3:誰もが逃げ出す大冒険? 09

 そもそも発生星系というのは、恒星が変光星ではないとか、連星ではないとか、惑星の軌道がどれも真円に近いとか、宇宙規模で安定した環境のところが多い。この星系も同じで太陽系によく似た環境だからこそ、木星型惑星だが、ネメイエス人が居るのだろう。

 ならば地球によく似た第四惑星に、地球人に近い炭素系生物が生まれたとしても、おかしくはなかった。なによりこれなら、第四惑星とその種族のデータが消せたことも納得がいく。

 だが気づくと同時に、怖気が背中を伝った。

 この星を植民惑星だと判断したのは、生命体の種類がとても少ないからだ。

 発生星系は地球もそうだが、生命の宝庫といえるほど、どこも多種多様の生物であふれかえる。なのにそれが植民惑星と間違うほど、生命体の種類が少ないということは。

「壊滅、だよね……」

 あのホールで死を撒き散らし都市の隅々まで虐殺した「何か」は、最後はあふれ出して全土を覆ったのだ。

(い、今は平気だよね)

 ちょっと震えてくる。が、もうしばらくここに居るのになんでもないことに気づいて、少しほっとした。

 あのホールの様子からして、その「何か」に掴まったが最後、かなり短時間のうちに死ぬのだろう。だが自分もイノーラも災禍の中心と思われるところに足を踏み入れながら、いまだになんともない。だから災禍は惑星を死に追いやった後、その効力を失ったに違いない。

「――イノーラ、呼ばなきゃ」

 そんな言葉が口を突いて出た。

 ただの推論だ。何か根拠があるわけではない。けれど、否定ができない。

 いずれにせよこんな大きな事柄を、姪っ子に伝えないわけにはいかなかった。


 ネメイエス星系第四惑星。名は知らない。

 そこから収集した膨大な数式と、イノーラは文字通り格闘していた。

 何しろホール全体に、居合わせた人が手分けして書いたとおぼしき状態だったのだ。どれがどこにあったかは記録してあるが、それにしてもすべてが細切れで、何がなにやらという状態だった。

 しかも一部は、数式でなく文字だった。数式の間の文字だから何か意味があるのだろうといろいろ調べてみたが、結局、銀河標準文字で書かれたただの文章で、時間の無駄になっただけだ。

 加えて数式は、ほとんどがこの星独自の数字や記号で書かれていた。そのためこの星特有の進法や記号の解明からになってしまい、ともかく効率が悪いことこの上ない。

 ただ幸い、一部銀河標準式で書かれたものがあったので、それを頼りに少しずつ解いている。

 とりあえずここまでで分かったのは、この星が八進法だということだ。銀河標準式と並んでいたものをつき合わせて、やっとそれに気がついた。

 そんな自分をイノーラは、どうしようもないと思う。

 やれ神童だの何だの言われはしたが、たかが進法の違いに気づくのにこれだけ掛かっていて、何が数字の申し子なのだろうか?

 自分がペットとして売られた理由は、頭が良かったからだと聞いている。たぶん事実だろう。実際売られる前の時点で、教わらずとも文字は読み書き出来たし、掛け算くらいはこなしていた。一度聞いたら忘れないだけの記憶力もある。

 だがそれでも、「申し子」と言うには程遠い。それがイノーラの、自分に対する判断だった。

 申し子というならこの程度の数式、たちどころに解けなくてどうする。心底そう思う。

 ただ八進法だと気づいたことで、作業のスピードは上がってきた。銀河標準式と照らし合わせて、この星独自の演算記号もおおよそ分かってきているし、式そのものが理解できたものもある。

 恐らく、大統一式と関係があるだろう。銀河標準式と並べて書かれたものがあったため、これはかなり最初の時点で特定できた。そしてあちこちで、この変形式らしきものを見かける。

 だがその他は、見たこともない式ばかりだった。しかもそれらがどう繋がるのか、なかなか見えてこない。ジグソーパズル以上に難解だ。

 全体的には、何か次元を繋ぐものに見える。とはいえ勘でそう思うだけで、証明出来ていないから、未だ可能性のひとつに過ぎなかった。

 ため息をついて伸びをする。少し休憩したほうがいいだろう。

 薄布の裾を踏まないようにして立ち上がる。

(ジャマですわね……)

 叔母のエルヴィラが言うには、地球人にとっての服というのは、ベニト人のボディペイントに相当するらしい。だから仕方なく身に着けているが、ずっとペットとして裸で育ったイノーラにしてみると、ただただジャマなものでしかなかった。

 出来ればこの薄布は脱いで、ベニト人と同じようにボディペイントにしたい。だが「地球の親が泣く」というエルヴィラの一言が、イノーラに布を纏わせていた。もうおぼろな記憶でしかないが、母親を泣かせることは出来ない。

 ふと、いつか会えるのだろうか? と思った。飼い主の死という事態から銀河市民権を得るに至って、今は自由の身だ。ならば地球へ行くことも出来るのではないだろうか?

