第5話 とりあえず教室から逃げたんだけどどうしよう

 ———時をさかのぼること数時間前。








 『プロポーズだよ?まじで』


 「「「「「「「…殺す」」」」」」」




 「…ちょ、夏川さん、どいて。」

 「え、嫌だよ、って、ひゃあ!?」

 「ごめん!」


 力いっぱい、だけどこの美少女を傷つけないようにそっと、且つかつ可能な限り素早い動きで、彼女を軽く抱きかかえるようにして僕の膝から下ろした。念のためもう一度謝罪を入れて、僕は咄嗟とっさに生野の手を引いて教室を後にした。









———それから数時間後。


 時刻は現在一時十分。昼休みである。あの後結局、教室に戻り、二限目、三限目、四限目と、授業中は絶対に夏川さんとは目を合わせず、もちろん言葉も交わさなかった。視界の左隅で夏川さんが僕を呼ぶようなジェスチャーをとっているのが見えたが、全て無視した。もちろん良心は痛んだ。だが僕はそれだけの仕打ちをされたつもりだ。教室での居場所を完全に無くしかけたこの僕を誰がめようか。

 休み時間も同様に、彼女と会話をしないように徹底的に避けた。生野に頼んで二人で教室の外に出ていたため、彼女が休み時間クラスメイトと何を話していたか、何か変なことを言われていないか、そんなことは知ったこっちゃない。

 あの「美少女ギャルの転校生がクラスのクソ陰キャに抱きついた」という事件が起こってしまった以上、あの教室に残るというのは完全に自殺行為だ。

 質量すら持ち始めてきたあの殺意を向けられた人間がその場にいたとしよう。そこで起こるのは間違い無く殺人事件である。何の比喩ひゆでもなく、マジで。


 ということでこの昼休み、僕は屋上で生野と共に弁当を広げている。夏休みが明けたとはいえ、まだ九月の始めである。この暑さ故に、現在屋上にいるのは僕ら二人だけ。ここでなら夏川さんはおろか、他のクラスメイトに聞かれること無く話ができるという算段だ。


 「今日は災難だったな、黒崎。」

 弁当のふたを開けながら、生野が口を開いた。


 「本当だよ。なあ生野、あれ何だと思う?」

 「ん、何って何が?」

 「いやほら、夏川さんの話。人違いで抱きつくのは百歩、いや億歩おくほ譲ってまだ分かるんだよ。でもその後のは完全に意図的だったろ?やべえことプロポーズとか言ってたし。」


 そう、一回目のあれはまだ理解できる。涙を流していた点からも、それなりの事情があって仕方がないことだというのは察しているつもりだ。泣くほどに再会(?)が嬉しい人間を間違うものかとも思うが、気が動転していたのだろうと振り返れば合点がいった。

 しかし二回目のは違う。あの時彼女が浮かべていたのは、涙ではなく満面の笑みである。そして放った一言が、「プロポーズ」。僕はてっきり、あの【カズ君】という人物が彼女の想い人だとばかり思っていた。

 なんだ、似ていたら誰でもいいのか。なんてあきれも一瞬だけ生まれたが、やはりあの涙を思い出すとそれはどうも腑に落ちなかった。んんん。


 「たしかにな。でも黒崎に好意があるのは間違いないんじゃねえの?いくらビッチだとしても、さすがにあんな発言はできないだろ普通。」


 「いやいや、ビッチだろうがそうじゃなかろうが普通あんな発言しねえよ。できねえよ。そもそも、その好意?なんで初対面のこんなクソ陰キャがあんな美じ…じゃなかった、ビッチに好かれないといけないんだよ。」


 「今『美人』って言おうとしたよね?」


 「べ、別に言おうとし———


 いや、ここで嘘をついたところで…


 ———たよ。」


 「ふーん、もしかして黒崎、夏川さんに気があるの?」


 「…正直なところ、分かんねーよ。でも、あんなことされて意識しないわけないだろ。俺がその、恋愛の経験がとぼしいクソ童貞だからってのもあるんだろうけど。んー、なんていうか、分かんないんだよな。あの子はギャルだし、きっと経験豊富で男慣れしてる。だから多分、僕に対する行動も言動も、全部冗談なんじゃねえかなって。ははっ。」


 『ん?冗談なんかじゃないよ?晶仁っち。』












 突如後頭部にのしかかる二つの柔らかすぎる重量感。後ろから回され、僕の胸元で組まれた細くつややかな腕。





 うん、詰んだ。

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