竜人皇帝の溺愛花嫁

熱き使命感の行方

 我らが清風国せいふうこく の竜人皇帝・万湘ばんしょう さまが、訳あって後宮で竜人希少種の晏蒼霖あんそうりん を匿うことになり、十日が経ったその日。

 陛下からの伝言を届けに汀蘭殿ていらんでん を訪ねた私――こう思基しき は、思誠殿しせいでん に戻る道すがら、今さっき蒼霖と交わした会話を反芻していた。


『毎晩交流しているんですから、少しは親しくなったでしょう』

『形だけの交流じゃ無理ですよ』

『形だけって言っても、話くらいはしますよね?』

『いいえ? 仕事中の天子さまには話しかけられませんし……』


 まさか、二人がろくに話もしていないなどとは夢にも思わなかった。

 これまで陛下は数多の縁談を断ってこられたが、今回ばかりは「脈がある」と確信していたからだ。

 根拠は陛下が蒼霖を――貧民街で一度会っただけの、密売に関わった少年を――、皇宮へと連れて帰られたことである。

 本来なら役所が身柄を拘束するのが筋だ。希少種であろうと例外はない。だが陛下は信頼する部下にもお任せにならず、ご自分の手で保護することを選ばれた。

 確かに、蒼霖は美童である。身なりが粗末なので目立ちにくいが、類希なる容色に恵まれていると言っていいだろう。

 これが好色なお方ならまず、愛妾になさるおつもりか? と下心を疑う。しかし、謹厳実直で知られる陛下が、私利私欲で行動したとは思えない。

 慣例を破ってまでお連れになったのだから、蒼霖がそのお心を動かす存在だということは間違いないだろう。

 おまけに、毎晩欠かさず後宮へと通われているのだ。たとえ「側室候補を寵愛する皇帝」を演じるためだとしても、話すことさえない相手にそこまでするだろうか。

「一度、きちんとお話を伺わなければいけませんね」

 やはり骨の髄まで仕事人間でいらっしゃる、と結論づけるのはさすがに早計だろう。どちらにしろこのまま捨て置くことはできない。側近としてやるべきことはまだまだあるはずだった。


◇◇◇


「――というわけで、お二人にはもう少し距離を縮めていただきたいのですが……」

 明くる日の執務室。

 私が蒼霖との話を踏まえてそう申し上げると、陛下は珍しく困惑した表情を浮かべられた。

「私も蒼霖と親しくせねばならないと理解はしている。有益な会話をしようと試みたこともあるんだが……その、どうも気が引けてな」

「側室候補を演じさせることにですか?」

「いや。互いに利害が一致したことに対して、今更どうこう言うつもりはない。単に、眠そうな者を引き留めて話に付き合わせるというのが、可哀想なんだ」

「陛下……」

 陛下のこういうところには、つくづく敬愛の念を覚える。

 この地上に皇帝が跪く必要のある相手など一人もいないというのに、相手への思いやりを決してお忘れにならないのだ。

「私の考えは甘いか? だが蒼霖はしっかりしているように見えて、存外子供っぽいところもあるんだ。どう接したものか、正直悩んでいる」

 ふう、とため息混じりのそのお言葉に、私はどこか引っかかりを覚えた。

「子供っぽいところ、とおっしゃいますと?」

「さして遅くもない時間に眠くなるなんて、それ自体が幼子のようではないか。そのうえ実に無邪気であどけない顔で寝るものだから、どうすればいいかわからなくなる」

「……陛下は寝顔をご覧になったんですか?」

「ああ。帰る前に一応、確認している」

「一応、とは……」

「? 私はなにかおかしなことを言ったか?」

「いっ、いえ。なにも」

 咄嗟に否定したものの、本当は詳しく訊きたい。が、「わざわざ閨まで見に行かれるんですか?」なんて無粋な追及をする必要はないだろう。

 蒼霖の寝顔を語るときの優しいお顔が、すべてを雄弁に物語っている。やはり陛下は無意識のうちに、蒼霖に惹かれていらっしゃるのだ。

 ただ残念ながら、打ち解けるきっかけがない――といったところか。もし『しかたないので仕事でもして間を持たせよう』なんて考えていらっしゃるのだとしたら……ああ、想像しただけでおいたわしい。

「思基? 急に黙ってどうした」

「いえ――失礼しました。なんでもありません」

 陛下の不器用ぶりに胸を痛めている場合ではない。ここでお役に立たねば、腹心の部下など名乗れまい。

「陛下。恐れながら蒼霖が眠そうにするのは、子供っぽさの表れではないでしょう」

「なに?」

「銀露くらいの歳の子と生活をしていると、早寝早起きになってしまうんです。そもそも、一日中幼子の相手をしながら働くというのは、並大抵のことではありません。いくら楽水が見てくれる時間があるとはいえ、蒼霖は相当疲れているはずです」

