第6話 夏川さんが離してくれないんだけどどうしよう

 『ん?冗談なんかじゃないよ?晶仁っち。』





 突如後頭部にのしかかった二つの柔らかすぎる重量感。その柔らかさは、『押し付けられた』と表現するよりも『吸い付かれた』と表現したほうが正しいのではないかとくだらない迷想めいそうをしてしまうほどのものである。頭部が吸い込まれていくこの感覚は実に心地がよく、いつまででもこうしていたいとすら思ってしまうものなのだが、正体に気づいてしまった僕の脳は完全に硬直こうちょくし、全身の筋肉に信号を送ることを一切放棄ほうきした。


 「あれ?晶仁っち?おーい。」


 抱きつかれるのは今日というたった一日だけで三度目。しかし、その状況に慣れることはない。いや、慣れることなど決してあってはならないと思う。

 普通ならばこの状況、緊張でガチガチにかたまってしまうのだろうが、今の僕は脳の職務放棄しょくむほうきによって体に力が入らない。よって、完全に脱力しきっている状態である。それを良いことに夏川さんは徐々に抱きつく力を増してきているのだが、無論むろん僕に抵抗する力などない。いわゆる絶体絶命、いや、絶命である。


 「えっとー、夏川さん?そいつもう動けないみたいだからちょっと離してやってくんない?」


 ナイス生野、たまには役に立つじゃないか。これでこの呪縛じゅばくからも解放される———


「だからー、動けなくていいんだって!つか、生野くん、だっけ?ちょっと黙っててくんね?」


 ———わけもなく。

 どうやらあの教室での僕と生野のイチャイチャ〈無論、不本意。〉に、夏川さんはまだ納得がいってなかったらしく、生野への闘志とうしを燃やし続けているようだ。

 一昔ひとむかし前の恋愛ドラマやアニメなどでは『私のために争わないで!』みたいなシーンがよくあるものだが、いざその立場になってみるとそんな台詞出てこないんだな。なんて思ったり。

 ちなみにさっきの「ちょっと黙っててくんね?」がかなり応えたらしく、生野は完全にノックアウトしたご様子。


 「んで?どうよウチのは!」


 「…は?おっぱ、は!?」


 唐突なこの過激発言によって、僕は今後頭部にを押し付けられているのだということを思いだした。完全に忘れていた。いや、忘れるはずはないんだけどさ、なんというかほら、意識が飛んでたんですわ。


 「ははっ。照れてるかわいー!ほらほら、結構大きいっしょ?」


 そう言いながらぐりぐりとそれを押し付けてくる夏川さん、もといビッチ。

 なんて下品な女だ。さっきの告白だとかプロポーズだとか、そんなのもには全く大した意図は無かったのだ、どうせ。

 などと頭の中では愚弄ぐろうしているものの。


 「え、いや、その、大き…じゃなくて!!」


 つむぎ出される言葉はこの惨状さんじょうである。てか紡げてもないし。

 事実、彼女は非常に魅力的である。数時間前にも述べたように、本当に整った顔立ちといい、周囲の野郎共が僕をねたむ大きな原因でもある同じく大きな禁断の果実といい、はっきり言って陰キャの僕にはまぶしすぎるくらいの存在である。

 そんな彼女だからこそ必要以上に意識してしまうし、緊張だってする。これはもはや生理現象なのだとどうか言い訳をさせてほしい。


 しかしそろそろまずい。僕の頭部を吸い込んでいる魔性ましょうのブラックホールと女性特有のあの甘い匂いが、僕の意識や理性や自制心、その他諸々もろもろを確実にむしばんできている。なんで女性って皆こんないい匂いすんのかな本当に。



 ピ ン ポ ン パ ン ポ ー ン



 突然、屋上のドア横に取り付けられたスピーカーからチャイムが鳴り響いてきた。授業の合間などに鳴るあのチャイムよりいくらか短い、臨時りんじ放送のチャイムである。


 『えー、生徒の呼び出しをします。二年C組、夏川唯菜さん。転入の件で話があるので、至急職員室にきてください。繰り返します、二年C組、夏川唯菜さん………』













 キタアアアアアアアアアアアアアアアアアア

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