ない彼女が今更そんなものに縋っているとは考えにくかった。そんな恵まれた彼女が、私を虐めているのは滑稽だが、彼女なりにいろいろと理由があるのだろう。そっとしておくのが一番だ。
むしろ私としては、音森のような人間が合崎などに恋をしてしまった訳が理解できない。しかも合崎は、音森だけでなく、一部の女子にも人気があるらしい。あんな、感情の欠落しきった人間のどこがいいのか、是非、ご教授いただきたいものだ。確かに合崎は整った顔立ちをしているが、この学院には眉目秀麗で紳士的な生徒は沢山いる。彼女たちの気が知れなかった。尤も、この学院に来るような女子だから、価値観もどこかで狂っているのかもしれないが。
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