第五章 雨の降り続く町7

 そのときになにが起きたのか、レミはあとになってもはっきりとしたことは語れなかった。

 ただ、鉄砲水がものすごい轟音とともにこちらに流れてくるのが見えた。

 きっと、みなここで死ぬんだと、そう思っていた。

 事実、その鉄砲水はすぐにこちらに到達した。そしてその水はすぐに堤防の高さを越え、町へと流れ込んでいったのだった。

 そのとき、どうしてそんな光景を見ることができていたのか、自分が水に飲み込まれなかったのかは正直よくわからない。

 ただ気づいたときには山の高台に戻ってきていて、レミは大きな木の下で横になって眠っていたのだった。

 そのとき、周りの町民たちは、なにかに騒いでいた。

 悲しみの声があがる一方で、ありがたそうに空を拝む人たちの姿もあった。

「レミ? 起きたのね。よかったわ」

 そう言ってそばに近づいてきたのは、レミの母親だった。

「お母さん? あ! そういえばお父さんは? まさかあの鉄砲水で……」

「お父さん? そこにいるじゃない」

「え?」

 言われて母親の視線の先に目をやると、レミの父親は隣で寝ていた。

「大丈夫なの? どこも怪我とかしてない?」

「大丈夫。少し眠ってるだけよ。それより大変だったのよ。サダヌ川の堤防が決壊して、町が水に呑まれてね」

 母親の言葉のとおり、そこから眼下に見える町の光景は、いつの間にか変わり果てていた。水が町を覆い尽くし、家が屋根まで浸かってしまっていた。もしあのまま町に人が残っていたとしたら、たくさんの人が水に流されてしまっただろう。

「本当に恐ろしい。町はもうめちゃくちゃよ」

 母親はそう言いながらも、その声色に絶望感はなかった。

「でも、それから奇跡が起きたのよ。最初はなにが起きているのかわからなかった。だけど、しばらくして、そこにいるのがなんなのかわかったの」

 母親は、恍惚とした表情で言った。

「風の竜が現れたのよ。ほんの短い間だったけれど、確かにそれは風の竜に違いなかった。その証拠に、見て」

 母親が空を見上げた。レミも同じように空を見上げる。

 そこには綺麗な青空が見えていた。あの暗い雨雲は、いつの間にか姿を消し、代わりに明るい陽光がレミに降り注いでいた。

「風の竜が、この町を包んでいた雨雲を吹き飛ばしてくれたのよ」

 辺りで空に祈るようにしている人たちの意味が、それでわかった。

 彼らはみな、風の竜に祈りを捧げているのだ。

 ありがとう、と。

「風の竜は、活動を停止したんじゃなかったの?」

「あの旅の人たちが言ってたでしょう。風の竜は完全に活動を停止したわけではないって。だからその残っている力で、雨雲を追い払ってくれたのじゃないかしら。あの人たち使者が風の竜の加護を受けているという話は、本当だったのかもしれないね」

「そういえば、あの人たちは?」

 レミは彼らの姿が見えないことに気づいて言った。

「そうそう。あの旅の人たちがあなたたちを抱えて、ここまで連れて来てくれたの」

「それでどこに? 無事だったの?」

「無事よ。髭の人と若い男の子が、お父さんとレミをここまで連れてきてくれたの。そのあともう一人の人と合流して、さっき出ていったわ。北に向かうと言ってね。川にかかっていた橋はきっと流されてしまって使えないだろうから、山道を使っていくのじゃないかしら。そうそう。起きたらレミによろしく伝えておいて欲しいって言ってたわ」

「嘘!」

 レミはいても立ってもいられない気持ちになり、彼らの姿を捜した。

 周囲を見回し、辺りを駆けた。けれども彼らの姿は、もうその辺りには見当たらなかった。

 レミはもやもやとするこの感情を、どこにぶつけたらいいのかわからなかった。どうしてあの人たちは黙っていってしまったのだろう。どうしてレミに、ひと言のお礼も言わせてくれないんだろう。

 レミはそのとき思い出していた。

 あの鉄砲水が来たときのことだ。その瞬間、ユヒトの胸の辺りでなにかが光った。そしてそこから、一匹の白い犬のような獣が現れたかと思うと、その獣は見る間に大きくなり、一匹の白き竜へと変貌した。

 そしてそこにいたレミたちみなを背中に乗せたかと思うと、一気に空へと舞い上がっていったのだ。

 その後すぐにレミたちのいた場所は水に呑み込まれ、あっという間に辺りを水で埋め尽くした。

 白き竜はそのままぐんぐん空へと上昇し、雨雲を抜け、ついには雲の上へと出た。そしてそこで、翼をはばたかせ、大きな風を巻き起こした。その風は固まったように動かなかった雲をわっと追いやり、遠くへと運んでいったのだった。


 レミは北へと続く山道にやってきた。そしてその先に、馬をひいて歩く三人の人の姿を認めた。

 レミは声をいざ出そうとして、なにを言えばいいのかわからず、息を止めた。それから少しだけ考えて、言う言葉を決めた。

 息を思い切り吸い込んで、上のほうにいる彼らに向かって叫んだ。

「ありがとうーーーっ!」

 彼らはそれに気づき、こちらに手を振っていた。

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