軍神虎は花嫁Ωを甘やかす

アルファたちの告白

 漣が王太子のアルダシールに「折り入って相談がある」と呼び出されたのは、イルファンと番になってすぐのことだった。

 王宮の執務室で待っていた王太子は、珍しく気だるげな様子で長椅子に身を沈めている。熱砂舞う大地に清涼をもたらすオアシスのような美貌の持ち主だが、トルマリンの瞳は陰鬱に曇り、心なしか面やつれしたように見えた。

「ああレン、来てくれたか。突然呼び出してすまなかった」

「いえ、大丈夫ですよ。けど殿下、もしかしてお加減が悪いんですか?」

「いや、そういうわけではないんだが……ひとまずかけてくれ」

 体調不良でないのならば、心労がひどいのだろうか。いったいどんな深刻な相談を持ちかけられるのかと、緊張しながら対面の椅子に腰を下ろす。

「相談というのは、ティヤムのことだ」

 アルダシールは今回の事件の鍵となった、オメガの少年の名前を口にした。

 ティヤムとアルダシールは、権力の簒奪を企む国王の甥・バルラージの策略により、悪質な呪術をかけられていたという共通点がある。

 しかし王宮を二分した政争に完全なる決着がつき、呪いも解かれ、現在は二人とも普通の生活を取り戻していた。一連の事件を通して面識ができたとはいえ、王太子と踊り子であるティヤムは、もうなんのつながりもないはず。

「ティヤムがどうかしましたか?」

「実は、解呪されたあとに話す機会があったんだが――どうしてかその日から、彼のことが頭から離れない」

「……えっ?」

「おそらく私は呪いを解かれたことで、アルファとしての本能を取り戻したんだろう。改めて顔を合わせた彼に、信じがたいほど強烈に惹かれたんだ」

 黒目がちな瞳が印象的な、愛らしい顔立ち。柔らかそうな亜麻色の髪としなやかな肢体に、明るく澄んだ笑い声。アルダシールはティヤムのチャームポイントを数え上げ、それらすべてが私の心を捉えて放さないのだと夢見るように語る。

「えっと……つまり一目惚れした、ってことですか?」

「いや。この感じはおそらく――彼は私の、運命のオメガだ」

「――……!」

 話を聞いた漣は絶句した。王太子から恋愛相談をされるだけでも驚きなのに、運命の相手がまさかティヤムだとは。

「そなたはティヤムと懇意だろう。なにか聞いてないか? 実はこのごろ毎日花束を持って保護施設を訪ねているんだが、会ってさえもらえない」

「ま、毎日花束を?」

 アルダシールのロマンチストぶりは、少女漫画に出てくる王子様みたいだ。実際、彼は本物の王子様なのだが。

「全然知りませんでした。ティヤムはそんなこと、一言も言ってなかっ……あっ、す、すみません」

 いまのは漣が無神経だった。案の定アルダシールは、がっくりとうなだれている。

「やはり脈がないのだろうか? いや、そんなはずはないと思いたいが……」

 運命の番となる相手とは、同時に恋に落ちる。片想いに終わることもある一目惚れとはそこが違うのだと、漣はかつてイルファンからそう教えられた。

 だからこそアルダシールは、確信に近い期待を抱いているのだ。ティヤムもまた、自分と同じ気持ちを抱いているのではないか――と。

 でも、アルダシールは王太子である。ティヤムの可愛さには全面的に同意するが、彼がこの状況をすんなり受け入れるだろうか。

「ひょっとしたら運命の人が王族だとわかって、気後れしてるのかもしれませんよ」

「そういうものだろうか?」

「普通はそうかなって……。おれだって元の世界でそんな事態になったら、なにかの間違いだろうなって思いますし」

 たとえアプローチされたとしても、真に受けようとはしないだろう。

「しかし私の本気を示そうにも、門前払いではどうしようもない。悲観的になりたくはないが、オメガとして苦しい思いをしたがゆえに、恋愛する気がなくなったということも……」

