3:誰もが逃げ出す大冒険? 10

 暮らすに困らない箱の中の生活と、宇宙船を駆る生活、その両方をやれたのではないか。何もわざわざ、飛び出さなくても良かったのではないか。叔母のエルヴィラが聞いたらなんと言うか分からないが、イノーラはそう感じている。

 そうは言ってもただ箱の中に居るのと宇宙を駆けるのと、どちらかを取れと言われれば、迷わず後者を選ぶのだが。

 だが今は船のことより、この数式のほうだろう。

 飲み物を淹れながら式の数々を思い出す。

 それぞれの式同士は、一見関係性が有りそうで無い、というどれも微妙なものだ。ただ式のどれもが間違いなく、大統一式とは関係がある。

 つまるところあそこで議題になっていたのは、大統一式を中心に展開する「何か」と見ていいだろう。

 それが何なのか。

(やっぱり端末の中、でしょうか)

 飲み物を立ったまますすりながら――いつも叔母に行儀が悪いと怒られる――イノーラは、また映し出されている数式の数々に目を落とした。

 やっと読めるようになりはじめた、この星の数式。これからはスピードも上がるはずだ。

 椅子にかけて、ペンを手に取る。地球にもあった、書いたとおりに画面に表示されるタイプのものだ。

 イノーラは自分でも、あまり地球人ぽくないと自身を思う。小さいうちに宇宙へ出てしまったために、ほとんどのことが銀河式だ。

 ただこの「手で書く」という行動だけは、今も捨てられないでいた。

 単にデータを入力するだけなら、パネルを使ったほうが早い。だがこういう数式や絵となると、やはり手で書くほうが早いのだ。きっと宇宙へ出る前から、手にペンを握っていろいろ書いていたせいだろう。

 人間の基本的な行動様式は、物心着く前に決まってしまうのかもしれない。そんなことを思いながら、次々と目を通していく。

「あら……」

 つい声が出た。並んでいる数式の一部が、重複していたのだ。

 イノーラは考え込んだ。

 いままでこれらの式は、関係はあってもそれぞれ独立しているのだと思っていた。だがこの重複部分を見るかぎり、「すべてでひとつ」の可能性がある。

 だとしたら、最初からすべてチェックしていけば、何か見えてくるはずだ。

 慌てていちばん最初の式へ戻る。

 ――大統一式。

 やはりここから始まるのだ。

 推測だが……大惨事の中、なぜかあそこに居合わせた者たちは脱出を諦め、この数式を書き記すことに没頭したのだろう。そして膨大な量にのぼる式を、手分けして書き残したのだ。

 つまり、それだけ重要な物と言える。

(何なのでしょうね……)

 命と引き換えにするほどの物が、そうそうあるとは思えない。だがあの場に居た者たち――おそらくは科学者――にとっては、命を賭けるに値する物だった。

 その理由は、この膨大な数式の中だ。

 数式の、おそらくは最終行と思われるものを見てみる。

(これはもしかして……?)

 まだこの星独特の記述方式がすべては分からないため、あくまでも直感でしかないが、ワープする際などに使われる「次元理論」で使われる物に似ていた。

 ペンを手に取る。

 この難関に挑めたのは幸運だ。何かが少し違えばこの式は、超新星爆発の余波で消えてしまったかもしれない。あるいは消えなくても、自分が目にすることはなかったかもしれない。

 だがそれがふとしたきっかけから、過去に作られた式が、よりによって自分の手元へ来た。

 ならば、解明する義務がある。

(でも、非科学的ですわね)

 偶然に意味を見出そうとする思考回路を自分で笑いながら、イノーラは式を解き始めた。


 例の機械のためにイノーラを引っ張り出せたのは、夕食時だった。

 思ったより早かったな、とエルヴィラは思う。下手をしたら取り掛かるまで、数日かかると覚悟していたのだ。

 数字が苦手なエルヴィラにしてみれば、あんなものに一人で挑むほうが無謀だし、何より行き詰らないほうがおかしいと思う。だがイノーラは、それがどうにも気に入らないようだ。