 ――自由。

 その言葉の持つ意味に、少しだけ気が付く。

 売られた先の環境は、イノーラにしてみればけして悪くなかった。

 たしかに母親とは引き離されてしまったが、ひもじい思いは一度もしていない。何より飼い主は自分のことをとても大事にしてくれた。望めばなんでも与えられ、学びたいと言えば大喜びで先生を探してくれ、難しい問題を解くとマスコミまでが来て、飼い主は鼻高々だった。そんな嬉しそうな飼い主を見るのが好きで、イノーラはさらに学んだのだ。

 だが思い返せば、すべて「箱の中」でだった。

 ベニト星の環境は、地球人が生きられる環境ではない。だから飼い主は莫大な額をかけて邸宅の一部を改造し、地球と同じ環境を作って、可能な限り一緒に暮らしてくれた。イノーラもそんな飼い主が大好きで、まさに親だと思っていた。

 けれど、箱の外へ出たことは無い。

 もちろん、連れ出してもらったことは数え切れないほどある。但しそれも別の箱へ入ってのことで、自身でどこかへ行こうとしたわけではない。常に行き先は、誰か他の人間が決めていたのだ。

 それに疑問を持たなかったのは……知らなかったからだろう。地球に居た頃も、ベニト星へ来てからも、自分で何か決める必要などなかったのだ。

 だが今はその気になれば、自分で決めることが出来る。

 叔母のエルヴィラと話し合う必要はあるが、そこさえクリアすれば、どこへでも好きに行ける。そのことに初めて、イノーラは気が付いた。

 エルヴィラが切望して止まなかったもの、それがこの「自由」なのだろう。

 イノーラ自身は、まだ戸惑っている。

 実は銀河市民権を得ようと言われたときも、さほど乗り気ではなかった。一生心配があるわけでなし、今までどおり暮らせばいいではないかと思ったくらいだ。

 承諾したのは単に、「宇宙船を任せてくれる」とエルヴィラが言ったからだった。

 元々イノーラは、機械とはすこぶる相性がいい。見れば扱えるし、中で何がどう動いているかも手に取るように分かる。そんな彼女にとって、宇宙船は憧れだった。他のことはともかくとして、自分の手で船を操作し、自由に宇宙を駆けてみたい。その思いだけは常にあったのだ。

 だから、話に乗った。他に意図は無い。

 イノーラにしては珍しい、行き当たりばったりに近い決め方だったが、後悔はしていなかった。宇宙に出て未知のものに次々と遭う生活は、十二分に面白いのだ。

 何より、船を操るのが楽しかった。

 エルヴィラは船を選ぶとき、イノーラに任せてくれた。そして彼女が選んだのが今の船だ。

 予算の関係で旧型のものしか買えなかったが、イノーラ自身は気に入っている。けして負け惜しみなどではなく、最新型も触らせてもらった上で、それでもこの船ならいいと思ったのだ。

 新型の船は、たしかに安定していた。それに最新鋭の機能が満載で、便利なものばかりだった。だが一方で何もかもが自動化され、誰でも操縦できる安直な船でもあった。それがイノーラには気に入らなかったのだ。

 この船はたしかにボロだが、システムはいい。エルヴィラには言っていないが、前の持ち主は何か改造しているはずだ。そのせいだろう、こちらの指示に対する反応がいい。

 また旧式なだけに手動部分が多く、そこも気に入ったポイントだった。

 自動のシステムは便利だが微調整が効かない。その程度どうということは……と言う人がほとんどだろうが、イノーラにとってはその僅かな違いがどうしても許せなかった。僅かとはいえ明らかによりいい方法があるのに、自動操縦だとそれが出来ないのが、どうにもイヤなのだ。

 けれどこの船なら、そんなことはない。自動化されているのは本当に煩雑なところだけで、かなりの部分が手動だ。そのおかげで思う存分操船できる。

 航行していると、操作盤に浮かび上がるさまざまなデータが実感を持って迫ってくる。船の内外で何が起きているのか、手に取るように分かる。

 今ではもうこの船は、イノーラの分身と言ってよかった。

 だから安穏とした生活を捨て、今のちょっと厳しい、だが魅力ある生活を選んだことに後悔はない。

 ただそれでも、時々思うのだ。

 ――もしかしたら両方取れたのではないか、と。

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