「! そうだったのか。私としたことが……」

 陛下は申し訳なさそうにうつむいてしまわれた。蒼霖が置かれている大変な状況に思い至らなかったと、ご自分を責めていらっしゃるのだ。

「では、後宮を訪ねるのは遠慮したほうがいいだろうか?」

「いえ、もっと早い時間にお会いになればよろしいのです。すでに公務終了の時間を調整してありますから、夕餉を終えられたらすぐ汀蘭殿へいらっしゃってください」

「ああ、わかった。感謝する、思基……」

 陛下はそうおっしゃいながらも、なんだか妙なお顔のまま黙られた。

「ほかになにか気になることがおありですか?」

「いや……。そなたは蒼霖のことについて、よく知っているなと思ってな」

 陛下は微笑を浮かべながらも、どこか悔しそうに見えた。

 極めて微細な変化だったが――私でなければ見逃していただろう――、自分よりも蒼霖に詳しい私に対し、素直に喜べないような複雑な感情が見て取れる。

 いまだかつてない陛下のご様子を拝見し、私は使命感がめらめらと燃えたぎるのを感じた。恋に不慣れだが誠実なこのお方を、なんとしでてもお助けしたい。

 かつて宮中で繰り広げられた熾烈な玉座争いにおいて、「絶対にこのお方を帝位に就けてみせる」と決意したときにも似た、熱い思いがこみ上げてくる。

「――陛下。私が知っていることなど、ごくわずかにすぎません。ですがこの現状を打破する方策なら、すでに練り上げております」

「方策?」

「はい。まずは銀露との接し方を改善するところから始めましょう。僭越ながら、私からいくつか助言を申し上げてもよろしいでしょうか?」

「あ、ああ。よろしく頼む」

「かしこまりました。では早速ですが――……」

 私は己の持てる知識と経験を総動員し、幼子との適切な会話法をお教えした。

 陛下はもともと子供に対して苦手意識がある方ではない。いわゆる“子供扱い”をしないというだけなので、銀露を怖がらせさえしなければ、良好な関係を築くのに時間はかからないだろう。

 ただ、手土産選びは予想外に難航した。

 話のとっかかりになるようなささやかな品を選べばいいのに、「似合いそうな気がするから」と蒼霖に絹や装身具を贈りたがるのにはもう、呆れるのを通り越して感動してしまった。

 浪費はよしとしないが、決して吝嗇けち なお方ではない。けれどこれまでの縁談相手には、簪ひとつ贈ったことがないのだ。

「陛下のお心遣いには敬服いたしますが、蒼霖の性格を考えたら、高価なものはまず受け取ってもらえませんよ」

「ふむ。それもそうか……」

 ああでもないこうでもないと言いながら、二人でどうにかそれらしく準備を調えた。あとはご健闘をお祈り申し上げるだけだ。

 その晩、私は「うまくいっただろうか」と一人でやきもきし、浅い眠りのまま朝を迎えることになった。


◇◇◇


 翌朝、小間使いから「今朝の陛下は格別にご機嫌麗しゅうございました」と報告を受け、私はほっと胸を撫で下ろした。どうやら順調に事が運んだらしい。

 とはいえ念には念を入れて、蒼霖の反応も確認すべきだろう。

 朝の雑事を済ませて汀蘭殿へ向かうと、水汲み中の蒼霖が出迎えてくれた。

「あ、思基さま! おはようございます」

「おはようございます、蒼霖。昨夜は陛下とうまく話せましたか?」

「はい、おかげさまで。銀露もにこにこして、楽しそうでしたよ」

「それはよかった。で、あなたのほうは……どうでした?」

「オレもちゃんと話せました。最初は緊張してたんですけど、湘さまがいろいろ気を遣ってくださって」

「……。湘さま?」

 耳慣れない呼称につい聞き返すと、蒼霖は一転して焦った顔になった。

「あっ、ごめんなさい。オレなんかが失礼ですよね、こんな親しげな呼び方」

「い……いえいえとんでもない。ちょっと驚いただけですよ。ひょっとして、陛下がそう呼ぶようにと?」

「はい。『天子さま』だと行幸先の民と会話してるみたいだから、って。意外と堅苦しいのがお嫌いなんですね」

「はあ……」

 なんとちゃっかりなさっている――と、不遜にも思ってしまった。

 よりによって名前で呼ぶよう仰せになるとは、慎重そうに見えて、大胆なところがおありになる。

「でもほかの人が聞いたら、いい気はしないですよね。やっぱりやめたほうが……」

「いえ! どうかそのまま呼んで差し上げてください」

 私は慌てて懇願した。

 もしこれで蒼霖が遠慮してしまったら、陛下はひどく悲しまれるだろう。

「とにかく、お二人が仲よくなれそうで安心しました。なにか困ったことがあれば、いつでも相談してくださいね」

「はい。ありがとうございます!」

 雨上がりの空色をした蒼霖の瞳は、いつにも増して輝いて見える。

 形だけの交流ではなく、きちんと話せたことを喜んでいるのは、彼も同じなのだとはっきりわかった。

 もう余計なお節介はいらないだろう。あとは二人に任せておけばいい。

「朝早くからお邪魔しました。では、私はこれで」

「はい。オレも仕事に戻りますね」

 去り際、水汲みに戻った蒼霖の横顔を見ながらふと思う。もしかしたらこの少年は、いつか陛下に本当の恋を教えてくれるかもしれない。

 陛下は己の人生を民と国に捧げる宿命をお持ちになって生まれ、道を違えることの許されない環境でお育ちになった。先帝の失政の責任をとろうと身を粉にして働くお姿は尊いが、胸の裡に抱えた孤独は長年仕える私でさえ知り得ない。

 たったお一人で重責を担われる陛下には、そのお心に寄り添う人の存在が不可欠だ。誰かを想い、想われる喜びは、きっと陛下を救ってくださる。

 願わくば蒼霖がその“誰か”であってくれたなら、と期待してしまうのだが――。

「……おっと。先のことを考えすぎるのは、私の悪い癖ですね」

 ただ、不思議と思うのだ。今回ばかりは自分の直感を信じて、突き進んでみるのもいいのではないかと。

 長く閉じていた後宮に今、軽やかな風が吹いている。

 蒼霖と銀露が連れてきたその清々しい風は、新たな未来をも運んでくるような気がした。

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