04 浄願寺

 途中から傾斜が急になり石段の踏み面が狭まった。登るほどに、気のせいか空気が重くなってゆく。何の気配だろう? 生々しい息遣いのような気配がのしかかってくる。いつの間にか、彼はあえぎ始めている。だが、何かの関門を過ぎたかのように、登りきるとそれはなくなった。

 正面に本堂。右手に庫裡があり、渡り廊下で繫がっている。左手は、山の斜面を段状にした墓地。その手前に庭があり、花壇がこしらえてある。どこの田舎にもあるような、ありふれた小さなお寺だ。

「お兄ちゃん、お客さんだよ」

 お兄ちゃん?

 正人は振り向いた。

 僧が庫裡から出てくるところだった。痩せた蒼白い男だ。まだ三十は越えていないように見えるが、短く刈った頭には白髪が混じっていた。細い目には、老人のように、長く人生を見てきた者の深淵がある。あるいは、修行の果てに得るような諦念の色……

「ようこそ。青木といいます。それから、これは斎子ときこ

 青木と名乗った僧は、外国人のように手を差し出してきた。

「鈴佳です」

 正人は、とまどいながら握手を受けた。初対面の、それも僧侶に、このように馴れ馴れしく接せられたことに当惑していた。

「あたし、コーヒー淹れてるから」斎子は庫裡へ駆けて行った。

「土地のかたじゃありませんね」

「ええ、旅をしてるんです」

「旅か。旅はいい。旅は、自分の中に眠っているものを呼び覚ましてくれる……」青木は、遠い過去に思いを馳せるような顔つきをした。

「ここの駅に降りるつもりはなかったのに、ふらふらっと降りてしまったんです」

「何かがあなたを呼んだのでしょう」

「このお寺がぼくを呼んだというのですか? まさか」

 青木は応えず微笑んでいた。

 一陣の風が吹き抜けてゆく。

「わたしも、あなたのように旅をしているとき、偶然ここへ立ち寄ったのです。もう二年になるか……ここに滞在させてもらううちに、住職は何処かに行ってしまった。それ以来わたしは、ここで坊主の真似事をしているのです」

「はあ?」

 何ともおかしな話だ。しかし、僧はからかっているわけでもなさそうだ。

「斎子さんは、妹さんですか?」

 お兄ちゃん、と呼ぶので訊いてみた。

「妹? はは、そんなんじゃありませんよ。わたしよりずっと前から、この寺に棲みついているんです」

「棲みついてる? そんな、犬や猫みたいに……」

「あの娘も何処からかやって来て、ここに居ついたのでしょう。あまり話したがらんのです」

 青木に促されて庫裡の方へ歩きかけたとき、ふと奇妙な考えが正人の頭を射た。

その考えは、本堂の暗がりからやって来た。

 まさか……そんなことって……

 正人は向きを変え、本堂の方へ進んだ。胸の鼓動が速くなる。段を上り、そして堂内を覗き込んだ。

 うす暗い堂の中央に座る仏像の顔は、しかし、〈薄い唇〉ではなかった。

「どうかしましたか?」背後で青木が訊いた。

「いえ」正人は振り向いて、安堵したように笑った。「何でもありません」

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