第五章 雨の降り続く町4

 住民たちは、山の高台の上に集められていた。そのなかには、住民たちの飼っている馬や牛、山羊などの姿もあった。山の高台からは、スーレの町が見渡せた。その少し先にはサダヌ川が流れている。相変わらず雨は降り続けていて、やむ気配を見せなかった。

「おいおい、これからなにが始まるっていうんだ」

「なんでもセレイアに向かう使者だと名乗る偉い旅人が、風の竜の力を見せてくれるらしいぞ」

「しかし、なんだってこんな雨の中、こんな場所まで出向かなきゃならないのさ。こっちは夕餉の支度に忙しいってのに。それに、馬やら山羊やらも連れてこいだなんて」

「しょうがない。町長からの命令なんだから。けどまあ、世界を救う使命を担った偉い人たちの言うことだ。一応聞いておくに越したことはないだろうよ」

 町の人たちは、なんだかよくわからないままに連れてこられた人たちも多かったようで、辺りはざわざわと喧噪に満ちていた。

「レミさん。町の人たちはこれでみな集まったのかな」

 少年が言った。少年の名はユヒトというらしい。

「そうね。町長の鶴のひと声で、みんな集まってると思うわ。わたしの父親以外は全員来てるはず」

 父親のことは、ギムレという旅人が呼びに行っている。レミの呼びかけが通用しなかったため、代わりを頼んだのだ。

「でも、本当のことを話さなくて、よかったのかしら。みんな不審に思ってるみたいだけど」

「本当のことを言っても相手にしてくれなかったんだろう? それなら仕方ないよ。それに、一応嘘は言ってない。ちゃんとできるか保証はできないけど」

 ユヒトはいたずらっ子のように笑った。

「本当に風の竜の加護を、町の人たちに授けてくださるというんですな」

 少し離れた場所では、町長が誰かとしゃべっていた。

「ええ。風の竜は活動を停止してしまいましたが、その力は失われたわけではありません。そこにいる少年は、風の竜の加護を受け、その心の声を聞くことができる力を持っています。その力を持ってすれば、奇跡も起こすことができるのです。それを見ることで、町の人、さらには家畜も、風の竜の御加護を賜り、これからさらなる力を得ることができるというわけです」

 エディールという美青年が、にこやかにそう話す。なにやら町長は、エディールという人の言葉にえらく感銘を受けている様子だが、ユヒトによると、その話はまるで作り話に近いとのことだった。

「要は、町の人全員が安全な場所にいてくれさえすればいいんだ。本当は、みんながきみみたいに、この町の危機を感じ取ってくれてればいいんだけどね」

 レミは、あれからユヒトたちと協力して、町の人たちを山の高台へ行くようにと呼びかけた。それもあえて避難のためとは呼びかけず、使者がなにやら貴重なものを見せてくれるからというふうにふれまわった。しぶる町民には町長の命だと説得した。

 すると、レミの言葉には耳を貸さなかったはずの人々が、いとも簡単に動いたのだった。

 危機意識に欠ける人たちも、こういった好奇心をくすぐられるような話には弱いのだということを、レミは今回あらためて思い知った。

「でも、町の人たちはちっとも川の増水に危機を感じていないのに、どうしてきみだけは危険だと思ったんだい?」

 そう問われ、レミはつきりと胸に痛みを覚えた。思い出したくない過去の思い出が、脳裏に蘇ってくる。

「……この町では水害が起こらない。水の竜に護られているから。そういう話、誰かから聞いたでしょう?」

「うん。町の人たちは、毎日のように水の竜へ祈りを捧げているんだってね」

「そう。実際、この町は今まで大きな水害から護られてきた。それは、あの堤が大きな役割を果たしてきたからなんだけど」

 レミは、唇を一度噛み締めてから言った。

「でも、あの堤ができてから大きな水害はなくなったけど、それでも一度も水害がなかったなんてことはない。雨が降って崖が崩れたり、雨のせいで作物がうまく育たなかったり。それだけじゃない。……川に足を滑らせて流されてしまった猫もいた」

 レミは可愛がっていたその猫のことを思い浮かべ、胸が掻きむしられるような思いがした。

 それはレミが犯した幼いころの過ちだ。堤防の上に子猫を連れていって、誤って子猫を川に落としてしまった。子猫はひと鳴きしたかと思うと、すぐに水に呑まれ、遠くへと流されてしまった。幼いレミにはどうすることもできなかった。

「水は怖い。優しくなんてない。そのことをみんな本当は知っているはずなのに、どうしてだかそれを見ようとしない。水で豊かになった町だから、水を尊いものだとあがめている。水の竜の神様が、町を護ってくださっているから大丈夫だと、毎日祈っているから大丈夫だと勝手に思ってる」

 レミはサダヌ川の方を眺めた。雨で煙っているが、それは竜のように長くうねりながら伸びていた。

「きっと、高く築いた堤が、水の本当の姿を隠してしまっているせいよ。堤防に護られて、そこに安心してしまって、本当は常に危険と隣り合わせだということを、町の人たちは忘れてしまっている。そして、それを助長しているのは、わたしのお父さんでもあるのよ」

「きみのお父さんが?」

 レミはうなずいた。

「父は、昔水の竜に会ったことがあるんですって。そこで、水の竜のお告げを聞いたんですって」

「それは、本当なの?」

「本当かどうかは、本人にしかわからない。だけど、そのお告げを聞いたあと、父は今の高い堤の築堤を町長に提案し、その工事を行った。そして、その堤が完成した直後、各地で豪雨の被害が続出した。だけど、この町は堤のおかげで大きな被害に遭わずに済んだの。そのことで、父が水の竜のお告げを聞いたという話は本当だったのだと町の人たちは信じてしまった。そして、父は堤を管理する最高責任者の地位についた。この町では、町長の次に尊敬される仕事なの」

「そうだったのか……」

 ユヒトはレミの話を聞き、なにやら考え込んだ。

 レミはそんなユヒトの姿を見て、不思議に思った。先程話を聞いて知ったが、この少年は、世界を救う使命を帯びて旅をしているのだという。しかしレミには、とても彼がそんな偉い人物のようには思えなかった。自分と同じくらいの歳に見える彼が、そんなに重い責任を担わされているということを、想像できなかったのだ。

 レミがじっと見ていることに気づいたユヒトが、小首を傾げた。

「なに?」

「あ、ううん。えっと……」

 ユヒトの曇りのない瞳にレミは戸惑いながらも、先程から疑問に感じていたことを本人に訊いてみることにした。

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