09 異質な日々


               *


 翌日から浄願寺での暮らしが始まった。午前中は掃除を手伝い、午後は寺の書物を読んだり座禅の真似事をしたりして過ごした。

 寺は静寂の中にあった。風が疾走はしり、雨が軒下に窪みを穿つ。落葉は息を殺して重なり合う——自然の呼吸音は、静寂をより研ぎ澄ます。

 これまで暮らしてきた世界の喧騒が嘘のように思えた。

 この町で下車した気まぐれは、いったい何だったのだろう? だが今は、その気まぐれに感謝している。おかげで斎子とめぐり逢えたのだ。

 初めての日以来、彼女は夜ごと正人に当てられた寝室を訪れる。暮れれば気温が下がり、奔放な営みは暗渠あんきょのごとき布団の中で繰り返される。

 ところが昼の光の中に、夜の斎子はいない。煙草を手にすることもなく、何事もなかったように幼さの残る頬で微笑する。恥じらいさえにじませて。

 まるで二人の斎子がいるようだ。謎めいたコントラストは、夜の暗渠に更なるたかぶりをもたらす。

 正人はからられていた。仏教書などを開いて長い午後を過ごしながら、息苦しいほどの思いで待つ。闇が少女を変貌させる底なしの夜を。

 一方で、青木は変わらず平然としていた。二人のことを知っているのか知らないのか。たとえ知っても、そのままだろう――青木を見ていると、そんな気がしてくる。俗事に何の関心も示さない。くらくて細い目は、何処か、遥か遠くを見つめている。青木と斎子に男女の関係があるにしても、男はそれほど執着していないように思えた。

 そんな超然とした青木のようすも、いっとき微妙に崩れることがある。午後から離れの書院に籠るときだ。何か精魂込めた作業でもしているのか、夕刻になってそこを出て来る姿は、いつもひどく憔悴していた。

 何をしているのだろう?

 不審に思った正人だが、深く考えることはなかった。想いは斎子ばかりに占められて、それ以外は上の空だった。

 こうして、これまでの日常とは、あまりに異質な日々が過ぎていった――

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