第29話 各々の恋バナが騒がしいんだけどどうしよう

 「なあおい黒崎、渕上ふちがみ先生やばくねえか?」

 「語彙力どこに置いて来たんだよ。悪口にしか聞こえんぞ。」

 「いやそうじゃなくてさ、可愛すぎるだろ綺麗すぎるだろって!」

 「いやまあ、気持ちはわかるけどさ。」

 「俺、アタックしてみようかなあ。」

 「やめとけ、なぐさめるのがめんどくさい。」

 「おいなんで振られるのが前提なんだよ。」


 HRホームルーム終了後僕は、机の前までわざわざやって来た生野の雑談に付き合っていた。

 生野の言いたいことも、現在教室前方に群がっているクラスメイト――主に野郎ども――の気持ちもよく分かるのだが、どう考えてもあの人は、僕ら男子高校生にとっては高嶺の花すぎる。諦めて妄想程度で済ませておくのが懸命である。

 そういえば。

 こいつはこうしてよく女性のことを褒めたりそれに憧れをいだいたりしているのだが、実際にこいつの周りではうわついた話を聞いたことがない。彼女はいるのかだとか好きな人はいるのかだとか、入学してからこのかたそんな会話を交わした記憶が一切ない。唯菜も今渕上先生のところにいるのでこの際だ。たまにはこんな会話をしてみよう。


 「そういえば生野ってさ。」

 「好きな人はいるのかって?」

 「そのちょいちょい僕の心読むのやめてくんねえかな。」

 「いや、なんか聞きたそうな顔してた。」

 「怖えよ。んで、そこんとこどうなの。」


 前にもこんな風に心を読まれたことがあるので、生野に対する恐怖が少し増した。

 僕が問うと、生野はにやりと口角を上げて見せ、右手で首の後ろあたりを掻いた。久々に見た彼の癖だ。あの昼休み以来だろうか。

 そして彼はおもむろに口を開く。


 「俺はいないよ? …。」


 血の気が引いていくのが分かる。心を見透かされたみたいで、出てくるのは焦りと冷や汗のみだ。

 いや、まだ誰が好きかだとか細かい話にはなっていない。話を逸らすなり、切り返すなり、やり方はたくさんあるはずだ。


 「へ、へえ、でも『夏川さんだろ』


 「…っ!!」


 僕の言葉をさえぎり、詰め掛けてくる生野。その瞳は本当に全てを見透かしているかのような余裕と自信をたたえている。そしてその鋭い剣のような言葉は、間違いなく僕の心臓を捉えた。

 思わず黙り込み、うつむいた。それを生野は見逃さない。


 「ビンゴだな。お前は分かりやすすぎんだよ。」

 「………」

 「もっと言えば、お前がそれを自覚したのはつい最近だろ? だがお前はもっと前から彼女を意識していたよ。そのときは自分ではわかってなかっただろうけど。」

 「え、ま、まじ?」

 「まじ。目の泳ぎ方やばいもん。マグロかってくらい泳いでた。」


 どういう比喩だよ、というツッコミを入れる余裕など今の僕にはない。

 前々から勘が鋭くて敵に回したくないやつだとは思っていたが、まさかここまでとは思わなかった。僕よりも僕のことを解っていやがる。

 まさか自分がもっと前から唯菜に好意を寄せていたとは。

 …という驚きもあるのだが、それよりも今は目の前にいる眼鏡イケメンへの恐怖の方が強かった。


 「あの、頼むから『分かってるよ誰にも言わねえよ』

 「だからさあ!! そういうとこ!!」

 「ええ? だってもうほぼ顔で言ってたんだもん。」


 どこのメンタリストですかあなたは。

 しばらく生野に揶揄からかわれていると、教室の前方からこんな言葉が聞こえてきた。


 「渕上先生って、彼氏とかいるんですか!?」


 大方の予想通り、発言の主は成田である。

 成田のその一言で、教室全体が、喧騒けんそうを失う。誰一人として言葉を発さず、聞こえてくるのはただ、男共が生唾を飲みこむ音だけだ。

 教室中が静寂に包まれる中、それを破ったのは渕上先生の透き通った声音こわねだった。


 「いませんよ、生まれてこの方、一度も。」


 生唾を飲む音が、大きなため息に変わった。


 「そうなんすね!」

 「えー、意外だー」

 「え、本当に? 信じらんないんだけどー」


 各々が感想を述べる中、一番多い声は『意外』だった。

 それは僕も例外ではなく、本当に意外だと思った。まだ話していないので詳しいことは全く知らないが、生徒と話す姿を遠目に見る限り、別段コミュニケーションが苦手だとか、そういった様子は見受けられない。気さくとまではお世辞にも言えないが、笑顔は本当に、綺麗だなと思った。

 容姿も整っていて、人柄にも問題が見られない。一度も男性と交際したことがないというのは、にわかには信じ難い話だった。

 生野も同じことを思っていたようで、『へえ』と呟いたのが聞こえてきた。


 「たっだいまー」

 「おかえりー」

 「お、おかえり」


 唯菜が戻ってきたので、覚束ないもののなんとか会話を交わす。まだ目は合わせられない。


 「渕上先生、どうだった?」

 「いやあ、ちっちゃくて ちょー可愛かった。ヤバい。」

 「そうか、やばいな。」


 さっきも言った気がするがその『ヤバい』っていうの悪口にしか聞こえんからやめとけ。

 しばらく生野と唯菜の話を聞いていると、教室の左前方でほとんど影としていた僕らの担任、山下先生が口を開いた。いたのか。


 「渕上先生は、まだこの学校についてよく分かってない。つか、この学校に来るのも今日で二回目とかだ。いろいろと案内してやらないかんのだが、生憎あいにく俺はめんどくさがりでな。そこで誰か、今からそれを頼みたいんだが。」


 いつもに増して気怠けだるげな山下先生が話を終えると、先程まで渕上先生を取り囲んでいた生徒たちが一斉に手を挙げた。


 「俺がいく!」

 「おいずるいぞ俺がいく!」

 「「いや、私たちよ!!」」


 ぞろぞろと山下先生に詰め寄る渕上先生ファン。一部は既に信者を名乗り始めている。


 「ああもう、うるせえなあ。お前ら全員散れ。とりあえず今一番静かだったあいつらに任せるから。」


 そう言った山下先生の人差し指は、僕たち三人の方に向けられていた。


 「えっ」

 「おー、ラッキー。」

 「やったあ、ふっちーと遊べるー!」


 困惑する僕とは対照に、嬉しそうな声を上げる二人。

 それを見つめながら、渕上先生がスタスタとこちらに歩み寄ってくる。近づくほど、その低い背丈が目立つ。唯菜が可愛らしいと言っていたのもうなずける。

 僕たちの目の前まで来た先生は、美しい笑顔を浮かべて、天使のような優しい声で言った。



















 「よろしくお願いします。」


 「「「よ、よろしくお願いします!!」」」


 二人が言っていた言葉がやっと今理解できた気がする。


 …やばい。

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