「待ってください殿下。ティヤムにかぎって、それはありえません」

「……なぜ?」

 すぐさまきっぱりと否定した漣に対し、アルダシールは半信半疑のようだった。

 けれどこれだけは自信を持って言える。

「ティヤムが言ってました。『いつかきっと運命の人と僕の歩く道が交差する』って。ティヤムはずっと運命のアルファに会えるって信じていたんです」

「運命のアルファに、ずっと……」

 オメガとして長きにわたり虐げられ、苦難に満ちた人生を歩んできたティヤムの、たったひとつの希望。それが運命のアルファと結ばれることだった。

 たったひとりの誰かを愛し、愛される日がきたそのとき、オメガとしての自分を心から肯定できる。そう語った美しい横顔は、いまも鮮明に思い出せる。

「そうか――私は間違っていたのか」

 アルダシールがはっとした表情で言う。トルマリンの双眸がまるで、天啓を受けたかのようにきらめいた。

「私はティヤムに愛を乞うのではなく、最初に許しを請うべきだったんだ。見つけるのが遅くなって、すまなかったと」

「! 殿下……」

 それってオメガにとって、すごい口説き文句ですよ――そう言おうとしたときにはもう、アルダシールは立ち上がっていた。

「ありがとう、レン。早速行ってくる」

 言うが早いか、アルダシールは駆け出していた。行き先はもはや尋ねるまでもない。ティヤムのいる保護施設だろう。

「恋ってすごいなぁ……」

 執務室にぽつんとひとり残され、漣はぽかんとしてしまう。一秒だって待てないと言わんばかりの行動力には、感動すら覚えた。

 王太子の熱意にあてられたせいだろうか、なんだか無性にイルファンに会いたい。

 漣は執務室を出て、軍の詰所に向かった。門をくぐると、顔見知りの兵士が「長官ですね」と取り次いでくれる。

「レン! どうしてこんなところに。なにかあったのか?」

 シトリンの瞳が輝く端整な面差しに、完璧に鍛え上げられた美しい長軀。

 軍服姿のイルファンは凛々しく、いつ見てもときめいてしまう。今朝「いってらっしゃい」と送り出したのは、たったの数時間前だというのに。

「仕事中ごめんなさい。ちょっと顔が見たくなって」

「ちょうど休憩をとるところだったんだ。入ってくれ、中で話そう」

 長官室に招かれた漣は、王太子とのやりとりをかいつまんで説明した。イルファンは話を聞き終えると、感慨深そうに呟く。

「そうか……。あの二人がもし本当に運命の番だとしたら、ティヤムにとって救いになるだろうな」

「おれもそう思います。でもティヤムのほうは戸惑ってるみたいで、面会を拒んでるらしいんですよね。殿下は自信をなくされてました」

「殿下が? 意外だな、滅多に弱音を口にする方ではないのに。まあ、恋愛に対してそこまで熱心になられるというのも、正直予想外だったが……」

 漣もイルファンとまったく同じ意見だった。いついかなるときでも王太子としての自覚を持ち、国のために己の義務を果たそうとする姿しか記憶にない。

 救国のオメガが現れるという神託に従い、漣を花嫁として迎える覚悟を決めていたアルダシールからは、私的な感情など一切感じなかった。

 だが今日の王太子は――、

「もうメロメロって感じでしたよ。聞いてるだけで胸焼けしちゃうくらい」

「となると、これは本当に運命の番である可能性が高いな。ティヤムが頑なに断っているというのも怪しい」

 ティヤムのほうも「直感」があったからこそ、会うのを避けているのではないかとイルファンは言う。理性で本能を抑えるのはかなり難しいため、もしティヤムが関係を持つことに躊躇しているとしたら、絶縁を選んでもおかしくはないと。

 イルファンの推測は当たらずとも遠からずだと漣も思う。ティヤムが身分違いだと遠慮しているとしたら尚更だ。

「イルファン。おれたちは応援しましょうね」

「ああ。できるかぎりの協力をしよう」

 大恩のあるアルダシールは言わずもがな、いまや大切な友人であるティヤムにも、絶対に幸せになってほしい。二人のためになんでもしよう、と漣は心に誓った。

「それにしても、人って運命の相手を見つけると、あんなふうに変わるんですね」

 アルダシールの恋わずらいを目の当たりにし、改めて唯一無二の結びつきの強さを思う。

 漣がこのエイラムにやってきたときは、運命の番の片割れであるイルファンと邂逅しても、はっきりそうだとわからなかった。

 当時はなんの知識もなく、オメガとして目覚めてもいなかったので、当然といえば当然なのだろう。けれどイルファンははじめて会ったときから、漣こそが自分の結ばれるべき相手だと気づいていたのだ。

