第3話 消しゴム落としたんだけどどうしよう

 一限目、数学。数学の担当は、あの無気力な中年男性もとい僕らの担任山下である。

 ちなみに何故二学期最初のこの日に始業式が無く授業が行われているのかというと、式の集合場所であるこの学校の体育館が現在補修工事中だからである。まあ、あんな長い話の為だけに二時間近くついややすのも馬鹿らしいので無くて良いんだけどね。


 ところで今、授業が開始して五分ほど経ったところなのだが…

 何度目だろうか、隣の席のギャル夏川さんと目が合うのは。

 だって仕方ないじゃないか。間違いだったとはいえさっきまで一分くらいずっと抱きしめられてたんだぞ、気にならんわけないだろ。向こうからしたってそうだろう。人違いとはいえ初対面の異性に抱きついてしまったのだ。謝意しゃいにしろにしろ、何かしらの感情を抱くのは当然の事だと言える。


 どうしよう、気まずい。何度も目は合っているものの、そこで言葉が交わされる事はない。チラチラと見た中で確認できたのは、彼女にはすでに教科書やワークノートといった参考書類が配られているということ、ノートも用意してあるということ、筆箱もしっかり持ってきていると言うこと…ん?


 あれ、この子消しゴム持ってねえわ


 視界を少し下げたところに見えるノートの上部分には突然書くことを放棄ほうきされた丸文字が。視界を少し上げたところに見える彼女の顔には不安と焦りが入り混じったような表情が。間違いない。この子は消しゴムを忘れている。

 しかし声がかけづらい。他の女の子であればまだ、「貸そうか?」の一言くらい言って自分の消しゴムを差し出せるのだが、さっきのあれ抱擁がフラッシュバックしてしまうと、どうしてもその一言が出てこない。生野に頼んで消しゴムを貸してあげてもらおうとも考えたが、よくよく考えてみるとあいつの席は僕の三つ前。立ち上がって借りに行こうにも、授業中のこの静けさの中でこんなクソ陰キャが唐突に立ち上がってみろ、そこに生まれるのは混沌と大草原である。

 そうだ、成田がいるではないか。あいつの席は僕の一つ右前なので、立ち上がる必要もないはずだ。あのアホに頼みごとをするというのはなんとも屈辱的くつじょくてきではあるが、この際そんなことは気にしていられない。あいつから夏川さんに消しゴムを貸してやれないか聞いてみよう。


 「おい、成田。」

 「…zzZ」


 「…覚えとけよ成田。」


 万事休ばんじきゅうすか。一呼吸おいて消しゴムを手に取り、彼女の方を向く。よし、言うぞ。


 「貸そうk『消しゴム、貸してくんない…?』


 音の抜けた声とでも言おうか、所謂いわゆるひそひそ声だ。そんな小さな声に、僕の大きな勇気は簡単に掻き消されてしまった。

 少しでも聞こえやすいようにと思っての無意識的な行動だろうが、口元に手を当てているジェスチャーがなんとも可愛らしい。

 いやいや、でもギャルだし。僕の嫌いなタイプだし。さっきのあれでちょっと意識してるだけだよね。そうだよね、うん。ていうか誰と喋ってんだろうね僕。

 頭の中でそんな葛藤かっとうがありつつも、冷静を装い、彼女に消しゴムを渡――


 「は、はい、使って良いよああっっっ


 ――そうとした。

 いかん、消しゴムを落としてしまった。どうしようダサすぎる。頼むから落ち着いてくれ僕の左手…!

 とにかく拾わなければならないので、すぐさま足元に手を伸ばす。


 「「あっ」」


 最悪だ。僕が足元で掴んだのは消しゴムではない、夏川さんの手だ。


 「ご、ごめん!!」

 「わりい!!」


 夏川さんも消しゴム拾おうとしてくれてたんですねもう無理恥ずかしさで死にそうです助けてください。


 うん、もうとにかく拾おう。んで、渡そう。

 再び足元に手を伸ばそうと、腰を曲げて上体を下げた。


 「「痛っ」」


 夏川さんも全く同じタイミングで屈んでいたようで、今度は頭をぶつけてしまった。

 もう駄目だ、転入生にセクハラで訴えられて僕の人生は終わるんだ。さらば僕の余生よせい






――――――


 「…くくっ。ぎゃははは!」


 突然、夏川さんが笑い出した。何故笑ってるのかはよく分からなかったのだが、可愛らしい声でり出される少し下品でギャルっぽい笑い方につられてしまい、僕も吹き出してしまった。


 「ははは、なんか僕ら馬鹿みたいだね!」

 「ほんとだよー、ははっマジ何やってんだか!」


 教室の中に、僕ら二人の笑い声だけが響く。

 あ、やべえ先生こっち向いた。


 『…はぁ。おいうるせえぞ、そこ二人ぃ…』













 授業中でしたねすみません。

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