3:誰もが逃げ出す大冒険? 07
「イノーラ、ごめん、ちょっとこっち来て!」
姪っ子を呼ぶ。
「なんかね、見たらあっちこっち書いてあるんだよね」
「あら……」
イノーラが興味深そうに覗き込んだ。
「この式、片方は銀河標準数字ですわね。でも隣は……ここの数字でしょうか?」
「あたしに訊かないで」
商売の交渉ならともかく、数式など間違っても見たくないエルヴィラだ。訊かれて分かるわけがない。
「あぁ、おばさまはそうでしたわね」
姪っ子が嫌味たっぷりな声で返したあと、続けた。
「おばさま、私ここを全部調べて、すべての引っかき傷を書き留めてから帰りますわ」
「え……」
数式が相当気に入ったのだろうが、イノーラの言うとおりにしたら、いつまでかかるか分からない。
「本気で、書き留めるの?」
「ええ。何となくですけれどこの式たち、何かを教えようとしてる気がするものですから」
エルヴィラは考え込んだ。
イノーラは、数字の申し子とでも言うべき存在だ。何しろ生体コンピューターの異名をとるベニト人でさえ、彼女の能力には一目置いていた。
その姪っ子が言うのだ。可能性は高い。
「えーとさ、じゃぁね、画像じゃダメ?」
提案してみる。
なにしろこの広さのホールだ。引っ掻いて書いたものがどれだけあるか分からないし、全部書き写すとなると、かかる時間も膨大だ。
何よりそのやり方では、エルヴィラは手伝えない。だが画像なら写すだけだ。ひとつひとつが短時間で済むし、これならエルヴィラでも手伝える。
「なるべく大きく撮って、船に戻って解析じゃダメかな?」
「あぁ、それでも構いませんね。むしろその方がデータベースが使える分、効率がいいでしょうし」
イノーラの言葉を聞いて、よほど舞い上がっているのだな……などとエルヴィラは思った。何事も合理的な姪っ子が、目の前のことに気をとられて効率を忘れるなど、初めてと言っていいくらいだ。逆に言うならこれは、それほどの「大物」なのだろう。もしかしたら、あとで何か大きな話の一部に、繋がる可能性だってある。
「じゃぁ、あたしも手伝うからそうしようよ」
「ええ」
珍しく、毒舌ナシに話がまとまる。
「じゃ、手分けしてやろう。上のほうと下のほうに分かれて、一段ずつ見ようか?」
「分かりました」
内心、これで書き写すより早くここから出られると思いながら、エルヴィラは作業に入った。
写し取った数式――姪っ子が言うには一部は文字らしい――は、膨大な数に上った。なにしろあまりの多さに一日ではやり切れず、翌日からはイノーラが船に篭って解読、エルヴィラが出歩いては写して来るという分業体制になったほどだ。
だが少し前にそれも終わって、エルヴィラは船に戻って一息ついたところだった。
姪っ子が言うには、それぞれある程度関連があるらしい。だが数字を見たら裸足で逃げ出すエルヴィラには、何がなにやら分からなかった。
(大統一式とか言ってたけど……)
そういうものがあるのはエルヴィラも知っている。そもそも超高速航行など、銀河の技術はその理論を元にしたものが多い。が、それが何でどういうものかは大雑把にしか知らなかった。地球でテレビや携帯電話が何も知らなくとも使えたのと同じで、知らなくとも困らないのだ。
だがその神童ぶりゆえにペットとして売られることになった姪っ子には、こういった高度な理論は最高の遊び道具らしい。片っ端から船のデータベースを漁り、場合によっては研究機関の論文まで引っ張り出して解析に没頭している。あの調子では、解けるまでは延々とやっているだろう。
なのでエルヴィラは、一つだけ持って帰ってきた端末をいじっていた。ところがこれが、なかなかうまく行かない。
なにしろまず、動力がわからないのだ。
いろいろな機械を動かすのに使う動力源は、種族ごとに違う。地球は主に電気だが、他惑星だと生体エネルギーだったり、精神波だったり、中には時間を使うところまであった。だから迂闊に動かすことが出来ない。ヘタに合わない動力を使って、機械を壊したら大変だ。