「イルファンもそうでしたか? おれが運命の相手だってわかって、少しはドキドキしましたか?」

「少しどころじゃないさ」

 苦笑しながら答えるイルファンに、漣は密かにホッとしていた。

 なにしろイルファンは『発情中のオメガが、目の前に十人いても正気を保てる』という鋼の自制心を持つ堅物として通っているからだ。

「きみの護衛であるのをいいことに、いつも見つめていた。なにかと理由をつけて、そばにいようともしたし」

「じゃあ、王都までの道中でいろいろと親切にしてくれたのは、義務感以外の気持ちもあったってことですか?」

 イルファンは答えにくそうな顔で、けれどきっぱり「そうだ」とうなずいた。漣はなんだか嬉しくなって、あれこれ質問を重ねてしまう。

「虫刺されに困ってるって相談したとき、すぐに対策をしてくれたのも?」

「あれは、きみのきれいな肌を絶対に守りたい、という一心だった」

「途中で人買いに遭遇しておれが落ち込んだとき、虎姿になってきれいな景色を見に連れて行ってくれたことも?」

「ああ。もちろん、この国を嫌いにならないでほしいと思ったことも嘘ではないが、あんな人目を忍んだ逢瀬のようなことをして……いま思えば職権乱用だったな」

 イルファンがあまりにも律儀に反省するので、申し訳ないけれどちょっぴり笑ってしまった。なんて真面目なんだろう。精悍な軍人なのに、やけに可愛く見える。

「……レン、もう勘弁してくれ。これ以上はさすがに恥ずかしい」

「待ってください、あとひとつだけ。バザールの布屋に行ったとき……」

「あのいやらしい目をした店主のいた店か」

 話をやめたがっていたはずなのに、布屋と聞いた途端、イルファンの目がぎろりと剣呑な光を帯びた。

「レンをじろじろ舐め回すように見るし、扇情的な衣装ばかり薦めてくるしで、正直不快だった。下心があったとしか思えない」

 店主とのやりとりを思い出したのか、イルファンは怒りを再燃させていた。露出の多い衣装を断ったのはオメガの大事な首筋を守るためだとばかり思っていたが、漣にそういう服を着せたくないという意図もあったのだろうか。

「イルファンはああいうの、好きじゃないんですか?」

「……うん?」

「腰とか胸元を出したり、肌がスケスケになる服は、好みじゃないのかなって」

「…………。きみはとても難しい質問をしてくれる……」

 イルファンは小さく嘆息し、形のいい眉を寄せて黙り込んだ。

 清楚系や可愛い系など、人の好みはそれぞれだ。だから漣もそんなに深く考えずに尋ねたのだが、なんだか困らせてしまったらしい。

 しばし煩悶したのちに、イルファンは口を開いた。

「レンが着たところは、見たい。だが、ほかの誰にも見せたくない」

「イルファン……」

 悩み抜いたイルファンの視線が、漣の心ごと搦め捕っていく。せつない欲求をありのままにぶつけられ、きゅんと胸が高鳴った。

 露出度の高い服は、漣も恥ずかしい。だけどイルファンが喜ぶなら、着てもいいと思えた。堅物で知られる恋人の、貴重なおねだりなのだから。

「いい、ですよ」

「……えっ?」

「イルファンと二人きりのときなら着てもいいです。というより、見てほしい、かも……」

 愛しい人の燃えたぎる欲望に、この身をさらしてみたい。そんな艶めいた感情が、心の裡から湧き上がってくる。

「っ、レン……!」

「イルファ……、んっ……」

 唐突に腰を抱き寄せられ、不意打ちで唇を奪われた。衝動的な口づけは熱く激しく、惑いはすぐに興奮に変わる。

 いくらほかに人がいないとはいえ、昼間の長官室で交わすキスは理性が行方不明になりそうなほど刺激的だった。絡めた舌に頭がぼやけ、貪られた唇は甘く痺れる。

「……愛してる、レン……」

「イルファン……おれもです……」

 結局休憩時間のほとんどは、キスに費やすことになった。

 イルファンは仕事が終わるや否や、王都で指折りの布屋を訪ねたという。

 そこで買い求めた秘密の衣装を漣が身につけ、二人で情熱的な一夜を過ごしたのは、また別の話である。

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