03 斎子

 広場に置いてきぼりにされた正人は、ぐるりと周りを見渡した。 

 未舗装の広場を杉林と草むらが取り巻き、山に向いて小径こみちがふた筋ある。左の筋は木立の奥に吸い込まれ、奥に一軒家が見える。それは朽ち果て、人が住むようすはない。

 右の小径は少し先で石段が始まる。すぐ樹林に遮られるが、方向に沿って目を上げれば、浄願寺らしき大屋根が杉木立の上に突き出して見える。

 にじんだ太陽が厚い雲に隠れた。急に風が冷たくなった。バッグを持たないほうの手で自分の肩を抱いた。

 足を踏み出しかねていた。これほど閉塞的な場所とは思っていなかった。気味悪い感じがするし、山中に潜む男女の秘事を覗きにいくようで、ためらいを感じる。

 突然、横の繁みでカラスが絶叫した。

 正人はすくみあがった。

 狂ったような叫びが続き、暴れる羽が草むらをざわめかせる。そこに獣の唸りが混じる。

 正人は後ずさった。

 カラスが猫に捕えられたのだ。

 深い繁みの中で闘争が続く。次第に葉を叩く羽の音は弱くなってゆく。叫びは悲鳴に、そして哀願に変わる。やがて、どちらもが止んだ。繁みは再び静寂に沈んだ。その静寂の中では、猫が口の周りを血で染めながら、獲物の臓物を喰らっているはずだ。

 帰ろうか。今日は良くない事ばかり起きる。寺へ行っても、胡散臭そうに見られるだけだろう。何しに来た、と怒鳴られるかもしれない。バスがなくても歩いて帰れば……

 マップを見ようとスマホを出した。圏外になっている。

 舌打ちしながら踵を返した。とたんに、あっ、と声をあげた。

 すぐ後ろに人がいた。いつの間にそこへ来たのか。気配など微塵もなかった。まるで虚空から湧き出たように、そこに少女が佇んでいた。目を剝いた正人の顔を、おかしそうに見ている。

「どこへ行くの?」少しかすれたソプラノが、そう訊いてきた。

「町へ、行くんだ」声がうわずる。

「お寺を見に来たんじゃないの?」

「もう、見たんだ……」

「うそ。あなた今、バスから降りたところじゃない」

「……」

「いらっしゃい。コーヒーくらいごちそうするわ。あたし、お寺に住んでいるのよ」

 少女をじっと見た。

 これが寺に囲われているという女か?

 描いていたイメージとまるで重ならない。女子高生だろうか? 艶のある黒髪を額の真ん中で分け、肩まで垂らしている。切れ上がった目尻と紅い唇が印象的な美少女――

「さあ、怖くなんかないよ」

「怖くなんか、ないさ」

 少女は、ふふ、と笑った。

 正人はカラスが襲われた繁みに顔を向けた。

「どうかした?」

「聞こえただろ。カラスが猫に喰われたんだ。あの奥で」繁みを指さす。

「獲物捕まえるのうまいのよ、あの子」

「お寺の猫?」

「そうじゃないけど。この辺り、うろついてるの」

 少女に促されて、樹林を貫く石段を登り始めた。

 ピンクのスニーカーが軽快なステップで先導する。膝上丈のチェックのスカートが揺れ、そこから伸びる生足が扇情的だ。生足に釣られて行くような気がして、正人は苦笑した。

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