第25話 言葉が出ないんだけどどうしよう
「あれ、唯菜帰ったの。」
「あ、おかえり。唯菜ならさっき帰ったよ。」
「そう。」
リビングに入ってきた妹の問いに答えながら自分の体を少し右に動かしソファにスペースを作る。唯菜は雪乃が帰ってくるほんの十分ほど前に、あの例の黒塗りの車に乗って帰っていった。迎えにきた執事さんの表情が物凄いしみじみとしていたのは何故だろうか。『唯菜様、お迎えに参りました』という言葉がめちゃめちゃ震えていたのは何故だろうか。何より、僕の顔をちらりとみてすっごい
「あかねちゃんと遊んできたんだよな、楽しかったか?」
「ん、いつも通り。」
「そっか。」
「あ、あかねちゃんから伝言。」
「ん?」
「『雪乃以外の女とイチャイチャしてるらしいですね。殺されたいんですか。』だって。」
「…お前、あかねちゃんに何話した。」
「…さあ。」
そう言ってそっぽを向く雪乃。
一応説明しておくと、あかねちゃんというのは雪乃の親友であり、雪乃を
「ねえ、お兄ちゃん。」
「ん、どうした?」
そっぽを向いていた雪乃が不意にこちらを向き、いつもより少しだけ細い声で話を切り出した。頰は少し赤く、眉を
「えっと…あの…。」
「なんだよ、言ってみ?」
もじもじと落ち着かない手足を止めようとしているのか、
とりあえず彼女の発言をゆっくりと待つ。十数秒ほど経ってからか、雪乃がゆっくりと口を開いた。
「…お兄ちゃんはさ、雪乃のこと、好き?」
何を言い出すかと思えば、あまりにも今更すぎる質問で少し
しかし、それは発言の内容だけ。すっかり真っ赤になった頰、普段と違う息遣い、落ち着かない仕草、彼女のいろんな要素が合間って、一瞬、心が奪われてしまった。
なんとか意識は取り戻したものの、もう遅いというか、僕もすっかり赤面している。妹に対してこんなに照れてしまうなど兄としてどうなのかとも思うが、許してほしい。マジで。なんの言い訳もないけど。
全力で脳みそを回しまくっているのだが、多分、雪乃の問いから三十秒近くが経過している。ひとまず何か返事をしないといけないと思い、言葉を絞り出す。
「も、もちろん好きだぞ…?」
「…そう。 ふふっ。」
目の前の天使は、僕の台詞を聴いてすぐに口元を緩め、あまりにも可憐すぎる微笑みを浮かべる。またもや
頭の中で絶叫していると、目の前の少女の顔色が少しだけ変わった。先ほどよりも不安や心配といった色が濃くなった印象を受ける。
「もう一個、聞きたい。」
「いいよ。」
僕の承諾を受けると、彼女の表情はより一層不安げになる。
しばらく待つと目の前の少女は、その小さな口を
「じゃあ、唯菜のことは…好き?」
今までに見たことのない雪乃の目に、思わず息を飲む。
その目は、これまでのどの目よりも真っ直ぐで、そして、不安定な目。重圧に飲み込まれそうな感覚を覚えると同時に、守りたい、なんとしてでもその表情をやめさせなければいけないという願望とも使命感とも形容しがたい息苦しさを感じる。
しかし、僕の唇は重く閉ざされ、そこから言葉を発することはできない。彼女の問いに応えることが今の彼女を救う唯一の方法だというのは充分に理解している。
ただ、それでもなお僕は、何一つ言葉を紡ぎ出せなかった。
――僕が唯菜を好きなのか。
正直、当人の僕でさえそれは分からない。
雪乃のことは大好きだ。ただ一人の妹として、家族として、少し大きすぎるのかもしれない程の愛情を持っている。他にも。生野だってシャルルだって、僕にとっては大切な友人で。山下先生も成田も、なんやかんや今の僕にとっては小さくない存在だ。
彼らならこんなにも簡単に答えが出せるというのに、それが唯菜に置き換わると、途端に僕の思考回路は停止する。
違う、答えは出ているのだ。ただ、どうしてもそれを口に出すことができない。
心の内の何かが引っかかって、息苦しくて、どうも言葉にできない。
雪乃の問いから、時間にして約三分が経過した頃か。いや、実際はもう少し長い時間かもしれない。僕はどうすることもできず、黙り続けていた。
時間が経過していくにつれて、雪乃の表情が徐々に曇っていく。そんな辛そうな妹を目の当たりにしても、変わらず僕は何をすることもできない。
雪乃への返事を必死に探す。夏川唯菜という人物への思いをどうにか文にしようと
「お兄…ちゃ…。…ごめん、もういい。大丈夫…だから。」
その言葉と同時に、頰を濡らし始める雪乃。
依然として開かない口の代わりに伸びたのは、僕の両腕。それはゆっくりと彼女の肩を抱き寄せ、力強く、しかしながら優しく、次第に抱き締めた。
それからようやく僕の口から出た言葉は、
「…ごめん。」
「ううん。 …雪乃こそ、ごめん。」
結局、雪乃の問いに応えることは叶わなかった。
ただ、この話により僕は一つのことに気がついた。いや、気がついてしまったといった方が正しいのかもしれない。
…僕は多分、唯菜のことが好きだ。
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