第30話 渕上先生が綺麗すぎるんだけどどうしよう

 「こっちが音楽室、こっちが理科室。」

 「そして、こっちにまっすぐ行くと体育館だよ!」

 「…ありがとうございます。その、ごめんなさい、わざわざ案内させてしまって。」

 「いやいや、いいって!」

 「全然構わないっすよ。なあ黒崎?」

 「…ん、お、おう。」


 一限目。うちのクラスはまたもや数学である。

 だが、生野と唯菜、そして僕には、数学の教科担任であり同時に僕らの担任でもある山下先生から、教室の外に出る許可が下りている。いや、許可というよりは命令か。

 というのも、今僕らとともに行動しているこの黒髪眼鏡美女は、教育実習でこの学校に来た大学生とかで、この学校のことをまだよく知らない彼女のために学校を案内するというのが僕たちの目的である。

 先生いわく、

 『まあ授業はサボることになるけどよ、生野も黒崎も成績は悪くねえし、意外だけど夏川も最近、特に数学の成績は上がって来てるから。まあ一時間くらいサボっても問題ねえだろ。俺もめんどくせえしお前らで適当によろしく。』

 だそうだ。最後のは余計だと思う。

 唯菜の成績が上がっていると聞いて少し嬉しく、そして誇らしく思ったのはこの間の勉強会があったからだろうか。

 それはさておき先程から、通る教室の中の生徒という生徒から視線を感じてしまう。ただでさえ顔面偏差値の高すぎる二人に加え、今僕たちの隣にいるのは冗談抜きでモデル級の美女である。いや、下手すればそこらのモデルより人気の出そうな雰囲気すらある。まじで。背は低いけど。

 まあ、これが集まって人目を集めない訳が無いのだが。それでも、あちこちから届く視線は、クソ陰キャの僕が居づらさを感じるには充分すぎるものだった。


 「僕ちょっとトイレ行きたいんだけど」

 「あ、俺もー」

 「先生、ウチらも行っとく?」

 「え、いや、私は別に」


 あまりの居づらさに、トイレに行きたいという嘘をついてその場を離れようとする。生野や唯菜が乗ってきてくれて助かった。が、渕上先生はそうもいかず。

 まあそりゃあそうだわ。第一、本来なら今は授業中である。その時間にトイレに行こうなど、少なくとも先生にできるはずがない。教育実習生なら尚更だ。


 「じゃあ、私は外で待ってます。」

 「はーい」

 「行くぞ黒崎」

 「あー、僕はやっぱいいかな」

 「いやお前が言い出したんだろうが。」

 「まあそんな怒んなって。」


 そりゃあ、ハナから尿意なんてないからな。

 トイレの前まで来た僕たちはそんな会話を交わし、生野は男子トイレに、唯菜は女子トイレに、それぞれ入っていった。

 そして残ったのが僕と渕上先生なのだが。トイレに行こうとしなかった数秒前の自分を呪いたくなるほど、気まずい雰囲気が流れる。

 案内といってもそれは殆ど唯菜や生野が行っていたので、僕と先生が直接会話をする機会は一度もなかった。

 だが、後ろからなんとなく話を聞いていて分かったことがいくつかある。

 まず最初に。恐らくだがこの先生、人と会話をするのを得意としていない。年下の僕らにも一切敬語を抜く様子はなく、少し緊張している様子も見受けられる。言葉こそ聞き取りやすい声でしっかりと放ってくれるものの、ふとした瞬間に見せる表情にはほんの少しの焦りが見られる。いやまあ勘だけどさ。でもほら、コミュ障っていうのは同族に対するセンサーがすごいんだよ。


 「あ、あの」

 「は、はい!」


 もう一つ。けだし彼女は男性に対する免疫が低い。

 四人で歩いているときもしかり、先程教室で囲まれていたときも然り、唯菜を始めとする女子と生野を主とする男子では、反応にかなりの差がある。

 落ち着きを無くす、というと大袈裟になってしまうが、男性と話すとき、彼女の声のトーンはいくらか高くなる。そして必ず、目を合わせない。


 「そんなに緊張しなくてもいいですよ。」

 「え、えと、バレてましたか…?」

 「こう言っては失礼かもしれませんけど」

 「は、はい。」

 「僕もその、先生と同じように、人と話すのが得意ではないんです。最近までは特に酷かったんですよ。」

 「それにしてはその、ちゃんとお話ししてくれてますよね…?」

 「実はこれでもかなり緊張してるんですよ。なんならほら、手 当ててみます? バックバクですよ。」

 「それ、自分で言うんですか…ふふっ」


 緊張しているというのも、脈が早くなっているのも、紛れも無い事実である。

 こんな美人と冷静に会話ができるかっての。いやまあ実際には自分でも驚くほど言葉がぽんぽんと出てくるんだけどね。ぼっちは一対一だと饒舌じょうぜつって本当だったんだね。

 それにしても、渕上先生は表情がいちいち絵になる女性だ。今の笑顔にしたってそう。不安げな表情や困ったような顔、こちらに疑問を投げかけてくる時に見せる首をかしげる仕草。本当に綺麗だと思う。


 「でも少し、黒崎くんとは仲良くなれそうな気がします。」

 「奇遇ですね、僕もです。あ、あと。」

 「なんでしょう?」

 「僕、敬語使われるの好きじゃないのでタメ口で良いですよ。」

 「そういう黒崎くんは私に敬語じゃないですか。」

 「それはまあ、先生と生徒ですから。」

 「まだ先生じゃありませんよ。だから敬語は要らないんです。」

 「ええ…? そうは言ってもなあ。」

 「黒崎くんが敬語をやめないなら、私も敬語のままです。」

 「それは困りますね。」

 「困るんですか」

 「そりゃあもう、敬語は嫌ですからね。」


 本当に綺麗だと思う。だけど、なんだろう。少し違う。男なら間違いなく生まれてしまうであろう下心は一切無く、僕は純粋に、彼女と、渕上先生と仲良くなりたいと、そう思った。少しずつ目を合わせてくれる回数が増えてきているのに気づき、思わず嬉しくなる。


 「ただいまー、ってあれ、二人とも結構仲良くなってるじゃん。」

 「おかえり生野。うん、仲良くなった。」

 「はい、すごく。」

 「え、そんなにか。なんか妬いちゃうなあ。」

 「僕にか?」

 「先生にだよ。」

 「いや怖えよ。」


 生野は僕のことが好きらしい。非常にやめてほしい。

 僕たちの雑談を聞きながら、ふふ、と笑みを浮かべる渕上先生。表情の多い方ではないのだろうが、少なくとも僕は、笑っている渕上先生が一番綺麗だと思う。

 人と、特に女性と話すのが苦手な僕がここまでしっかり話せる相手というのも珍しいのだが、自分でも正直理由はわからない。今は、ただ少し似ている部分があったから、とでも思っておこう。


















 「…晶仁、ありがとう。」

 「っ…! なんで僕の名前を?」

 「え、下の名前で呼ぶくらいまで仲良くなってたのかよ…。」


 「き、気分です…!」


 流石に今のは少し、どきりとした。

 いやいや、僕は唯菜のことが好きなんだってば。


 …って、それもそれで恥ずかしいけど。

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