第27話 謝りたくても謝れないんだけどどうしよう

 「お兄ちゃん、おかえり。」

 「僕の部屋にいるならそう言ってくれよ」

 「ん、ごめん。」

 「いや、いいけど。」


 風呂から上がって部屋に戻ると、僕のベッドには雪乃が寝転がっていた。彼女が手にしているのは僕のお気に入りのライトノベル。異世界転生モノのよくあるやつなのだが、これが面白いのだ。まあそれはさておき。彼女の右手側のページ数から察するに、どうやらこいつは長いこと この部屋に居たらしい。もしかしたら僕が風呂に行った直後からかもしれない。


 「遅かったね」


 視線は本に落としたまま、そしてうつ伏せのまま僕に言葉をかける。表情は見えないが、少し不満げな声色であることが感じ取れる。

 たしかに、今日はいつもよりも遅かったかもしれない。具体的には十分ほどだが。

 そもそも僕は、昔から風呂で考え事をする癖があり普段から入浴時間は短くない。だが今日は考えることが多すぎたというか、思うことがたくさんあったというか。普段よりも悩みすぎてしまったらしい。ただでさえ長い入浴時間を更に伸ばしてしまった。


 「ごめん、たしかに遅かったかも。」

 「いや、いいよ。」


 雪乃は僕を待っていたはずだ。まずは待たせたことに謝罪をしなければと思い、それを第一声とした。

 寝巻きに着替え、雪乃に声をかける。


 「じゃあ、寝るか。」

 「ん、そうする。」


 雪乃は読んでいた本を棚に直し、再びベッドに横になった。


 「電気、消すぞ」

 「ん。」


 電気を消して、ベッドに入る。


 「もうちょっと詰めろよ、僕寝れない。」

 「ええ、結構ぎりぎりなんだけど。」

 「しょうがないな。ほら、頭上げてみ。」

 「ん。えへへ、腕枕してくれるんだ。」

 「まあその、狭いし。…今日は嫌な思いさせたしな。」

 「いいのに。」

 「いいのか?」

 「え、いや! だめだめ、腕枕はして!」

 「はいはい。それより布団もうちょっとこっちにくれよ。」

 「雪乃もないよ。…あ、じゃあこうしよ」

 「どうするんだ…っておいこら」

 「えへ、お兄ちゃんやっぱあったかい」

 「お前なあ…。」


 僕に腕枕をされた状態で、更に抱きついてくる雪乃。これじゃ抱き合って寝てるみたいじゃないか。


 「離せよ」

 「やだ。…いいじゃん今日くらい。」


 細々とした声で放たれた雪乃の言葉に、何も言葉が出なくなった。こんなの言い返せるわけがない。

 僕はすかさず会話のペースを取り戻そうと試みる。


 「今日はよく喋るな、雪乃」

 「お兄ちゃんこそ。」

 「僕はいつも通りだっての。雪乃ってほら、いつも『ん。』とか『え?』とか、そんくらいしか言ってないじゃん。今日はなんか、よく話してくれるなって。」

 「…別に。」


 数秒、沈黙が続く。お互い何と言って良いのか分からず、この至近距離でも言葉を撃ち放つことは叶わない。いや、そもそも引き金すら引いてないな。

 先に沈黙を破ったのは、今日聞いた中で一番か細い雪乃の声だった。ただ、それでも、この距離にいる僕の耳にはしっかりと届いた。


 『今日くらいは…かまってほしいなって…。』


 胸が苦しくなった。

 それは今、僕が雪乃を抱きしめているから、というのもあるだろうが、そうではない。なんというかこう、言葉では形容しがたい何かが僕の心を強く締め付けてくるのだ。ああ、苦しい。

 その何かが僕にしたように、僕は、雪乃を抱きしめる力を強める。


 「お兄ちゃ…苦し…い…。」

 「ごめん、雪乃…。答えられなくて…不甲斐なくて…。」


 そう言ってすぐに、胸元に温度を感じた。


 「ご、ごめん雪乃…! つい力が入って…!」


 雪乃が泣いていたのだ。

 雪乃への想いが高まりすぎて、僕は落ち着きを無くしてしまっていたらしい。

 われに帰り、すぐに謝罪を入れながら雪乃の体を離す。腕枕はしたままなのだが。


 「いや…そう…じゃなくて…っ!」


 雪乃の涙は止まることなく、僕が謝ったことにより、かえって勢いを増したようにも感じられる。

 雪乃の言葉を待つ。腕枕とは反対の手で、優しく頭を撫でながら。


 「お兄ちゃ…が…あやまるからぁ…」

 「…どういうことだ?」

 「お兄ちゃんは…悪くないの…!」


 雪乃が何を言っているのか、僕には理解ができなかった。

 今日僕は、雪乃に一つの問いを受けた。『唯菜のことは好きか』という問いである。

 僕はその問いに、答えることができなかった。そしてそれにより、きっと雪乃を傷付けてしまった。

 傷付いている雪乃に何もできないどころか、変に気を使わせてしまったり、雪乃を強い力で苦しめてしまったりと、この十四年間で最も彼女に嫌な思いをさせてしまった一日だったはずだ。

 それなのに彼女は、僕を悪くないと言う。本当に解らなかった。


 「ごめん…落ち着いたよ、お兄ちゃん。」

 「そ、そうか。」

 「あのね、お兄ちゃんは悪くないんだ。雪乃があんなこと聞かなければ良かっただけで。」

 「いや、そんな『だから…! お願いだから、謝らないで…。』


 そう言って、雪乃はまた、僕に抱きついた。先ほどよりも力強く、そして暖かく。


 「…わかった。」


 謝れないのなら、せめて感謝だけでも。


 「…ありがとう。」


 雪乃からの返事はなかった。どうやらもう眠ってしまったらしい。

 もう一度雪乃を抱きしめる。今度は絶対に傷付けないように、そっと、そっと抱きしめた。







――

 …雪乃は、いけない子なのかもしれません。

 お兄ちゃんの『ありがとう』にどう返したら良いのか分からず、黙り込んでしまいました。


 そして。


















 …いだいてしまったんです。


 …本来なら、兄に向けてはいけないはずの想いを。

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