第二章 闇の世界の住人2

 シルフィアの人々は、女王と神竜をあがめて暮らしている。日照りが続けば人々は水の竜に祈り、寒さが続けば人々は火の竜に祈る。収穫の恵みがあれば人々は地の竜に感謝し、春の風が吹けば人々は風の竜に感謝した。この世界のすべての暮らしの中に、竜と女王の恵みが息づいていた。竜は世界を作り、生命を生かしていた。竜が世界をめぐり、世界を生かしていた。それがシルフィアという世界であり、すべての源だった。

 その中のひとつ、風の竜が活動を停止した。つまり、世界の一部が停止したということである。それにより、今まで保てていた均衡が崩れ、世界のあちこちで異変が起きていた。このままの状態が続けば、いずれ大変なことになってしまうだろう。

 本来であれば、国の危機に関することは、国を統治する役目を担っている聖王が、セレイアの女王に繋ぎを願い、そこで国難救助の嘆願をするのが常套である。しかし、今回はそれができないらしい。なぜなら、肝心のセレイアへの道が閉ざされてしまったからだ。

 なぜ突然そうなってしまったのかは、聖王やセヴォール山の麓で暮らす神官たちも、まるでわからないのだという。そんなことはこの国が始まって以来のことであり、もはや事態は聖王一人でどうにかなるというと段階を過ぎていた。

 下々の民草が、その辺りのくわしい事情を知ることはなかなか難しいものである。けれど先日、南の国の全町や村に、国が始まって以来の異例ともいえるおふれが立った。

 それは、セレイアへの使者を全国から募るというものだった。

 南の国フェリアの聖王ナムゼは、これまでできていたはずのセレイアとの交流が、すべて断絶してしまったことをそのふれで伝えてきた。しかもそれは、フェリアのことばかりではなく、他の北、東、西すべての国でも同じような状態が続いているのだという。

 そこで聖王たちは、それぞれの国でいろいろな方法を試すことにしたらしい。

 ナムゼは方法のひとつとして、新たなる人材の力によって、セレイアへの扉をこじ開けるということを実行することにしたのである。

 今までにない難局に対して、今までにない方法で挑む。広き耳を持つと言われる賢王ナムゼならではの試みであった。


 そろそろ再び動きだそうと、みなが支度を始めたころだった。

『……こせ』

「え……?」

『その馬をよこせ』

 その声は、不気味にユヒトの耳に響いてきた。みなが休憩をそろそろ終えようとしていたときだった。ユヒトははっとして周囲を見回したが、声の主は見当たらなかった。

「ギムレさん、エディールさん。今の声、聞こえましたか?」

「声? さあ、なにも聞こえてはいないが」

「わたしも特に聞こえていないよ。ユヒト。なにかあったのかい?」

 エディールの問いに、ユヒトは緊張を滲ませながら答えた。

「今、不気味な声で、『その馬をよこせ』と聞こえてきたんです。人の声ではなさそうに感じられました」

 ユヒトの言葉に、ギムレもエディールも表情を硬くした。そして、二人とも注意深く周囲に視線を走らせた。

「……もしかすると、そいつはダムドルンドのものかもしれないな。この森でも、最近動物たちが不審な死に方をしている。各地で現れ始めたという闇のものたちが、この森にも現れているのかもしれない」

 ギムレが太い眉毛を怒らせ、鋭い目つきになりながらそう話した。

「そうかもしれないな。そうであれば、こうしてのんびりとしているわけにもいかない。ここから早く立ち去らなければ」

 エディールも、いつもの柔らかな表情からは想像もできないくらいに怖い顔で言った。

 ユヒトたちはすばやく出立の準備を整えると、すぐさまそこから離れていった。

 この森の中にも闇のものがいるというのが本当であれば、早くこの森を抜けなければ危険はどんどん増してくる。

 ユヒトたちの足は、自然と速まっていった。

 ダムドルンドというのは、シルフィアとは対になるもうひとつの世界のことである。

 伝承によると、ダムドルンドはシルフィアの裏側に存在していて、そこではシルフィアとはまったく異なる世界が広がっているらしい。ダムドルンドはシルフィアとは違って、闇の支配する世界であり、シルフィアには存在していない異形のものたちが暮らしているのだという。

 普段はシルフィアとダムドルンドがお互いに干渉し合うようなことはないのだが、世界の均衡が崩れ始めると、シルフィアにダムドルンドの闇のものたちが入り込んできて、こちらの世界を荒らし始める。そんなダムドルンドの闇のものたちは、シルフィアに害をもたらす存在でしかなく、シルフィアの住人たちにとって、彼らは驚異であった。

 こんなふうに闇の住人たちがこの世界を侵していけば、シルフィアの崩壊はどんどん加速していく。それを止めるためにも、一刻も早く風の竜を復活させねばならないのだった。

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