スノードームを殺してくれ
染井由乃
第1章 空の憐れみ
第1話
「この世界はスノードームのようだ」
かつて、そんなことを言った詩人がいたらしい。それ以来、この帝国を外界から守るように覆うドームのことを「スノードーム」と呼ぶようになった。
人は、このドームの外では生きていけない。このドームの外の環境は荒れ果て、未知のウイルスが蔓延し、有害な光線が降り注いでいるという。ドームから出たが最後、一時間以内に速やかに死に至るそうだ。
幸いにも、特殊な視覚効果が施されているおかげでドームの天井や壁は視認できず、閉塞感を覚えるようなことはない。見上げれば、そこにあるのはいつまでも続くような白だった。
この帝国は理想郷だと、教師は私たちに言い聞かせた。この世界に唯一残された安寧の地なのだと。帝国を囲む純白が、私たちを死神の手から守っているのだと。嫌になるほど言い聞かされた。殆ど、洗脳といってもいいだろう。その成果なのか、帝国民の大多数はこの国に生まれて幸せだと、口を揃える有様だ。
だが、私はどうしてもそうは思えなかった。無論、私もごく普通の一般市民として育っていたのなら、きっとこの国を理想郷と思うことが出来たのかもしれないが今となってはそれも叶わぬ夢だ。
私は、自分の出自を知らない。「
それは、私たちが特殊な能力を持っているというものだった。理由など、今も分からないままだ。
とにかく、私は、「何も忘れられない」という能力を、合崎は「終末がみえる」力を持っていた。合崎の能力に比べれば、私の能力など人工知能で代用可能な代物のように思えるが、どうやら私たちの能力が帝国軍のに御眼鏡に適ったらしく、帝国軍の次期軍師として帝国の中枢機関「白」に引き取られることになった。
帝国軍の軍師というと、事実上の統帥のようなものでその影響力は計り知れない。軍師の差を巡る無益な争いを避けるため、優秀な孤児から選ばれるのが習わしのようであった。
そうして私と合崎は「次期軍師」という重荷を背負わされて今日まで生きてきたのだ。決して美しいとは言えぬ日々だった。中枢機関「白」から見下ろす帝国は、軍と政府が丹念に手入れを行った箱庭のようで、理想郷だと謳う人々がひどく滑稽に感じたものだ。
そうして今から、3年前、12歳の時に、私は軍の養成学校である「帝立第一学院」に入学した。一年早く入学していた合崎は、既に次期軍師として学院では名が知れ渡っており、それにつられるように私の名もまた、次期軍師として知れ渡ることになってしまったのだ。
訓練は学年を超えて成績をもとにペアが編成されるが、一般教養を学ぶクラスは学年別で、他の学校と変わりはない。12歳で入学し、8年間ここで学んだ後に帝国軍へ入軍するというのが、この学院の生徒の一般的な進路だ。
逆に言えば、帝国軍への入る近道でもあるこの学院は、当然のように倍率が高く、身体能力の高い者や頭脳明晰な者が多い。帝国軍は帝国を守る神聖な組織であるという認識が帝国民の中ではあるらしく、ここは帝国軍人の卵を育てる神聖な学び舎として語られていた。
そんな神聖な学び舎で、私は今日も人を殺める術を学ぶのだ。
「始め!」
教官の号令で、今日も訓練室に響き渡る銃声。動かない目標を狙うことくらいは、朝飯前である。機銃から伝わる振動が視界を揺らしていた。
「やめ!」
1分と満たない時間の狙撃だったが、数メートル先に並べられた目標はどれも穴だらけで、原形を留めていない。私の狙撃した目標は、周りと比べても一際目立つ崩れ方だが、やはり今日も隣のあいつには負けてしまった。周りの生徒たちから漏れる感嘆の声は恐らく、あいつに向けられたものなのだろう。
元の形が予想できないほどに破壊された目標を無愛想な目で見つめ、軽く溜息をつく彼は、今日も比類なき才能を発揮していた。
「最高得点は98点で、合崎だ。皆も彼に続くように精進しろ」
訓練室のメインコンピュータが個人の成績を手元の端末へ送ってきた。今日の私のスコアは93点。群を抜いていることに変わりはなかったが、合崎にだけは敵わない。彼の強さは重々承知しているが、やはり悔しいと思ってしまう自分がいた。
「93点? 相変わらず伸びないな」
馬鹿にするように笑みを含んだ声を、私は機銃に弾を装填するのに集中する振りをして無視する。いちいち彼を相手にしているとストレスで胃に穴が開きそうだ。
「では次は、二人一組で目標を破壊! 用意!」
教官の号令で、渋々私は合崎の隣で機銃を構える。背の高い彼が構える銃は、ちょうど私の目線の高さと同じだ。
「始め!」
再び響く銃声の中、私たちの目標は見る見るうちに崩れ落ちていった。合崎の攻撃の鮮やかさに目を奪われつつも、負けじと私も機銃を連射する。
「やめ!」
