17 AMI-dabutsu
「光背をごらんなさい」青木は言った。「仏像の背中にある飾りですよ。そうすれば、すべてがわかるはずだ」
奇妙な感覚が、正人の内に芽生えていた。〈何か〉が彼の奥底で脈打ち始めているのだ。〈何か〉はゆっくり膨らんでゆき、破裂するのを待っている。破裂して、中身をぶちまけてしまうのを。
正人は怯えた。ぶちまけられる中身に。怯えながらも、言われたとおりに光背を見た。
光背は、四重の同心の輪だ。それぞれの輪に、文字がびっしり刻まれている。象形文字のような不思議な文字。それを見ていると、奇妙な感覚が増幅してゆく。
〈何か〉は、光背の文字に触発されたように震え、膨張の速度を増した。そして、その表面に亀裂が走り――
うわ……
思わず声をあげた。
正人の内で〈何か〉が破裂した。その中に抑えつけられていたものが、一斉に噴き出した。正人の目が大きく見開いた。
「こ、この仏像は、反物質誘導回路!」
青木の頬に歓びが
「そのとおり、Anti-Matter Inducer。略称AMI。阿弥陀仏のアミ、ですよ」シャレたつもりか、青木は、くくっと笑った。
「……こんなものが実在するなんて。それに、おれは何だってそんなことを知っているんだ?」
「あなたが〈本山〉の工作員だからだ。光背の特殊文字がキイワードとなって、記憶槽の奥に畳まれていた知識が顕在化したのです」
「〈本山〉……」
「組織の統括本部ですよ。思い出しましたか?」
「反物質の存在はディラックのスピノル理論によって予言され、反電子の存在が確認されている。宇宙の何処かには、反物質で造られた電荷だけ反対の反宇宙がある……」正人はうわ言のように喋った。
自分の知るはずもない知識が脳髄の奥から滲出してくる。
そこに青木が説明を加える。「AMIは、正反ふたつの世界を誘導し連結させる。ただし、起動するにはコードを入力しなければならない。四桁の文字列だが、それがわからなくなった。光背の四つの輪をそれぞれ回転させて、像の頭上に文字列を作るのです。どの輪にも数十の文字が並んでいる。組合せの数は数百万通り。その中から、煩雑なスタンバイの手順をくり返しながら、たった一つの正解を探し出さねばならない。AMIには外部と結ぶ端子はないし、開封もできません。だから、途方もないアナログの手作業です」
「まて……何をしでかす気だ? まさか……」
「もちろん、これを起動するのです」
「そんなことをしたら、この宇宙に反宇宙が流れ込んでしまう。ふたつの宇宙が衝突する……」
「そう。プラスとマイナスが、この像を接点としてぶつかる。そして全質量がエネルギーに変換され相殺される。一瞬ですべてが消滅する。地球はおろか宇宙そのものが無に帰す。地獄は消滅するのです。時間さえ無くなる。もはや輪廻転生も存在しえない。我々はすべて救済されるのだ。苦痛も快楽もない極楽へ、再生することのない穏やかな無へと旅立つのです」
「ばかな……なんというばかなことを」
正人はよろめく躰を壁で支えた。
「一瞬のことですよ。苦しむことはない。慈悲です。ほかに救済の方法がありますか? 悟りもない職業坊主のように、方便を並べますか? それともショーペンハウアーのように、地獄を生き抜く処世術でも教えるか? どうせ苦痛ばかりの世界なら、できるだけ苦痛が少なく済むように、何もせずじっとして暮らしなさい。苦痛の種になる夢など持たずに暮らしなさい。そう教えるか?」
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