第十章 地の竜4

「ディン……!」

 ルーフェンが、地の竜の名を呼んだ。

 地の竜は、その大きな体を周囲の人間に見せつけるように、大きく翼を広げてみせた。

 体は鋼鉄のように固そうな鱗に覆われ、岩のようにごつごつとした角を頭にいくつも生やしていた。

 肌は地面と同じ赤い土色をしており、その目は風の竜と似た金色をしていた。しかし瞳の色は同じだが、柔らかな印象の風の竜とはまたまったく違う迫力を、その竜は持っていた。

『誰だ! 我を呼んだのは』

 腹の底に響くような、そんな声だった。

 荒ぶる怒りの感情が、そこには含まれているようにユヒトは感じていた。ユヒトはその迫力に押されまいと、懸命に答えた。

「僕です! 僕があなたを呼びました! 地の竜ディン!」

 ユヒトがそう言うと、地の竜は首を大きくもたげ、そこにいたユヒトに顔を近づけた。

『お前か、小僧。我を呼んだのは!』

 たくさんの牙が並ぶ大きな口が、ユヒトの眼前にあった。今にも食われそうな迫力に、少し心が挫けそうになったものの、それをはねのけながらユヒトは続けた。

「そうです。あなたにお願いがあって、呼んだんです! 地の竜よ、どうかこの壁を取り払ってください。僕たちはセレイアに行かなければいけないんです! 世界の崩壊を食い止めるために、女王に会わなければならないんです! だからどうかお願いです。僕たちを女王に会わせてください! この壁を取り払ってください!」

 ユヒトは懸命に呼びかけた。地の竜にそれを聞き入れてもらわなければならない。そうしなければ、ここから先に行ける機会は永遠に失われてしまうだろう。彼はそれを、肌で感じ取っていた。

『小僧! この壁は、セレイアを護るために我が作ったものだ。女王を護るそのために! 人間は信用できぬ。なぜならあのとき魔物を連れ込んだのは、他でもない人間だったからだ! 人間は卑劣で愚かだ。なんの力も持たない脆弱な存在であるくせに、悪賢くどこまでも強欲だ。人間は魔物と通じ、その力を使って神である女王を弑し、自らが神にとって変わろうとしたのだ。その人間を、我は断じて許さん! お前たちをここから通すわけにはいかんのだ!』

 地の竜は、ユヒトの目の前で、大きな咆哮をあげた。ユヒトはその口から発せられる熱風に、たまらず目を伏せていた。

 地の竜の怒りの感情が、ユヒトの全身に襲いかかってきたようだった。

 地の竜は人間を信用できないと言った。

 人間を許さないと。

 それならば、ユヒトにできることは、ひとつしかなかった。

「地の竜」

 ユヒトは静かに言った。

「僕は以前、風の竜と会った。そしてその加護を受ける身となった。そして、その力がなにかの役に立つかもしれないと、世界を救うためにセレイアに向けて旅立ったんだ。そして、ようやくここまでたどり着いた。僕は、この崩壊の危機に瀕したこの世界を護りたいんだ。この美しい世界をなくしたくない! そのために僕たちはここまでやってきた。あなたは人間を信用できないかもしれない。許せないかもしれない。だけど、それでも信じてほしいんだ! 僕はこの世界を救いたい! だからそのためにも、地の竜! どうかここを通してほしい! 女王に会わせてくれ!」

 必死だった。

 ユヒトには、それしかできることはなかった。

 心から訴えかけて、信じてもらうより他に、方法は見つからなかった。

 地の竜は荒い鼻息を漏らしながら、ユヒトを見つめていた。

 とそこで、それまで黙っていたルーフェンがユヒトの隣までやってきた。

『お前は? その体に纏う気配。もしかして……』

 地の竜がそう言ったのに対し、ルーフェンはうなずいた。

「地の竜。オレは風の竜の分身であるルーフェンというもの。セレイアで力尽きて倒れている風の竜の代わりに、このユヒトの力となり、ここまでやってきた。あのとき魔物たちをセレイアへ招き入れたのは人間だった。お前が人間を信用できないというのも無理はない。だけど、このユヒトたちと共に旅をしてきてオレはわかったことがある」

 ルーフェンは一度言葉を切り、一瞬ユヒトのほうを見やった。そのときに見えたその目には、なにか温かいものが含まれているように、ユヒトには見えた。

「人間は、未熟で脆弱で愚かだ。だけどそれだけではない。人間は他を思う優しさと、勇気、そして大きな可能性を持っている。世界を破滅へと導くのも人間なら、それを救えるのもまた人間だ。女王は、そんな人間の声をおろそかにはしなかった。自らの創造せし人間たちの声を聞くために、セレイアへの扉を開いてきたのだ。オレたち神竜は、その女王の意志を尊重しなければいけない。女王が信じた人間の可能性を、オレたちも信じなければいけない。そうだろう?」

 ルーフェンの声は、地の竜の作った巨壁に反響して、その場にいた全員の耳に響いた。

 それは地の竜に対しても同様だった。じっとルーフェンを見つめる地の竜の瞳は、深い叡知に満ちていて、美しくきらめいていた。

 地の竜は一度大きく首を上に持ちあげ、その後方にそびえる巨壁を見やった。

 長い数瞬が流れた。地の竜は、じっとそうしたまま、しばらく山のように動くことはなかった。

 地の竜が動いたのは、そこにいた人たちが我慢できなくなって身じろぎを始めようとしたそのときだった。

 地の竜は、おもむろにその両翼を広げたかと思うと、その先についていたかぎ爪を、その巨壁へと叩き付けた。

 ガッという音が響いたその数瞬後、そのかぎ爪の下にある巨壁に、ピキピキとひびが入った。その亀裂は大きく伸びて広がり、やがて、巨壁全体に伝わっていった。

 ユヒトがはっとしてそれに見入っていた刹那、それは激しい轟音や地響きとともに、崩れ去っていった。

 激しい砂煙が立ちのぼる。

 衝撃による爆風が辺りを襲った。

 やがてそれがやんだころ、ユヒトが閉じていた目をゆっくりと開けると、今まで巨壁に隠れていた道の先が眼前に広がっているのが見えた。

「道だ……」

 誰かがつぶやきを漏らす。

「セレイアへの道が開いたぞ!」

 そんな声とともに、辺りに歓声が響いた。

 地の竜が、その道を使者たちに開いた。それはセヴォール山の高き頂へと続いている。

 それは、セレイアへの使者である彼らにとって、大きな希望の道に見えていた。


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