第7話 生野が壊れ始めてるんだけどどうしよう

 「あれ、あのクソビッ…。じゃなかった、夏川さんは?」


 ノックアウトしていた生野が正気を取り戻し、周りをキョロキョロと見渡みわたした後に、僕に疑問を投げかけた。何か言いかけていたように聞こえたが、今は無視しておこうと思う。なんか、ヤバそう。


 「夏川さんなら、さっき職員室に呼び出されてもう行ったぞ。」

 「ふっざまあ。」


 これはあれだな。生野も夏川さんを敵対てきたいし始めたな。

 しかし理由が分からん。さっきの『ちょっと黙っててくんね?』が余程よほどショックだったのか、もしくは生野も僕のことを…。


 うん、考えるのはやめよう。嫌な予感しかしない。

 目の前に置かれた自分の弁当をなんとなく食べる気になれなかったので、弁当のふたをそっと閉じた。


 「ん、食わねえの?」

 「うん、なんか未来のことを考えるとが痛くて。」

 「ははっ、まあしゃーないわな。でもほら、今日は四時間授業だからもう帰れるぜ?」

 「あ、そっか。」


 そうだった。今日は四時間授業だ。昼休み終了直前に教室に入り、HRが終わり次第、音速で教室を出ればいいだけ。夏川さんはガン無視。もちろん良心りょうしんは痛むが。


 「今日はどうするよ、カラオケでも行っとく?」

 「やめとくわ。」

 「ですよねえ。」


 そんな雑談を交わしながら、隣の残念イケメンが弁当を食べ終わるのをしばらく待った。


 「ごちそうさまでした。」


 律儀りちぎに、食事を終えたことをげる生野。こいつのこういうところは嫌いではない。むしろ好きなところであるし、尊敬すらしている彼の一端いったんだ。

 近頃の若者の中には、親の前ですら『いただきます』『ごちそうさま』の一言が言えない者が多くいるという。そんな中で、彼は純粋じゅんすいに食を楽しみ、感謝し、それを言葉にしている。僕がこんな変態とつるんでいる理由の一つには、そういった彼への尊敬も含まれているのだと思う。


 「んじゃ、そろそろ戻るか。」

 「そうだな、行こうぜ。」


 時刻は一時三十五分。あと五分で昼休みが終了する。

 僕の催促さいそくに明るく答えながら、からの弁当箱を、男子高校生にしては可愛らしいランチバッグに仕舞しまっている生野。このランチバッグは、今年中学二年生の妹に造ってもらったものらしい。家庭科の時間に一生懸命造ったのだとか。

 実に兄想いな妹、そして妹想いの兄である。うちの兄妹きょうだいによく似ているのだが、まあこれはまた別の話。











———



 キ ー ン コ ー ン カ ー ン コ ー ン


 先程の臨時放送りんじほうそうのものではなく、通常のチャイムが鳴った。昼休み終了、及びHRホームルーム開始の合図である。それと同時に僕と生野は教室に入った。

 すでに職員室から帰ってきていた夏川さんの隣に腰を下ろすと、先生が口を開いた。


 「えー。…あれ、なんて言おうとしたっけ。んー。もういいや、めんどくせえし。帰っていいぞお前ら、じゃ、解散。」


 「「「「「「「おいこら」」」」」」」


 今回ばかりはさすがに僕もツッコミに参加させてもらった。校長は何故こいつを担任にしやがったんだ。


 「うるせえよ。まあ思い出したら話すわ。だりい、早く帰れ。」


 こんなやつが成人して働いて立派にお金をもらえてるのだから恐ろしい。案外、僕の未来よりも日本の未来の方が先は短いのかもしれない。割とマジで。

 まあいいや帰ろう、もうどうだっていいや。


 「きりーつ、れーい。」

 「「「「「「「ありがとうございましたー」」」」」」」


 委員長の号令ごうれいにより、僕を含むクラス全員に退室、帰宅の権利が与えられた。さあ、音速で教室をでよう…


 『まって。』


 突如とつじょ、右腕の自由が効かなくなった。恐らく、この発言の主につかまれたということだろう。そして、けだしそれは夏川さんである。

 さすがにこの状況では無視することなどできない。

 ので、できるだけ簡潔かんけつに要件をたずねた。





 「なに?」

 我ながらこれは少し冷たすぎたかもしれない。




 「え、いや、その…」

 ほら、戸惑とまどってる。




 「なんだよ。」

 だめだ、僕だったらこんなの泣いてる。




 「その…。また、明日ね。」


 『明日(ね)』なのか、『明日(な)』なのか、それすらよく聞き取れないほどか細くなった彼女の声に、やはりさっきのは冷たすぎたと内心後悔した。


 それでも、極力きょくりょくもう関わりたくない、接触(物理的な意味で)を避けたいと考えていた人にそんなことを言われても、にわかに良い返事ができるはずがない。そう思慮しりょしてしまう自分もいた。


 正直、彼女の言葉への返答はすごく迷った。時間にしてみればたった三秒ほどだが、その短い間にめぐらせた思考ははかり知れないものである。そのすえに出た最終的な答えは、彼女にとってはよろしくない返答をしてしまうことだった。それなのに。


 それなのに、口をついて出たのは。いや、出てしまったのは。



 『うん、また明日ね、夏川さん。』











 あまりにもこころよい返事だった。

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