11 時が機能を失った庭

「なあんだ、二人ともここにいたの。ヨーグルト食べない? ブルーベリィジャムかけたやつ」

 盆を卓に置き、スプーンの添えられた皿を配った。

「わたしは食べたくないな、悪いが。……すこし書院にいるから」青木は立ち上がり、居間を出て行った。

 正人は皿を取り、紫と白とをスプーンで混ぜ、甘酸っぱい味を口に運んだ。

「どうしたの? 憂鬱そうな顔して」斎子が顔をのぞき込むようにして訊いた。

「青木さんて暗そうな人だと思っていたけど、やっぱり暗いんだなあ」

「暗い話、してたの?」

「地獄というのはこの世のことなんだって。それがあの人の見解らしい」

「ふうん。地獄に、あんないいことあるかしら……」

 斎子は意味ありげに笑い、夜のことをほのめかした。

「なるほど。そうか。極楽とは、きみの躰にあったのか」正人は調子を合わせた。

 少女は無邪気にヨーグルトを食べている。自分の皿を空にし、青木の分に手をつけたところだ。

 横座りした太腿が短いスカートからのぞいて見える。はちきれそうな豊かな生命力の輝き。生きていることが楽しくてしようがない娘盛りだ。それを目にしたとたん、先ほどの青木の話がばかげたものに思えてきた。生命いのちを謳歌する若い娘の躰は、すべての幸福を孕んでいる。ほら、極楽はここにあるではないか――

 見つめられているのに気づいて、斎子はこちらを向いた。紅を曳かずとも光る唇が、すぐそこにある。こらえきれずに柔肩に手をかけると、斎子はしなやかに身をよじって逃れた。

「だめ、夜まで待って」

 艶っぽい目で笑う。大人びた色香がよぎる。正人は舌打ちした。

「青木さん、おれたちのこと気づいているんだろ?」

「そうかも」

「それで、あんなおかしな話をしたんだろうか?」

「あなたを追い出すために? 違うわ」

「でも、もう何日も居候してる。そろそろ嫌がられてるのかもしれない」

「そんなことないよ。お兄ちゃん、話し相手ができて喜んでるわ。あの人、寂しいのよ」

「そうかなあ…… 長く居させてもらうなら、家に連絡しとこうか……」

 斎子は、あきれたようにため息をついた。

「鈴佳さんって、そういうところがダメなんじゃない?」怒ったように言う。「いつ戻るかわからないと言ってきたんでしょ? どうしてもお母さんから離れられないみたいね」

「わかったよ。怒るなよ。居候が申し訳ないと思ってるだけなんだよ。そう言ってくれるなら、もうしばらくご厄介になるか。……あれ、どうしたの?」

 斎子はあらぬ方を見つめていた。その目が恍惚とした光を帯びている。正人は彼女の視線を追った。

 風が、裏庭の樹々の葉を散らしている。沈みゆく夕陽の光を幾条も浴びて、葉は黄金色に輝きながら舞っている。不思議な夕暮れに彩られた庭の中で、時が機能を失ったスローモーション映像のように、黄金の乱舞はいつまでも止むことがない。

 斎子は立ち上がり、引き寄せられるように縁側へ歩いた。正人も立った。彼女と同じように、目の前で輝きわたる夢幻の光景に魅せられていた。

「すごい……」つぶやき、斎子の肩を抱いた。斎子はうっとりと正人の胸にもたれた。

 こんな美しい世界が、地獄でなどあるはずがない。

 先ほどの青木の禍々しい言葉は、絢爛たる光景の中で、急速にその意味を失っていった。


               *


 その夜、斎子は訪れなかった。訪れなかったのは、正人がここへ来てはじめてのことだ。

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