 才能があるというのは大変だなと思いながら、姪っ子の大好物を並べてやる。あれだけ頑張っているのだ、このくらいはしてやってもいいだろう。

 料理や何かは、エルヴィラの担当だった。といっても、けしてエルヴィラが上手いわけではない。イノーラが下手すぎるのだ。

 何しろこの姪っ子、エイリアンペットとして育ったせいなのだろうが……やることが逐一おかしい。食材の選び方自体がおかしいのに始まり、肉を焼くのにガスバーナーを出してきたり、冷たくするのに宇宙空間へ放り出そうとしたりする。

 しかも不思議なことに機械全般と相性のいいイノーラが、なぜか自動調理機械とだけは相性が悪い。正確には機械そのものは使えているのだが、きちんとした「料理」が出来上がらない。

 原因は、勝手に設定をいじるからのようだ。機械に任せておけばいいのにそれが出来ず、「微調整」と称していじっては、食べられない代物を作る。そんなわけで料理はエルヴィラが担当するようになった。

「ほら、そこ座って座って」

 台所と食堂と居間とをすべて兼ねる部屋の、小さなテーブルに姪っ子を着かせる。

「あら、今日はずいぶんと奮発してますこと」

 案の定、食卓を見たイノーラはご機嫌だ。これならこちらの頼みごとも、断ったりしないだろう。

 姪っ子が座って食べだしたところで、エルヴィラは切り出した。

「例の数式、どんな感じ?」

「手ごわいですわ。まぁ誰も見たことのない理論では、それが当然でしょうけど。けど、だいぶ糸口は掴めましたのよ」

 イノーラにしては饒舌だ。つまり、自慢したいくらいにはこの難問に取り組めているのだろう。

「何を意図して書かれた数式かが分かれば、もっと早いのでしょうけど……」

「それなんだけどさ」

 話の流れが僅かにこちらへ来たと見て、エルヴィラは打って出た。

「この星がなんでこんなことになったか分かったら、少し助けにならないかな?」

「どうでしょう。その辺はなんとも。ただ〝全く〟効果がないということはないでしょうね」

 合理的な答えが返ってくる。

 相変わらずベニト人っぽいなと思いながら、エルヴィラは端末の形式等から導き出した、「もう一つの発生星系」という推論を話した。

「どうだろ。突飛だとは思うけど、筋は通るんだよね」

「確かに矛盾はしませんわね。でも、それなら端末をまず見てみないと」

 立ち上がりかけた姪っ子の反応を見て、失敗だったかなとエルヴィラは思う。食べ終えてから言うべきだった。

「先に食べてからね。じゃないと、倒れるよ」

 こうでもしないとイノーラは、またロクに食べずに没頭してしまうだろう。事実、昔難解な定理の証明に挑んで、飲まず食わずを続けて倒れたことがあるのだ。

(没頭するのはいいんだけどさぁ……)

 そのおかげで宇宙船の整備などは、個人でやっている割に相当のレベルに達している。だが、何事も度が過ぎるのは良くないだろう。

 何か毒舌が返ってくるかと思ったが、意外にも姪っ子は素直だった。以前実際に倒れたこととが、毒舌と反発を押さえ込んだようだ。しかも珍しく急いで食べている。

 姪っ子は元々、食べるのはかなり遅い。ちょうどおやつの奪い合いなどを始める時期にペット生活が始まり、生存競争を経験していないせいだろう。

 それが今は、エルヴィラとほぼ変わらない速さだ。端末がよほど気になるらしい。

 生まれて初めてだろうという速さで食べ終えたイノーラが、再度立ち上がった。

「どこにありまして?」

「貨物室の保管庫」

 聞くや否や、姪っ子が部屋を飛び出す。

「もう、気が早いなぁ……っていうか、お皿くらい片付けてけ」

 悪態をついてみたが、イノーラの姿はとっくに扉の向こうだ。聞こえてなんていないだろう。

 仕方なく後片付けを――我ながら甘いと思う――してから、エルヴィラも貨物室へ向かった。

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