若葉さん家の箱入りオメガ
若葉家の家族会議 〜グラビア撮影編〜
「――実は今日、皆さんに『家族会議』を開いていただきたいんです」
とある休日の夜。
若葉家の夕食に招かれていたカイは、食事が一段落したところでそう切り出した。
議題は、瑤のグラビア撮影――もっと細かく言えば、「セミヌード撮影」についてである。
◇◇◇
事の発端は藤咲が持ってきた話だった。とある女性誌の企画で「ぜひ瑤を取り上げたい」と、編集部から依頼がきたというのだ。
企画名は【身体で知る愛】。
なんでもこの企画が掲載される号は売れ行きが抜群によく、発売前重版がかかることもままあるらしい。
藤咲は『顔と名前を覚えてもらう絶好のチャンスだよ』と大変乗り気だった。
たまたまその場に居合わせ話を聞いていたカイまで、『なかなか見る目のある編集部だな』と嬉しくなったものだ。
しかし雑誌のバックナンバーを見て、カイは途方もない衝撃を受けた。
その企画の中身は、ベッドシーンを想像させるセミヌードの男性アイドルや、鍛え上げた肉体で官能的なポーズをとる俳優など、男の色気を前面に押し出したグラビアばかりだったのだ。
『わ……私は反対だ』
気づいたら、そう口にしていた。
いくら同じ事務所に世話になっているとはいえ、この件に関してカイが部外者であることは百も承知である。だが、言わずにいられなかった。
『別に、まだ脱ぐって決まったわけじゃないよ。若葉くんは筋肉枠じゃないし、期待の新人、って感じで取り上げてもらうだけだから』
『けど、この企画の一部であることに変わりはないんだろう? ならどんな写真を撮られるか、わかったもんじゃない』
『……』
至極真っ当な意見を言ったつもりなのだが、藤咲には『公私混同』と白い目を向けられた。まったくもって解せない。
それどころか瑤本人も、さして嫌がっている様子がないのだ。『ドラマを見て声をかけてくれたなんて、ありがたいですよね』などと、暢気なことを言っている。
この撮影を阻止するためにはもう、若葉家の力を借りるしかない。
そこで瑤に提案したのだ。
今夜、家族会議にかけよう――と。
◇◇◇
守秘義務があるので雑誌名や企画の詳細は伏せねばならない。
カイは「【男の色気】をテーマにしたセミヌード撮影」の是非についてのみ、会議の議題とした。
「反対!」
開口一番そう叫んだのは、次兄の善だ。
期待どおりの反応に、(まずは一票)と心の中で加算する。
だがカイが礼を言うより早く、瑤がムッとした顔で反論した。
「オレの立場で仕事を選ぶなんてできないよ。善兄だってわかってるよね? 厳しい世界だぞって、さんざん脅してきたじゃん」
「だからっていかがわしい写真を撮れとは言ってない。それにおれは今業界人としてじゃなく、家族として反対してるんだ」
「えー、何それ。ずるい!」
たしかにずるいが、今は助かる。
恋人が脱ぐか脱がないかの瀬戸際に、正論は不要だ。
「専務はどうです?」
「え? ええと……」
さらなる票固めをしようと、カイは歩に意見を求めた。すると予想に反して、歩は複雑そうな顔で言葉を濁す。
「ううん……難しいな……」
「難しいことなんてこれっぽっちもねぇだろ。反対一択だ」
「……いや。芸能活動を認めたからには、安易に口出しをすべきじゃない」
声に苛立ちを滲ませる善に、歩は毅然とした口調で言った。やはり一本筋が通っている人だと、こんなときでも感服してしまう。
だが、諸手を挙げて賛成というわけではないらしい。「ほんとにそれでいいのかよ」と善に水を向けられると、遠慮がちに口を開いた。
「……まあ色気を表現するっていうなら、セミヌード以外にも方法があると思うけど……」
たとえば? と瑤に訊かれて、歩は悩みながら答える。
「そうだな……突然の雨に降られて、ずぶ濡れになるとか……?」
肌に貼りつくシャツや、濡れた前髪。ベタなシチュエーションではあるが、ありかなしかで言えば「あり」だろう。裸になられるより、よほどましだ。
しかし――。
「ああ……歩兄、そういうかよわい感じ、好きそうだもんね。瑤くんのイメージじゃないけど」
「えっ!?」
それまで黙っていた丞に突っ込まれ、歩はにわかにあわて始めた。
「別に、俺の好みの話はしてない。そういう表現もあるだろう、ってだけで――」
「いやどう考えても性癖だろ。ふーん……うちの長男さまは着衣モノがお好き、と」
「違う! 俺はその……そうだあれだ、『水も滴るいい男』って言葉があるだろう? それが言いたかったんだ」
「物は言いようだね」
「いや、言葉どおりの意味だ」
「はいはい。そういうことにしといてやるよ」
善と丞に茶化され、会話が一気にとっちらかってしまう。
その場をまとめるべく発言したのは、若干引き気味になってやりとりを見ていた瑤だった。
「えっとじゃあ……歩兄は条件つき賛成、ってことでいい?」
「……ああ」
もうそれでいいよ、と返す声には力がない。
家族の前で性癖をさらけ出してしまったのが、よほどショックだったのだろう。
気の毒だとは思ったが、これでは戦力にならない。
残る頼みの綱は、末っ子だけだ。
どうか味方になってくれ――と期待を込めて丞を見る。だが丞はカイのすがるような視線に気づくと、ふっと目を逸らして言った。
