22 変容するもの


               *


 冷たい汗にまみれて目覚めた。起きようとしたが、躰に力が入らない。

「まだ無理よ。しばらく横になってなさい」

 横に斎子が座っていた。

 頭の下で、保冷枕がぐにゃりと歪む。

「半日寝てたわ。うなされてた。夢を見てたの?」

「遠い遠い未来の……この世の終わりの日の夢だ。もしかしたらあの光景は、ずっと先の未来で、転生したおれ自身が経験する現実なのかもしれない……」

「この世は終わるの?」

「……」

「ねえ」

「おまえも〈工作員〉なのだな」

 少女は笑って小首を傾げる。その笑みが、豊かな夜を思い出させる。どのようにも折れ曲がるやわらかな肢体。濡れた唇。脇の下の淫靡な薫り。煩悩をたやすく虜にする、美しい罠。

 画集で見た〈刀葉林の地獄〉が思い浮かぶ。色情の奴隷になり、おのれを切り刻む男の姿。それは、まぎれもない、正人自身の姿だった。

 だが、今、彼の意識に重大な変化が起きている。傍らの斎子の姿が、どんどん形骸化してゆくのだ。熱い、トータルな肉体としての価値が、意味が、失われてゆく。それは、ただの有機体の結合物、肉の袋と化してゆく。AMIの光背に刻まれた文字列に触発されて奇怪な変容を遂げ、町の背後に地獄が見えた彼の意識は、斎子の躰をたやすく分解してしまう。畳まれた皮下組織、血管と臓物と、粘液にまみれた骨組みとに。さらに細胞へ、分子へ、原子、意味のない素粒子へ――

 斎子の躰に、その来るべき姿が見えるのだ。老いと死によって結わえつける力を失い、最小の粒子に崩れてゆく肉体の成れの果てが。

 宝石の肉体は、無価値に還る——

「なによ、その目つき……」

 斎子にそう言われて、はっとした。

 もしかしたら自分は、いま青木と同じような目をしているのかもしれない。青木と同じような物の見方になっているのかも……

「おなか、すいているでしょう? 何か作ってくるわ」斎子だった〈もの〉が、そう発音している。ヌルヌルした有機物の集合体が、粘膜を振動させて音を発している。

 めまいがきざした。正人は目をつぶった。

 斎子は部屋を出てゆき、少し経ってから、盆にうどんを載せて戻ってきた。座卓を引き寄せ、そこに盆ごと鉢を置いた。湯気が上がっている。

 正人は布団の上に起きた。少し楽になった。出汁の香りに急に空腹感を覚える。箸を取り、すくったうどんを口に運んだが――

 ぐッ、と呻いて口を押さえた。

「胃の具合、おかしい?」

「いや……」

 うどん鉢から盆の上に、無意識に鶏肉を取りのけていた。それから食べはじめた。その様子を、斎子がじっと見つめている。

「あなたもお肉食べれなくなった? これからは、肉抜きを二人前にしなきゃだね」

 箸が止まった。茫然と斎子を見た。ある絶望的な想像が脳裏をよぎった。

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