第23話 雪乃が恐ろしいんだけどどうしよう
ドアの前で
床に倒れこみ、焦りから情けない顔をする僕。
その僕に覆い被さるような体勢をとり、恥と混乱により放心状態の唯菜。
カオスである。
「えっと…。お兄ちゃん?」
「ゆ、雪乃、これには深いわけがだな…!?」
「…」
「…」
時計で言えば、長針が六十度ほど動いたかという時間。その間の沈黙は、今までの人生のどの沈黙よりも辛いものだった。
僕と唯菜の汗は尋常ではないレベルまで達し、雪乃はただただ
雪乃目線で少し大袈裟にこの状況を説明するならば、兄が巨乳美人と汗だくで倒れこんでいる、といったところか。そりゃあどうしていいか分からんくなるわ。
いや、
とにかくこの最悪な空気をどうにかしたいので、まずはこの一番の原因であることから消化したいと思う。
「え、えっと…唯菜? とりあえず離してくんないかな…?」
うん、まずはこれだ。先ほどは強がったものの正直に言おう、限界である。
目の前にこんな美少女がいるというだけでも僕には十分な刺激だというのに、それがこんな体勢で、こんな表情で。耐えられるはずが無い。なんでこんな良い匂いするんだ本当に。
「ふぇっ!? あ、ご、ごめん…!」
やっと唯菜は我に返ったようで、僕を離してくれた。
同時に、雪乃が来たことにも気がついたようで、赤らめていた顔を一気に
「とりあえずお兄ちゃん、あとクソビ…唯菜。起き上がろうか。」
「「は、はい。」」
呼び方にはもはや突っ込むまい。僕たちは情けなく、三つも歳が離れた女の子の前での正座を
———
「なるほど、つまりそんなに大した理由ではなかった、と。」
「うん、ただちょっとばかり恥ずかしすぎただけというか。」
「ごめん、晶仁っち。あと妹ちゃん。」
何故あのような事態が起こったのかを、一通り雪乃に説明した。
大した理由ではない、まさにその通りである。
簡潔に言えば、ただちょっとした発言に感情を揺さぶられすぎただけの話。普通はあんな発言だけで人が人を押し倒す事態には発展しない。間違いなく。
それでもこうなってしまったのは、多分、今までの事があるから。必要以上にお互いを意識してしまい、必要以上に感情を動かされてしまうためだろう。
定めて、唯菜に恋をしているだとかそんなことはない。と、思う。
変な思考が頭を過ぎったので、慌てて首をぶんぶんと横に振る。もう考えるのはやめよう。
「なに、どうしたのお兄ちゃん。」
「え、いや、別に。」
「そう。そういえば、今日は生野とシャルルいないの?」
さっきの『唯菜』もそうなのだが、雪乃は人を呼ぶとき、その呼び方を僕から取ることが多い。それどころか、僕よりもフランクに、悪く言えば失礼な呼び方をするときがある。僕が生野と呼べば雪乃は当然の
僕はその度に雪乃を軽く叱るようにはしているのだが、多分こいつのこれが治ることはないと思う。この礼儀知らずはもはや病気である。
僕が雪乃にツッコミを入れると共に二人が今日来れなくなったこととその理由を説明すると、雪乃は『ふーん』と感情の篭らない返事をした。興味ないなら聞くな。
「そうだ、雪乃今からあかねちゃんと遊んでくるから。」
あかねちゃん、というのは、家にもよく遊びに来る雪乃の大親友の名前である。というか、あかねちゃん以外に、雪乃の友達というのを僕は見たことがない。
少し心配な気もするが、その分雪乃とあかねちゃんの仲の良さは実の兄弟を連想させる程のものなので僕はそれでいいと思っている。
「そうか、楽しんでこい。」
「あ、それと」
そう言葉を始めた雪乃の目には、絶対的な意志が宿り始めた。
殺意ともとれる、愛情ともとれる。その瞳は今まで見てきたどんな雪乃の瞳よりも恐ろしく、美しいものだった。
「次あんなことしてたら、許さないから。」
雪乃はそう言うと、部屋のドアをパタリと閉め、玄関へ向かった。
『いってきます』という言葉が聞こえるまで、どうやら僕の意識はどこかへ飛んでいたらしい。
「…」
「…」
再び、僕と唯菜に沈黙が訪れる。
先ほど雪乃が言った『許さない』というのは、僕に向けての言葉なのだろうか。あの状況は、正直に言って唯菜が戦犯である。僕が言うのもなんだが、雪乃はかなりのブラコンだ。二度目になるが、雪乃からすれば『兄が巨乳美女と汗だくで倒れ込んでいた』のだ。あんな目をしても無理はないというか、あの台詞が唯菜に向いたものだとしてもおかしくはない。
「晶仁っち。」
正座を崩さないまま僕の隣にいる唯菜が僕を呼んだ。それにほぼ反射的に反応し、目をそちらに向ける。
「え、唯菜なんで泣いてんの。」
「ごめん…なさいっ…! …グスン」
嗚咽、とまではいかないものの、ものすごい号泣である。
この謝罪に含まれる感情は、察するに、僕と雪乃を
だんだんと唯菜の心情が簡単に読めるようになってきた。こいつは本当に素直だと思う。だからこそ読みやすいし、必要以上に話させて、辛い思いをさせずに済むようになっているということでもある。
わざわざ『何が?』と聞き返すのはきっと違う。僕は、
「いいよ。」
それだけ言って、泣きじゃくる唯菜の頭を撫でた。少しばかり乱暴にではあるが。
雪乃と口をきかなくなることなんてあるはずがないし、万が一喧嘩になったってすぐに仲直りすることは間違いない。倒れ込んだ件についても、僕があれで怒りを覚えたかと問われれば、そうではない。もちろんとてつもない恥ずかしさに襲われはしたがそれはそれ。
それから約十分間、僕はひたすら、唯菜の頭を撫で続けた。
「ありがとう、晶仁っち。」
そう言って唯菜が見せた笑顔は、涙や目元の赤み、頬の赤みと相まって、非常に可憐なものだった。
何回ドキドキさせれば気が済むんだよ…
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