データなど確認するまでもなく、私たちの目標が最も崩れ落ちていた。これもいつものことで、周囲の視線と囁き声にも慣れてくる頃だった。
「中間で乱れていた。まだまだ甘いな、一条」
合崎は銃を下ろして嘲笑うかのように私を一瞥する。無視しようと心がけていても、少しずつ、少しずつ、苛立ちは高まっていく。彼の一言一言に腹を立てていたら、私は一日中怒っていなくてはいけなくなるのだから、我慢しなければならない。
「……自分の狙撃に集中していないとは、次期軍師が聞いて呆れる」
私は、彼の方を見ることもなくそう吐き捨てた。本当はもっと言い返してやりたかったが、このくらいで収めておく。訓練室には、教官が各ペアのスコアを発表する声が響いていた。
「静物を狙っていたところで、退屈だろう。それに、相方の狙撃に気を配れてこそ、一流の軍人だと思わないか?」
「……向上心があるようで何よりだな」
「確かに、未熟な一条は理解に苦しむだろうな」
少しだけ、機銃を握る手に力がこもるが、何とか自分を抑え込む。ただでさえ、私たちは目立っているのに、下手な騒ぎを起こせば一層周りの目が冷たくなる。
「……お前がよく言うよ、感情が欠落しているくせに」
私は合崎を振り仰いで、小さく笑ってみせた。彼の冷静な目が私を捉えている。
「相変わらず、見目とは裏腹の可愛げのなさだ」
「ああ、そうだな。可愛げないから次こそはお前を打ち負かしてやるよ」
苛立ちを覚えながらも、私は訓練室のディスプレイを見上げ、時刻を確認する。朝の訓練終了まで、あと30分もある。困ったものだ。この苛立ちをどうにかやり過ごすことが出来るだろうか。
「一条は無駄な努力を重ねるのが趣味のようだな。本当に俺に勝てると思っているのか?」
限界だ、殆ど衝動的に私は機銃を構える。目標は、無論、腹立たしいこの愚物だ。1秒に満たないうちに、狙いを定め発砲する。
彼は余裕たっぷりに微笑んで、その弾をかわすと迎撃してきた。周囲から悲鳴が上がる。流れ弾でも当たってしまったかと思ったが、壁が少し傷ついただけだった。
始業前から銃撃戦を繰り広げるなんて、我ながら馬鹿らしい。これで今日も、教室では冷ややかな目で見られることは間違いなさそうだ。もっとも、おとなしくしていたところで、奇異の目に晒されることは避けられない毎日なのだが。
本当に、碌な学院生活ではないなと自嘲気味な笑みを零しながら、合崎の心臓を狙って連射する。彼は軽やかに避けて苦笑いしていた。
「ひどいな、一条。心臓を狙うことはないだろう」
「……うるさい」
「身の程ってものをわきまえたほうがいいんじゃないか?」
「合崎! 一条! やめろ!」
教官長がわざわざ訓練室までお越しになったようだ。怒りとも焦りともとれる怒鳴り声を響かせている。
「やめろと言ったらやめろ!」
教官長が、防弾チョッキも着ないままに今にも私たちの間に飛び出さんとしていたので、仕方なく銃を下ろした。合崎は相変わらず、意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見つめている。彼に発砲したことで、多少の鬱憤は晴らされたとはいえども、腹が立っていることに変わりはなかった。
「君たちは、何を考えているんだ? こんな朝から銃撃戦なんか展開しやがって……」
案の定、教官長室に呼び出しを食らった私たちは、怒り狂う教官長の前に並んで立っていた。
「合崎が挑発してきたんです」
「先に発砲したのは一条ですよ」
教官長は深い溜息をつく。私たちがいつも迷惑をかけているせいか、教官長の眉間の皺は日々濃くなるばかりだ。
「どちらかが怪我でもしたらどうするつもりだった? 少しは立場を考えなさい」
「俺は、命は狙ってませんでしたよ」
「私は狙ってました」
「命を狙っていた? 冗談じゃない……」
教官長は椅子に腰かけると、頭を抱えてしまった。テーブルの上に放置されたコーヒーからほろ苦い香りがふわりと漂ってくる。
「……競う合うのは素晴らしい。だが、君たちのどちらを失っても、帝国にとっては大きな痛手だ。わかるだろう? 帝国の未来を担う者として。もう少し、自覚を持ちなさい」
帝国の未来。望んでもいないのに、随分と面倒なものを背負わされたものだ。
「……それに、君たちを負傷させたと知られれば私の首が飛ぶからな」
さらりと本音を言ってのける教官長に言い返す言葉もなかった。確かに、退役軍人である教官長の職を奪うのは可哀想だ。今後は少し控えよう。
「このことは、君たちの教育係に報告しておく。せいぜい叱られて来い」
その言葉に、私も合崎も苦い顔をせざるを得ない。教育係に頭が上がらないところは私も合崎も変わらないようだ。放課後が憂鬱である。
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