(しょうがない、時間かかるけど詳細スキャンかけるか)
本当は機械にやたらと強いイノーラに、持ち帰った機械を動かすのを手伝ってもらうつもりだった。だが三度の食事より数式が好きでは? と思えるほどの姪っ子だ。数式を目の前にして動くとは思えない。
仕方なくエルヴィラは回収した機器を持って、貨物室へと移動した。
限られた空間しかない小型宇宙船では、たいていの部屋が兼用だ。だから荷物を運び込む貨物室は、調査・分析室も兼ねる。その部屋の片隅に置かれた台の上に、エルヴィラは例の機械を置いた。あとはスイッチを押すだけだ。
(ほんと、簡単だよね)
エルヴィラの居た地球でも全自動が流行りで、お金持ちは外国製の全自動洗濯機などを持っていた。ましてやここは銀河だ。自動で出来ないものを探すほうが難しい。姪っ子のような、やたらと機械と相性のいい者にはそれが気に入らないようだが、ごくふつうレベルのエルヴィラにはありがたい話だった。
機械が勝手に対象物の大きさを測り、周囲をシールドで覆い、分析を始めた。
これであと当分は、エルヴィラの仕事はない。
前回と違って今回は詳細なスキャンだからそれなりの時間がかかるし、その間エルヴィラが出来ることといえば、待つことだけだ。
今のうちに別のことをやってしまおうと、エルヴィラは貨物室を後にした。
部屋へ戻りつつ考える。
惑星への植民は、何かとトラブルの元だ。だから手順は厳密に決められているし、主権の及ぶ範囲もきちんと決められていて、それらのことが確実に連盟の公式資料に掲載される。
なのに、記録がない。どう考えてもおかしい。
ひとつ考えられるのは、連盟が「記録を消した」ということだ。元は記載されていたのに、何かの理由ですべて抹消した。それならばこの状況、辻褄が合う。
だがそうなると今度は、「何のために」という疑問が湧く。すべて抹消して、無かったことにまでしたい事態……やはりこの惨状に、関係あるのだろうか?
そんなことをいろいろと考えながら、シャワーを浴びる。
銀河文明の科学力ならわざわざこんなことをしなくても、身体を清潔に保つことくらい出来る。だがエルヴィラは、どうしてもこの習慣がやめられなかった。
飼い主のほうも、別にそれを咎めたりしなかった。それどころかエルヴィラの行動が面白かったとみえて、地球式のシャワーを部屋に取り付けてくれたくらいだ。
いい飼い主だったな、と思う。
たしかにそれは、地球人が飼い犬を可愛がるようなものだったろうけど……それでもまるで我が子のように扱ってくれた。身寄りの無い人だったからかもしれない。
かつては伴侶が居たのだと、飼い主は教えてくれた。でも別れてしまったのだそうだ。
地球風に言えば実業家だった飼い主は、お金は十分にあった。けれど伴侶も子供もそれを浪費するばかりで、自分から何か少しでも生み出すとかは一切考えもせず、結局一緒に居られなかったという。
ベニト人の社会は、地球とはまったく違う。そもそもベニト人というのが地球のカタツムリなどと同じで性の区別などなく、誰でも子供が産める。それ故に夫婦という概念も存在しない。
たださすがに単体では子供は産めず、誰か同族の相手は必要だった。だからたいていは気の合う相手と、お互いの子供を一人か二人ずつ持つ。そして共同で育てることも多い。
飼い主の場合は、その変形だ。先天的なもので子供が産めない飼い主だったが、気の合った相手とその子供は居た。
だがその「気が合う」というのが、財産目当ての見せ掛けだったらしい。一緒になった当初は良かったものの、だんだん要求がエスカレートして、ついに我慢の限界を超えたと言っていた。
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