「賛成してほしい? 瑤くん」
「うん!」
「じゃあ次のオフは、僕と遊びに行こ?」
そうきたか、とカイは頭を抱えた。
このところ瑤のオフはほぼカイが独占状態だったので、丞はかなり不満を募らせていたのだろう。
弟を溺愛する瑤も「もちろんいいよ」なんて即答している。
「ま……待ってくれ。その……受験生にとって今は、大切な時期じゃないのか?」
大人げないとは思いながらもつい、そんな台詞がこぼれ出た。これでは、牽制しているのと同じだ。
すると丞はすっとスマホを取り出し、「これ」と画面を見せてくる。
「こないだの模試の結果です。ちょっとくらい息抜きしてもいいと思いません?」
「……」
志望校の欄には国内最高峰とされる国立大学をはじめとして、カイも知っている日本の難関大学の名前が並んでいる。
それらの横には「A判定」の文字が燦然と輝いていた。
「そう……だな。うん、そのほうがいい……」
それ以外になんと言えよう。
この家族会議を「チャンス」と読んだ、丞の勝ちである。
かくして兄弟三票のうち、賛成が二票、反対が一票。
若葉家としては「賛成」という結論になり、家族会議はそこでお開きとなったのである。
◇◇◇
「……カイさん。グラビアの仕事、やっぱり嫌ですか?」
夕食会のあと。見送りに出てくれた玄関先で、瑤がおずおずと尋ねてくる。
本当は嫌だと言いたかった。
恋人の裸体を全国にさらしたい、と考える男がいるだろうか。たとえいたとしても、カイとは相容れない。
けれど同時に、これが瑤の可能性を摘み取りかねない、つまらぬ独占欲だということもわかっていた。
藤咲の言っていたことも、歩のスタンスも正しい。瑤のことを応援するなら、背中を押してやるべきなのだ。
大きな男にならなければ、瑤の恋人は務まらない。
「……そんなことはない。ご家族の皆さんと話して、私も考えを改めた」
「カイさん……」
澄んだ瞳に真っ向から見つめられ、決心が揺らぎそうになる。
瑤が大きく羽ばたくことを誰より願っているはずなのに、愛すれば愛するほど腕の中に閉じ込めておきたくなる。
そのどうしようもない矛盾で、胸が苦しくてたまらなかった。
――大人になれ。大人になるんだ――。
「……それに……私も気づいたんだ。役者という仕事は常に、裸でいるようなものだ、と」
「えっ……?」
「自分を剥き出しにして、役にぶつかっていく……。それを思えばセミヌードなんて、騒ぐほどのことじゃないのかもしれない。違うか?」
我ながらなんという痩せ我慢だろうか。心にもないことがつらつらと出てくる自分をほめてやりたい。
けれど瑤は「カイさん!」と目をきらきらと輝かせた。
「やっぱりカイさんはすごい。オレのこと、全部わかるんですね……!」
そのとおりなんです! と興奮気味に言い、カイの手をぐっと握ってくる。
苦し紛れに虚勢を張っただけなのだが、どうやらひどく感激してくれたらしい。
「そりゃ全然恥ずかしくない、って言ったら嘘になりますよ? でもオレにとったらグラビアも芝居も、カメラの前で『演じる』のは一緒だなって思ってるんです」
必要以上に恥ずかしがるということは、芝居に没頭できていないのと同じ。
被写体としてのストーリーを作り、それを演じると思えば、裸体を撮られても抵抗はないのだと瑤は言う。
――そういうことだったのか……。
彼は自分なりの考えを持った上で、この仕事を受けようとしていたのだ。
あらためて、自分の器の小ささを思い知らされた気分だった。
「瑤……君は本当に、大した男だ」
「え? ……わっ」
人目がないのをいいことに、瑤をぐっと胸に抱き寄せる。
「余計なことを言ってすまなかった。写真、楽しみにしてる」
「……ありがとうございます。でもオレが載るのはほんとにちょっとだけですよ? たぶん」
「それくらいでちょうどいい。巻頭特集を組まれたら、嫉妬で買い占めそうだ」
最後に嘘偽りのない本音を混ぜると、瑤は「えへへ」と照れて笑った。
そう思ってもらえるのも嬉しいですと、可愛いことをささやいて。
◇◇◇
後日。撮影は無事終了し、雑誌が発売された。
結論から言うと瑤の写真はセミヌードでもなんでもなく、カイも若葉家も拍子抜けしたことは言うまでもない。
それでも撮り下ろされたグラビアは、【身体で知る愛】という企画名にふさわしい仕上がりだった。
写真の瑤はたくし上げたTシャツで汗を拭いている。チラリと覗く瑞々しい肌と、こちらを見つめる挑発的な瞳は、見る者にどこか背徳的な興奮を与えた。
ほかのタレントたちと比べて小さな扱いではあったが、必ずや誰かに「見つかる」だろうと確信できる一枚だ。
「……うかうかしていられないな、私も」
それが業界関係者やファンならばいい。だがもし瑤に懸想する者が現れたらと思うと、心中穏やかではいられなかった。
叶うならば一日も早く、番の証を刻みたい――。
カイは自らの唇に触れると、その指を雑誌のページ滑らせ、瑤の首筋にそっと押し当てた。
市川紗弓先生作品★スぺシャルショートストーリー 角川ルビー文庫 @rubybunko
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