06 宴 


               *


 寺の食事といっても家庭のものと変わらない。ただ、夕食の煮込み料理は二つの鍋で出てきた。青木の食べる分が別になっている。肉抜きなのだ。

「ここへ来てから肉が嫌いになってしまって……坊主らしいといえば、それくらいかな」青木は弁解のように言った。

 正人の歓迎会ということでビールの栓が抜かれ、食事が終わるとカラオケまで登場した。

「慰労会で使うことがあるの。びっくりした?」斎子は笑う。

 マイクを握り、少女は張りのある声で歌いだした。流行のナンバーだ。キレキレのフリツケで肢体が舞う。

「あの、外に聞こえたら、具合悪くない?」正人はハラハラした。

「聞こえる範囲に誰も住んでやしないわよ」斎子は意に介さない。花弁を思わせる唇から、次々に歌が繰り出される。少しかすれたソプラノが艶かしい。

 青木は黙って微笑んでいる。

 酒がまわり、いつしか正人もマイクを握っていた。爽快な気分だった。美少女の肩に腕を回してデュエットする。別人になったような高揚感。急ごしらえの不遜な自信が、躰中を駆けめぐっていた。

 さすがに住職は騒がない。目元を染めて壁に寄りかかり、二人の騒ぎを眺めている。

 正人は思いついてスマホを取り出した。「写真撮りましょうよ」

 青木は手を振って遠慮する。「わたしはいい。二人を撮りますよ」正人からスマホを受け取り、「歌っているところを撮りましょう」そう言ってレンズを向けてきた。

 促されるまま二人で歌いだした。斎子は調子を合わせて正人にもたれる。頬を寄せてピースする。そんな二人に向けて何度もシャッターが切られた。

 青木は立ち上がり部屋を出た。それきり戻らなかった。 

「青木さん、どこへ行ったんだろう?」歌の切れ目に正人が問うと、

「もう寝ちゃったんだよ、きっと」酔いに潤んだ目で斎子は言った。

 テーブルに置かれたスマホを取り、撮ったばかりの画像を確認した。しっかり撮れている。正人にくっつくようにして、美少女がにっこり笑っている。これで友人たちに自慢できる。胸の内でガッツポーズした。

「いっぱい撮れてるね」横から覗き込んで斎子が言った。

 夜が深くなっていた。いっとき騒ぎが途切れると、山中の底無しの静けさがどっしり居座るようだ。急に白けた雰囲気が漂った。

「鈴佳さんも眠くなった? 疲れてるんでしょ?」

「疲れてなんかいないさ。まだ、これからじゃないか。呑もうよ!」

 楽しい夜をこれきりにしたくない。

「お酒、強いね。未成年だろう?」冷酒を注ぎながら訊くと、斎子は曖昧に笑った。

「ねえ、きみ、いくつなの?」

「さあ、いくつかしら。鈴佳さんより歳上かもしれないよ」

「まさかぁ」

 十六、七に見える。が、ときおり、瞬間的にだが、横顔に大人の女を感じることがある。不思議な印象のよぎることがある。

 ……家出娘だろうか。

「青木さんとは、どういう関係なの?」酔いにまかせて訊いてみた。

 ふふ。斎子は笑った。「気になる?」

「気になる」

「ひ、み、つ」どきりとするような艶めいた目を流す。酒臭い息まで官能的だ。

 それから、どのくらい酒が続いたかわからない。いつの間にか意識はあやしくなり、気がつくと便所で吐いていた。

 斎子の手が背中をさすってくれている。

 冷や汗に濡れそぼった嘔吐感の中で、何故か昼間の交通事故の光景が蘇った。 

 轢かれた子供の顔。顔を見たわけではないのに、その子の顔が、助けて! と叫んでいる。

「あんな小さな子がトラックに巻き込まれたんだ。引きずられて……」正人は泣き声になった。

 見たはずのないその子の顔の幻は、ぐにゃりと変形し、誘拐された女児の顔に変わった。そしてまた、ぐにゃり。今度は姉の子の顔に。彼にまとわりつく幼い笑顔に。

 正人は、幻を払うように頭を振った。今度はあの可愛い甥が、酷い事故に遭うような不吉な予感がしたからだ。

 無事に生き長らえている事が、奇跡のように思えてくる。日常茶飯な惨事の犠牲者の順番が、明日にでも自分のまわりにやって来そうな気がする。穏やかにひっそりと暮らしている、自分たち家族のところへ。

 わけのわからないことを呟いて、正人は躰を震わせた。

「やさしいのね、鈴佳さん……」斎子の声が耳元に聞こえる。

 正人は斎子の手を握った。その手の柔らかさだけが、僅かな救いのような気がした。


               *


 ひどい渇きで正人は目を覚ました。頭の芯に鈍い痛みがある。

 ああ、ここはお寺の中だった。

 見慣れぬ天井の木目を仰ぎながら、ようやくそれを思い出した。

 水を飲みに起きようとして、ギョッとした。同じ布団の中に誰かの躰がある。掛け布団を剥ぐと、隣りで斎子が身を丸めていた。

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