08
「喉、渇いたでしょう? 水持ってきた」
斎子は座り、受け皿に載ったグラスを畳に置いた。中の氷がカランと踊った。
正人は半身を起してグラスを取り、喉を鳴らしてひと息に干した。そんな彼を斎子が見つめている。
どこから来る光だろう? 窓からか? 斎子の輪郭が光を帯びて見える。昼の光の残滓が、すべて彼女に集まったかのように。ほの白い顎の線と柔らかな内腿の線が、闇に浮き上がっている。顎の線は幼いものなのに、内腿のそれは成熟した女のものだ。ちょっと切れ上がった唇が瑞々しい花びらのように濡れている。瞳は彼を見つめたまま、瞬くこともない。
斎子の腕をつかんだ。粗野な力が柔らかな肉にくい込む。そのまま曳くと、意思のない人形のように、少女の躰はあっけなく夜具の中へ崩れた。グラスが倒れ、氷が転がった。目の前が、カッと熱くなった。正人は、あさましいくらいにむしゃぶりついていった。このとき斎子は、ころころと鈴のように笑っていた。
着ているものを剥ぎ取るにつれて、未知の雪原が拡がる。着痩せするのか、年の頃に似合わぬ豊かな乳房がこぼれる。
「痛い。そんなにあわてないで」
そう言われたところで、女の躰の扱い方など知らない。
「初めてなの?」
正人は卑屈に頷いた。
「そう」斎子は入れ替わって上になった。彼を見下ろす顔が急に大人びる。「何もしなくていい。じっとしてて」
少女は男を裸にし、指と舌を
操られるまま、感覚はひたすら上昇を続ける。やがて熱く湿った暗がりが包み込んでくると、昇りつめた感覚はもう行き場もなく、あっけなく灼熱に変わって散った。正人は、溺れる者のように、少女の首にすがりついた。
灼熱が走り抜けた後には、穏やかな弛緩が訪れた。斎子が、ゆっくりと、首にまわされた男の腕をほどいた。
「もうすぐ、夜が明けるね」斎子は言い、立ち上がって、棚から煙草と灰皿を持ってきた。
布団に腹這いにもぐり込んでライターを点ける。ぽっ、と柔らかな横顔の線が浮かび上がる。
「吸う?」咥え煙草で訊く。
「うん」
正人は煙草をやらないが、こういうシーンでは、吸わないとサマにならないような気がした。
辛い煙が喉にしみる。ゆっくり吐き出しながら、自分の格好はサマになっているだろうか、と思った。
「ここにしばらく居るんでしょう?」
「学校は、もう出席しなくてもいいんだけど……でも、長居していいのかなあ」
「いいのよ」
「青木さんも?」
「うん」
「青木さんは困るんじゃない?」
斎子は笑った。少女っぽい笑いが、裸の肩に不似合いだ。
「困らないでしょ。悟り、開いてるもん」煙草を押し潰す。「ねえ、あたしを奪う気にならないの?」
「え? ああ、もちろん」
思いがけない言葉に胸が躍りだす。得体の知れない娘だが、このチャンスを逃したら、二度とこれほどの女性には縁がないような気がする。
「朝はゆっくりしてていいのよ」
斎子は脱ぎ散らかした衣類をかかえて立った。
白い裸が廊下の闇に溶けるように部屋を出ていった。
スマホが枕元に置いてある。手に取る。斎子の画像を見たかった。だが、電源が入らない。宴会のときしっかり充電したのに、何度試しても画面は真っ黒のままだ。
壊れた? ため息をつく。でも修理すればいい。画像は消えていないはずだ。友人たちに見せる証拠は絶対必要だ。
仰臥して頭の後ろに手を組む。布団の中で躰を伸ばす。頬が緩みきっているのがわかる。自分は今、ひどくだらしない顔をしているだろう。至福が全身を満たし、口笛でも吹き鳴らしたい心境だ。今のことは夢じゃない。確かに起こった現実だ。何度も自分にそう言い聞かせた。旅のみやげ話ができたことが、何より嬉しい。自慢話をするときの話し方さえ考えた。すると、つい先ほどの熱い絡み合いが思い返されて、陶然となった。
鳥の声が聞こえている。
窓の闇が薄れている。
心地よい充足感に包まれたまま、やがて彼は豊かな眠りに埋没していった。
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